ここから本文です。
札幌市は10区に分かれていて、
それぞれの区にはそれぞれの特徴的な自然や独自の歴史があります。
このコーナーでは、それぞれの区の特徴を、自然史の視点から眺めてみようと思います。
豊平川は昔から今と同じ流れで札幌を流れていたわけではありません。
これまでいくどか流れを変えながら、今の豊平川の姿になりました。
“前豊平川”は現在の伏籠川ですが、サクシコトニ川はさらに一世代前、今からおよそ4000年から2000年前に本流として流れた“元豊平川”の名残といえます。そのころ豊平川は、市街地の真ん中、ほぼ石山通に沿って流れていました。
もちろん扇状地を形成しながら流れる網状河川が広がっていました。
今からおよそ2000年前に本流を現在の伏籠川に譲ると、水量は徐々に減り、その水脈は、自ら造った扇状地の地下を密かに流れるようになりました。
扇状地の下を流れた水脈は、扇状地の地層が薄くなる扇状地の端、扇端(せんたん)で水が地表にあふれ出します。
その湧水泉をアイヌは「メㇺ」と呼び、重要な生活の場所として大切にしました。
メㇺからあふれ出た地下水は下流へと流れ、かつての豊平川の流れに沿って石狩川へと注いでいました。
そのメㇺのひとつが現在の偕楽園(かいらくえん)緑地に残る凹地で、「ヌプサムメㇺ」(野の傍らの湧水泉)と呼ばれ、そこから流れ出た川が「サクシコトニ川」(浜の方・流れる・コトニ川)です。
札幌市街之図(明治32年)
サクシコトニ川は偕楽園緑地から北大生協の前を流れ、北大構内の中央ローンという緑地を通り、恵迪寮(学生寮)の北を流れ、シノロ川となって石狩川に合流していました。
皆さんの近くで昔ここに湧水があったという話やゆるやかな凹地になっている場所はありませんか?
未確認のメㇺかも知れません。
このページについてのお問い合わせ
Copyright © City of Sapporo All rights Reserved.