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更新日:2026年9月1日

令和8年度「札幌市平和訪問団」派遣報告

「平和へのメッセージ」優秀賞受賞者及び入選者のうち6名(小学生・中学生・高校生各2名)で広島県を訪問し、戦争や原爆について学んだ平和学習の成果を、令和8年8月14日に札幌駅前通地下歩行空間で開催した「札幌市平和のつどい」において報告しました。

派遣先

広島県

派遣期間

令和8年8月4日(火曜日)~8月6日(木曜日)

派遣者

令和8年度「平和へのメッセージ」優秀賞受賞者及び入選者のうち6名(小学生・中学生・高校生各2名)

札幌市平和訪問団の旅程

8月4日(火曜日)

朝、市役所に集合。市役所から新千歳空港へ。新千歳空港から羽田空港を経由して広島空港へ向かいました。広島空港到着後は、広島平和記念資料館・平和記念公園を見学しました。

平和記念公園平和記念資料館

8月5日(水曜日)

午前中は、宮島で厳島神社などを見学した後、午後は「平和学習の集い」に参加し、被爆体験講話を聞いたほか、他の都府県から広島に訪問している同世代と意見交換などを行いました。

平和学習の集い1平和学習の集い2

8月6日(木曜日)

最終日は午前中に平和記念式典に参列した後、広島空港に向かいました。広島空港から羽田空港を経由して新千歳空港へ。新千歳空港にて、解散となりました。

平和記念式典

「札幌市平和訪問団」広島派遣報告内容

「平和のつどい」において平和訪問団が報告した内容を掲載します。

広島で学んだ平和

報告者:宮谷内彩さん(大谷地東小学校6年)

私は8月4日から6日までの3日間、広島を訪れ平和について学んできました。そこで学んだことの中から、特に印象に残った3つのことを紹介します。

一つ目は原爆ドームです。原爆ドームは、もともと広島県物産陳列館として建てられました。しかし、1945年8月6日、午前8時15分、広島に原子爆弾が投下され、建物は大きく壊れました。実際に目の前で見ると、一発の原子爆弾によって多くの人の生活や町が一瞬で失われたことを考え、原爆の恐ろしさを強く感じました。

二つ目は、広島平和記念資料館です。そこには被爆した人々の衣服や黒くなった三輪車、原爆の熱や爆風につぶれた空きびんなどが展示されていました。それらを見て、「なぜ、こんなことになったんだろう」という疑問が浮かびました。原爆が落とされた理由や、その後何が起きたのか、そして二度と同じ事を起こさないためにはどうすればよいかを考えたいと思いました。

三つ目は、平和の鐘です。ガイドの方が「鐘に描かれた世界地図にないものは何でしょう。」という問題を出してくださいました。答えは「国境」でした。国境をなくし、世界中の人が平等であることを表しているそうです。また、鐘を人の手で打つのは、平和は誰かがつくってくれるものではなく、一人ひとりが努力して築いていくものだからだと教えていただきました。この話を聞いて私は、平和を実現するためには一人の力だけでなく、たくさんの人が協力することが大切だと思いました。

この3日間で学んだことを家族や友達にも伝え、相手の気持ちを考え、仲間と協力することを大切にしながら、身近なことから平和につながる行動をしていきたいです。

平和な未来へ

報告者:福士旦陽さん(北海道教育大学附属札幌小学校6年)

「当たり前ということが幸せだった。」この言葉に、今の当たり前の生活に感謝の気持ちが深まりました。これは、被爆体験証言者の梶本淑子さんの言葉です。梶本さんは、原爆が落ちて、爆発だと分かったとき、一番最初に思い浮かべたのは家族の顔だったそうです。そして、気絶した後に友人の悲鳴で目を覚まし、爆弾が落ちた数時間後、広島は地獄のような風景になっていたそうです。梶本さんも含め、子どもたちは、夢や希望、肉体をたった一発の原爆で消されてしまいました。

1日目に訪れた、平和記念公園と広島平和記念資料館では、ガイドのたけちゃんが言っていた、「一人ひとりに、夢、希望があること」「被爆体験者は今でも、原爆ドームから、熱い、熱い、と声が聞こえたり、川から80年前の子どもたちの声が未だに聞こえる」という言葉に、原爆が落ちる前と落ちたあとの情景が思い浮かぶほど原爆の規模が大きかったことがわかりました。

平和とは、一人ひとりが築いていくものだと思います。

まずは今回学んだことを家族や友人に伝え、伝えた相手にも平和について考えてほしいと思います。そして未来には、この世界から戦争や核兵器が無くなっていることを願っています。

二度と戻らないように

報告者:竹田愛梨さん(星置中学校3年)

今回の平和訪問団参加を通して、私は戦争の悲惨さと核兵器の悍ましさを深く感じることができました。広島原爆は国語や道徳の物語の題材となることも多く、知識として教えられる機会が何度もありました。しかし、それはどこまでいっても紙面上の話で、どれだけ被害が甚大だったか、そして被爆者の方やその親族の方々がどれだけ辛い思いをしたのかということを本当の意味で感じることはできていませんでした。ですが、実際に被爆した方の人物像や遺品を目の前にして、とても言葉には表現しがたい、重く苦しい気持ちになりました。

平和学習の集いで聞いた被爆者である梶本さんのお話は聞いていて心が締め付けられるような思いでした。生々しい情景が目に浮かび、どれだけ広島が地獄のようであったのか、どれだけ被爆者の方は苦しんだのか、そのようなことをお話を拝聴しながら考えていました。特に梶本さんの「孫が血液の病気にかかり、被爆した私のせいかも、と心を痛めます。」という言葉は強く印象に残っています。ご自身だけではなく、お孫さんまでも核兵器の影響が及んでいるかもしれないと考えることは非常に苦しいことだと思います。

梶本さん含め原爆の被害者の方は決して加害者ではありませんし、そのような思いをすることは断じてあってはなりません。原爆はその直後の被害だけではなく、後遺症や差別・偏見などで長い被害が被害者の方に降りそそぐ深刻な人災だと深く理解できました。

また、今まで教科書で習ったことがどれだけ浅い知識だったのかを思い知らされました。今回実際に被害を受けた方のお話を拝聴することができ大変貴重な機会だったと思います。被爆した方の痛みや苦しみを、戦争というものを経験したことがない私に決して理解できるはずがありません。それでもそのほんの一部でも理解できるよう努めることが次世代を担う私たちには必要だと思います。

未だ世界中で戦争が途切れなく続いています。しかし、戦争をやめようという意思があれば戦争なんて起こりません。それは実現不可能なことかもしれませんが、私は「戦争反対」の心得が世界の共通認識になることを心から願っています。

「平和」ってなんだろう

報告者:田中那奈さん(札幌開成中等教育学校3年)

皆さんは平和とは何だと思いますか?私は未だに上手く説明できません。ですが平和訪問団として広島を訪れ、平和について感じたことがいくつかありました。

まず平和記念公園に架かる相生橋の話です。橋はアルファベットのTに似ていることでアメリカ軍は研究を重ね、目標地点に定めたと聞きました。人の命を奪うために多くの時間が費やされたと考えると、胸が締め付けられるような感覚に陥りました。

また平和記念資料館では、放射線の影響で「死の斑点」と呼ばれる症状が現れた男性の写真が記憶に残っています。館内には被爆者の記録やエピソードがあり、「まだ生きたい」という思いが伝わってきました。しかしその男性の体には無数の斑点が広がっていました。目に希望はなく、たった一回の原爆が生きることそのものを苦しみに変えてしまう恐ろしさを実感しました。

展示スペースを抜けると被爆者証言ビデオコーナーがありました。添乗員の方に「メモをとっていいよ」と言われ、シャーペンを握りました。ところが私のシャーペンを握る手が動くことはありませんでした。それは原爆がなければ何気ない幸せな日々を送っていた人たちがいたこと、そして戦争の恐怖を痛感しても言語化できず、もどかしさを覚えたからです。

平和記念式典では国内外から多くの人が参列しており、平和を求める願いは世界共通だと実感しました。座席から眺めた平和の灯と原爆ドームが一直線に並ぶ平和の軸線は、「平和とは何か」という問いを次世代へ伝える意義を訴えているように感じました。

私は広島を訪れ、原爆が人の夢や未来まで奪ってしまったことを学びました。改めて平和について考え、言葉を失った瞬間があるからこそ、平和への責任を自覚できました。そして今、自分の言葉で他者へ伝えることが平和への第一歩だと信じています。

皆さんも平和とは何か、一緒に考えてみませんか?

ヒロシマを知ることは、未来を考えること

報告者:上瀧奈央さん(藤女子高等学校2年)

2年前、市の平和訪問団として長崎を訪れた私は、「知ることが平和への第一歩である」と考えました。その思いは今も変わっていません。しかし今回広島を訪れたことで、私は、知ることは平和への第一歩であり、その学びを未来へつなげるためには、自分自身の問題として考え続けることが大切なのだと気付きました。

広島を訪れるにあたり、私は事前学習として広島平和記念資料館の元館長が書いた本を読みました。その中で、資料館のリニューアルによって展示の考え方が、被害を客観的に説明するものから、遺品を通して「一人ひとりの死者と対話する展示」へと大きく変えられたことを知りました。そこには、被爆者が少なくなる時代だからこそ、来館者一人ひとりに平和を「自分自身の問題」として考えてほしいという願いが込められていました。

実際に資料館を見学したことで、私はその思いをより強く実感しました。展示された遺品は、単なる「物」ではなく、その人の日常や家族との思い出、夢や未来を伝えていました。亡くなった方々は「被爆者」という一つの言葉でまとめられる存在ではなく、私たちと同じようにそれぞれの人生を歩んでいた一人ひとりだったことを強く感じました。

「ヒロシマを知ることは、未来を考えること」という言葉が本の中に記されていました。私は、この言葉は過去の出来事を学ぶことだけを意味するのではなく、その学びを未来へどう生かすかを考え続けることだと受け止めました。被爆者の高齢化が進み、体験を直接聞く機会が少なくなっている今、伝承者や資料館の展示を通して平和を自分自身の問題として考え続けることが、私たちに求められているのだと思います。

この「当事者意識」を未来へどうつないでいくのか。私は、平和学習の集いで行われた全国の学生とのグループディスカッションで、大きなヒントを得ました。私たちは「日常でできる、平和を築くための行動」について意見を交わしました。国家間の外交を個人がすぐに変えることは難しくても、私たちの日常にはできることがたくさんあります。例えば、ニュースやSNSの情報をうのみにせず、その背景や複数の視点を自分で調べ、考えること、自分とは異なる意見や価値観を尊重すること、そして身近な人と誠実に向き合うことです。戦争が人々の意識や選択の積み重ねによって起きてしまうのなら、平和もまた、私たち一人ひとりの日常の小さな行動の積み重ねによって築かれるのだと強く実感しました。

広島で得た学びと、仲間たちとの対話を一過性の経験で終わらせるつもりはありません。「ヒロシマを知ることは、未来を考えること」という言葉を胸に、これからも平和を自分自身の問題として考え続けたいと思います。そして、その学びを日常の行動へとつなげることで、平和な未来の実現に貢献していきたいと考えています。

あたり前があるという事

報告者:市川詩乃さん(札幌手稲高等学校1年)

皆さんは、これから一秒後に今の日常が崩れるかもしれない、と考えた事はありますか。

私は、この広島訪問に参加するまで、そのようなことを日常的に考えた事はありませんでした。戦争や原爆については、学校の授業や本から学んできました。しかし、それはあの出来事を知識として理解しているだけであって、本当の意味で「知る」事とは違ってたのだと気づきました。その場所へ足を運び、実際に見る事、体験した方の話を聞く事で初めて「知る」事ができるのだと。

広島平和記念資料館では、展示されている資料や遺品から、原爆が人々の日常を、人生を一瞬で奪った事を、身に沁みるほどに理解させられました。平和記念公園を見学した時、ガイドをして下さった方が、平和の鐘の前で「鐘は自然には鳴らず、人が撞いて初めて鳴る。平和も自然には創られず、人が創ることで初めて成るんです」と仰っていたのを聞き、その言葉が強く印象に残りました。

被爆した方の講話では、原爆が落ちた瞬間やその後の実際の様子が語られ、経験したからこそ紡ぐことのできる言葉の重みがありました。他校の生徒との交流では、今迄の自分には無かった考え方にも触れる事ができ、平和一つにしても、一人一人の思う「平和」がある事を改めて学びました。

一分一秒先の事は、誰にも分かりません。それは81年前も今も同じ事です。それなのに私たちは、今日が終われば明日が来ると、今の日常が続く事を疑わずに生きています。

広島で見て聞いて、その「当たり前」は決して当たり前ではないのだと気付きました。明日が来ると信じられる事。何気ない日常を「いつも通り」と思える事。それはとても幸せな事なのだと。その幸せを忘れず、誰もが明日を当たり前に迎えられる世界であり続けるために、誰もが「平和だ」と思える世界が創られるために、これから私たちはどうすべきなのかを考え、行動していきたいです。

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