札幌の歴史、新発見!(令和6年3月16日)
最近、新たに史料を漁っていて、札幌の歴史に新たな1ページを加える、ある事実を発見しました。
大友亀太郎がつくった橋はどこにあったのか。トノサマバッタは札幌のどこに被害を与え、山口のバッタ塚はどのようにつくられたのか。
などなど、今まで知られていなかった事実や異なる部分を紹介するとともに、当時の住民の生活を考えてみたいと思います。
『札幌の歴史、新発見!』講演録(PDF:2,901KB)
明治三年の札幌 本府建設の再開(令和元年10月5日)
明治3年7月の布達で中断した札幌本府建設は、明治3年11月には明治4年からの再開が決定した。
それはまず9月に長官たちが札幌を視察し、次いで10月あじめに岩村判官が提出した明治3年度の予算と方針が決定し、さらに黒田清隆のいわゆる明治3年10月建議が提出され、そして西村貞陽らが建設再開を提言するという経過のなかで決定した。
その過程を資料を追いながら探る。
『明治三年の札幌 本府建設の再開』講演録(PDF:1,926KB)
明治三年の札幌 島判官が去って(令和元年5月25日)
明治3年2月、札幌での街づくりを開始した島判官が去った後、岩村判官が西地の状況視察に来た。札幌にいた十文字大主典はその指示を仰ぐために小樽に赴き岩村と会談し、さらに様々な方針伺を出して岩村判官の判断を仰いだ。
明治4年春に岩村判官が来札して札幌の街並みを碁盤の目状にする方針で再度街づくりが開始される。その間、札幌はどのようになっていたのだろうか?
そのことについて資料に基づいて調べてみる。
『明治三年の札幌 島判官が去って』講演録(PDF:4,753KB)

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