ホーム > 健康・福祉・子育て > 子育て > 子どもの権利救済機関「子どもアシストセンター」 > コラム「こんにちは、アシストです」 > コラム「こんにちは、アシストです」(令和2年度) > コラム「こんにちは、アシストです」(2021年2月号)
ここから本文です。
《霧の岬 命の診療所 浜中診療所:道下 俊一 医師》
北海道東部。太平洋に突き出した岬に小さな寒村がある。釧路と根室のほぼ中間に位置する浜中町霧多布。その名の通り、年百日以上、深い霧に包まれる。この地で47年間にわたって闘い続けた医師がいた。温もりのある語り口と一途な眼差し。道下俊一である。受け持ち区域は、霧多布を中心に沿岸52キロ。点在する集落に八千人が暮らす。医師は、道下ただ一人。道下は、27歳で霧多布に赴任し、73歳になるまで地道な診療活動を続けた。村人一人一人の人生と向き合い、過疎地域の現実と闘い続けた男は、医師として培った信念をこう語る。
『カルテの表には、咳が出る、お腹が痛いって書きますね、しかしその裏、カルテの裏側を考える。カルテの裏には、その人の人生があると思うんです。親子の問題、嫁姑の問題、経済的な問題。その裏が分かるようになって、初めて私は医療ができると思うのです。』(新・リーダーたちの言葉=文藝春秋社より)
2018年(平成30年)9月6日の早朝、北海道胆振東部地震の避難所開設にかかわり、前任の〇〇小学校に詰めている時、私の携帯電話に一つのメールが届きました。
「先生、おはようございます。〇〇小学校でお世話になったA子です。地震は、大丈夫でしたか。ご無事でいらっしゃいますか。」
このメールは、今から20年以上前に〇〇小学校で担任をしていたA子さんからでした。
A子さんは、現在東京に在住しています。15年程前、東京の大学在学中に私に会いにわざわざ札幌まで来てくれました。そして、『大学を卒業したら、小学校の教師になるためにもう一度勉強して、教師の資格を取りたい』と希望に満ちた顔で話をしてくれました。
その後、『小学校時代の懐かしく楽しかった思い出。教員免許を取得して教員採用試験に合格し小学校3年生の担任をしたこと。担任としてはうまくいかず、今は人材育成会社で教師をしていた時と同じように周りに元気やパワーを与え続けていること。次に私に会う時には、もっと成長した自分のことを報告したい。』ことなどを、手紙で知らせてくれました。
それから月日が流れた数年前のお正月、A子さんのお母さんからいただいた年賀状には、『現在、A子さんが再び教師として頑張っている』ことが綴られていました。
今から20年以上前の教え子の成長した姿を、担任していた当時の私は考えることができていたのでしょうか……。“カルテの裏”が分かる教師としてのかかわりを当時の私はできていたのでしょうか……。でも当時の私は、自分なりに学級や学年の子どもたちの健やかな成長を願い、全力を尽くして頑張っていたことだけは確かでした。
A子さんからのメールを読み終わって、A子さんが苦労や挫折を乗り越えて立ち上がり、今教師として一生懸命に頑張っている姿を思い浮かべて涙が出そうになった時、浜中診療所の道下俊一医師の言葉が頭に浮かびました。
『カルテの裏には、その人の人生がある。その裏が分かるようになって、初めて医療ができる。』
昨年も1年間、子どもアシストセンターでは子どもたち本人からの相談はもちろんですが、保護者の皆様からも様々な相談をいただきました。子どもアシストセンターの職員は、心を合わせ、力を合わせ、子どもたち一人一人の健やかな成長を願い、“子どもの学習や生活の様子などのカルテの裏”に寄り添った相談をしていくために、一生懸命に頑張りました。
2021年(令和3年)の子どもアシストセンターの相談活動がスタートして、一か月が経ちました。新型コロナウイルスの感染が拡大する中、子どもたちや保護者の皆様からも様々な相談をいただいています。今年も子どもアシストセンターの職員は、子どもたち一人一人の健やかな成長を願い、心を合わせ、力を合わせ、一生懸命に『チーム子どもアシストセンター』としての取組を進めます。
浜中診療所の道下俊一医師の言葉を心に刻み、“子どもの学習や生活の様子などのカルテの裏”に寄り添った、子どもアシストセンターならではの『魂』のある相談をしていくために………。
令和3年2月1日
このページについてのお問い合わせ
Copyright © City of Sapporo All rights Reserved.