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札幌市は10区に分かれていて、
それぞれの区にはそれぞれの特徴的な自然や独自の歴史があります。
このコーナーでは、それぞれの区の特徴を、自然史の視点から眺めてみようと思います。
写真:野津幌川
はじめに、まちの歴史から振り返ってみましょう。
「厚別(アツベツ)」という文字・読み方が使われたのは、1894年(明治27年)8月1日に、北海道炭礦(たんこう)鉄道が設置した「厚別(アツベツ)駅」の駅名であると言われています。
現在の厚別区は1833年(明治16年)に長野出身者が入植し「信州開墾地」・「信濃開拓地」などと呼ばれていました。
1902年(明治35年)に白石村に二級町村制が施行されると、村内は15部に編成されて信濃開拓地は「厚別東部」「厚別西部」「厚別川下部」などに分割されました。公式に「厚別(アツベツ)」が地名となるのはこれが初めてでした。
こうした歴史を持つ厚別区のほぼ中央を流れる川が「野津幌川」です。
図:野津幌川。「札幌東部」(国土地理院)一部。1918年(大正7年)
※水色でぬりつぶされた地域が低湿地帯
厚別とその周囲の地形から野津幌川をみてみましょう。
札幌は、ユーラシアプレートの一部である北海道西部と北米プレートの一部である北海道東部による東西からの衝突によって圧縮され、地層全体が大きくうねる場所にあります。そのうねりは丘陵となって地表に出現し、東から「馬追丘陵」「野幌丘陵」「月寒丘陵」と呼ばれました。
(JPG:320KB)
※画像をクリックすると大きく表示できます。
厚別は「野幌丘陵」と「月寒丘陵」という高くなった丘陵の間、つまり低くなった“野の中”にあり、そこを流れている川が「ヌプ・オル・オペツ=野の中を流れる川」、つまり「野津幌川」です。
さらに、そこには厚別川や月寒川も流れ込み、このあたりはかつて大谷地原野(および厚別原野)と呼ばれる海抜10メートル以下の低湿地帯が広がっていたことから、この地域の開拓には、大規模な灌漑(かんがい)工事や用水路の整備が必要とされました。
皆さんの近くを流れている川はなぜそこを流れているのか、周りの様子を観察して川の気持ちになって考えてみてください。その理由が見えてくるかもしれません。
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