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更新日:2021年2月24日

コラム「こんにちは、アシストです」(2019年2月号)

「子ども時代に感じた不思議さ・おもしろさから」~谷山調査員~

 

私は、風呂に入るのが大好きで、家庭風呂よりは、スーパー銭湯によく行きます。お風呂と言えば子ども時代に、友だちと風呂屋さんが開店する時刻に行き、浴場が我々の遊び場になったり、浴場に水を入れたりしてよくお年寄りから叱られたといような懐かしい思い出があります。また、運動会終了後の銭湯の込み合っていた状況や冬の銭湯からの帰り道、タオル回しをし、その凍ったタオルでチャンパラをしたことなど、今でも鮮明に記憶に残っています

スーパー銭湯では、昔のお風呂屋さんと同じように、子ども同士で、お父さんと、またはおじいちゃんと一緒に来た子どもの姿を見かけます。お父さんに叱られた子が「いつまでも一緒にお風呂に入ってあげるから、そんなに怒らないで」とか、サウナ室で「どうして大人ってあんなに汗をかいているのに我慢できるの、カラカラになるよ」など、子どもの発想やものの見方・考え方が独創的でおもしろく、ときどき、子どもの発言に笑ってしまいます。

子ども時代には、「早く大人になりたいなあ」「大人になったらあんなことをしたい」など、漠然とした憧れやおもいをもっていました。しかしながら、スーパー銭湯で見られる、昔と変わらぬ風景に懐かしさを覚えながらも、いつの間にかなくなってしまった子ども時代の自由奔放だった自分の姿に気付き、歳月の流れを実感することがあります。小学6年生の国語の教科書に「白い風船」という物語が載っていました。遠藤周作さんの作品です。小学2年生の凡太は、テレビが大好きでマンガばかり読んでいる少年でした。忍者に憧れたり、宇宙人に会いたいと夢見たりしながら、想像力たくましかった凡太がやがて6年生になります。冬の夕方、まっかに燃える山を見ながら、凡太は、むかしの自分なら、いろいろと想像したけれど、大人になるということは、不思議なことをもう見られなくなるのかとふと考えます。そんなある日、久しぶりに望遠鏡を出し覗いて見ると、昔円盤を見た丘の方角に、突然、丸い白いものがゆっくり空に飛んでいくのが見えてきます。その時の凡太の気持ちを表した「それは白い風船にすぎなかった。丘に建った家のどこかで、子どもが手放した風船が、ふわふわと空に飛んでいってるだけだった。」という文章がなんとなく切なかったなあということを感じたことがありました。

仲間との話し合いで「いつまでも子どものときの感性や感受性を持っていたい」という話題になったことがあります。大人へ成長していくにつれて、夢中になることや失敗を恐れて、何かと言い訳をしてやらなくなることが多くなったという結論になりました。人は成長と共に、経験や体験の機会が増え、そのことによって、客観的に、物事を見たり、判断したりすることが多くなります。反面、子どもの言葉に耳を傾けたり、子どもが暮らす環境を知ったりという、子ども目線に立つことが薄れがちになる傾向があるようです。アシストセンターでは、いろいろなおもいを持った子どもたちの相談を受けます。子どもたちの声やおもいに寄り添い相談を受けますが、直ぐに問題解決の方法を見つけることにつながらない場合があります。しかし、「ああ、話を聞いてもらった、わかってもらった、少しホッとした」と、子どもたちの心の中にあった重苦しくどんよりしたものが薄れていくのを感じることもあります。仕事も遊びも本気で夢中のときほど、子ども時代の自分の姿や不思議さとの出合いが多いような気がします。映画ではないですが、自分の「スタンド・バイ・ミー」を振り返ることによって、今の子どもたちと自分の子ども時代と重なる部分もあることに気が付くのも年を重ねてきているせいでしょうか。

平成31年2月1日

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