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更新日:2021年2月24日

コラム「こんにちは、アシストです」(2019年6月号)

「もん(門)のうち(内)」~黒田調査員~

私が小学校3年まで住んでいた佐賀市の横小路地区には、『もんのうち』という空地がありました。はっきり分かりませんが、昔大きな家がなくなり門だけが残ったので、子どもたちが勝手に遊び場にして誰言うとなく呼ばれていたようです。そこでは、かくれんぼ・缶けり・にくだん・メンコなどで子どもたちがわいわい遊んでいました。

当時は10円あれば一日遊べました。まず5円でガム・甘納豆のくじを引き、次にカンシャク玉、巻玉鉄砲(火薬)、2B弾を残りの5円で買いました。買ったものを持ち寄り『もんのうち』で使いましたが、火薬の破裂音でかなりうるさかったはずなのに、大人から注意されたことはなかったと思います。

小学校では何をして遊んでいたのかと思い出してみると、「長(なが)馬飛(うまと)び」が昼休みの「日課」でほとんど毎日、男子全員の参加です。クラスの男子を二手に分けて、片方が馬を作りもう一方がどんどん飛んでいきます。飛んだらみんなで揺さぶり馬がつぶれたら、もう一回飛べます。馬飛びが原因でけんかになった記憶はありませんし、当然いじめも全くありません。

地域での遊びの延長で、学校の遊びがあったような気がします。誰も勉強していないので、勉強によるイジメもないし、みんな貧しく子ども一人ひとりを比べるものが何もなく、平和な子どもの社会で大人社会の影響を受けず、独自の子ども文化があったと思います。

小学4年の秋、1964年東京オリンピックの年に会所小路地区へ引っ越したので、『もんのうち』はその後どうなったか分かりませんが、小学校時代の遊びと交友関係は、大事な私の思い出です。

今の時代は、1人または2人でのゲーム遊びが中心であり、集団の遊びではありません。放課後は学習塾・スポーツ等の習い事で、いっぱい一杯です。

大人が求める、あまりにも多くの「課題」で押しつぶされそうな子どもの姿しか私には見えませんが、皆さんはいかがですか。

道徳の本の中で「まずは友達の話をじっくり聞いて見ましょう」とあり、『話の聞き方のあいうえお』あ、い(相手の目を見て)・う(うなずきながら)・え(えがおで)・お(おわりまで)、と書かれていましたが今の子どもたちにそのような余裕がないことが問題です。かつてのように外に出て、みんなとわいわい遊ぶ子どもの姿を見てみたいと思うのは私だけでしょうか。

 

 

令和元年6月3日

 

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