ホーム > 市政情報 > 政策・企画・行政運営 > 平和都市さっぽろ > 交流事業 > 令和7年度「札幌市平和訪問団」派遣報告
ここから本文です。
「平和へのメッセージ」優秀賞受賞者6名(小学生・中学生・高校生各2名)で広島県を訪問し、戦争や原爆について学んだ平和学習の成果を、令和7年8月15日に札幌駅前通地下歩行空間で開催した「札幌市平和のつどい」において報告しました。
広島県
令和7年8月4日(月曜日)~8月6日(水曜日)
令和7年度「平和へのメッセージ」優秀賞受賞者6名(小学生・中学生・高校生各2名)
月日 | 内容 |
---|---|
8月4日(月曜日) |
朝、市役所に集合。市役所から新千歳空港へ。 新千歳空港から羽田空港を経由して広島空港へ向かいました。 広島空港到着後は、広島平和記念資料館・平和記念公園を見学しました。 |
8月5日(火曜日) |
午前中は、宮島で厳島神社などを見学した後、午後は「平和学習の集い」に参加し、被爆体験講話を聞いたほか、他の都府県から広島に訪問している同世代と意見交換などを行いました。 |
8月6日(水曜日) |
最終日は午前中に平和記念式典に参列した後、広島空港に向かいました。広島空港から羽田空港を経由して新千歳空港へ。新千歳空港から市役所へ戻り、解散となりました。 |
「平和のつどい」において平和訪問団が報告した内容を掲載します。
報告者:橋本和花さん(福住小学校6年)
みなさんは家に帰った時、家族から「おかえり」と言われることに幸せを感じたことはありますか?私は今まで当たり前のことだと思っていました。しかし今回、札幌市平和訪問団として広島を訪れ、平和な毎日は決して普通のことではない、かけがえのない大切な意味があることに気づきました。私にそう気づかせてくれたのは、広島平和記念資料館の展示の数々、そして実際の被爆者である笠岡貞江さんの言葉です。
8月4日、広島平和記念資料館を訪れました。原爆の熱線と爆風のせいで皮膚がただれながらも水を求めて歩く人々、ぐにゃりと折れた鉄骨、一面焼け野原となった町、たった一発の原爆によって思わず目をそむけたくなるほど悲惨に変わり果てた広島の姿が展示されていました。その上、原爆が落とされ、炎が収まった後にも悲劇は続きました。それは黒い雨です。空気中に残っていた原爆の放射性物質を含んだ雨が原爆投下による直接の被害を免れた人々の命まで奪ったのです。私は悲しみと戦争を、そして原爆を許せない気持ちでいっぱいになりました。広島の地で起きたこの地獄のような出来事を知り、絶望に近い気持ちにもなりました。
翌日の5日、日本各地から集まった小中高生と一緒にピースフォーラム(平和学習の集い)に参加しました。そこで笠岡貞江さんから80年前の広島で被爆した時のお話を聞くことができました。笠岡さんは原爆でご両親を亡くしました。そして家族からのおかえりを聞けることがどれほど幸せなことであったのかを深く、深く感じたのだそうです。1945年の終わりまでに原爆により亡くなった人たちは約14万人にまで上りました。その一人一人に家族がいたのです。8月6日も、いつも通りのおかえりが言えると、おかえりが聞けると信じていたはずなのです。数えきれないほど多くの人たちの当たり前の日常、幸せを、戦争が、原爆が奪ったのです。
私には「おかえり」と言ってくれる家族がいます。「おかえり」と言える家族がいます。この何ものにも代えることができない平和、幸せを日本はもちろんのこと、世界中の人々が大切にしていかなければならないと思います。そのために私ができること、それは今回の訪問で学んだ戦争や原爆の恐ろしさを忘れないこと、今の日本にある日常の幸せにあらためて目を向けること、そしてこの幸せがこの先も続くよう、世界中に広げていけるよう希望を持ち、そのために必要なことを真剣に考え、行動していきます。
報告者:縄乃々香さん(資生館小学校6年)
今年の北海道は6月の終わり頃から真夏日が続き、夏休みの今も異常な暑さが続いています。この暑さで汗が涙の様に落ちる夏の日、私が思い浮かべたのは80年前の8月6日、広島の人たちのことでした。あの日の広島もきっと同じように暑かったはずです。しかし、そこで起きたことはこの暑さよりもはるかに苦しく悲しい出来事でした。私はその夏を自分の目で見て感じたいと思い広島に向かいました。
広島で最初に訪れたのは広島平和記念資料館です。特に心に残ったのは「三輪車と鉄かぶと」という展示です。爆心地から1.5キロメートル離れた場所で遊んでいた伸一ちゃんという3歳の男の子の大切な三輪車と鉄かぶとでした。三輪車は朽ち塗装は剥がれ、金属は変形しており、見ただけで当時の激しい熱と衝撃を想像させます。説明文には、原爆で全身に大火傷を負った伸一ちゃんが、その晩、水、水と呻きながら亡くなったこと、そして伸一ちゃんのお父さんが三輪車と一緒に鉄かぶとを埋めたことが書かれていました。罪のない子供まで被害にあう戦争の残酷さに強い憤りを感じました。
2日目は宮島を訪れました。海の音やきれいな空気に心が落ち着き、厳島神社で手を合わせた時、こんな穏やかな日が続いて欲しいと願いました。平和だからこそ美しい場所が守られ、人々が安心して訪れることができるのだと実感しました。
3日目は平和記念式典に参加しました。8時15分、鐘の音が響きました。その後、広島の小学生代表の「いつか訪れる被爆者のいない世界、同じ過ちを繰り返さないために多くの人が事実を知る必要があります。」という言葉から始まる平和の誓いを聞き、未来の子供たちに平和な世界を手渡したいと思いました。
私は昨年、長崎の式典に参加し、今年は広島を訪れました。どちらの街も現在は元気な人々の声があふれており、人の強さと平和の大切さを感じます。将来、子どもに戦争って何?と聞かれたら、私はあの日見た、焼きただれた三輪車や、資料館で見た昔の広島や長崎が、建物も人も何もかも失われていたこと、爆心地の空を見上げた時に感じたショック、そして静かに手を合わせる人々の姿を語ります。小さな声でも戦争の悲しみと平和の尊さを語り続けることが未来を変える第一歩だと信じています。私はその語り手になります。そして訪れた記憶を忘れず、次の世代へ受け継いでいきたいと思います。
報告者:蝦名美音さん(藤野中学校3年)
私は今まで平和とは何か?戦争ってどうして起こるの?という疑問を持ったことがありませんでした。家族や友達とも平和について話し合う機会は少なかったです。きっかけとなった出来事は、学校で配られた平和へのメッセージの募集要項でした。平和についてを調べていくにつれ、戦争や原子爆弾のことに興味を持ち始め、家族で平和のこともよく話すようになりました。私が制作した平和へのメッセージは、今私たちが感じている幸せがどれほど大切なものなのかを知ってほしいという願いを込め、平和訪問団の一員として、広島でも平和に関する知識をたくさんつけ、自分なりの平和への道を探したいと思いました。
初めに訪れた広島平和記念資料館では、実際の被爆者の遺品や写真、爆風で崩壊した建物の一部が展示されていました。まるで当時の広島に戻ったようです。特に印象に残った展示は、のどが渇いた女性が空から降ってくる黒い雨を飲んでいる様子の絵です。黒い雨は放射性物質を含んでいたため、飲んだり浴びたりするだけで火傷や白血病などになってしまいます。女性の行動は原爆による苦しさがどれだけ大変なのかを感じ取ることができました。もともと栄えていた広島が原爆によって一瞬のうちに黒く変化してしまった事実は、核兵器がいかに恐ろしいものであるのかを強く濃く表しています。
次に訪れた平和記念公園では、公園の中心部分に広島平和都市記念碑があり、「安らかに眠ってください。過ちは繰返しませぬから」と刻まれています。これは戦争という過ちを再び繰り返させずに、過去の苦しみや悲しみを乗り越えて、世界中の人々の共存と繁栄を願った文章です。また、広島平和都市記念碑は平和記念式典でも使用されます。平和記念式典では年齢や国籍も異なる様々な人々が参加していました。そこで記憶に残ったことは、子ども代表の平和への誓いや平和宣言などで、自分たちにできることとは何かという内容が含まれていたことです。喧嘩をした時に話し合いで解決する、平和や戦争について考えるなど、一人一人の身近な取り組みが平和への一歩だということを改めて実感しました。
これらの平和訪問団の活動を通して「世界中の一人一人が平和への興味を持ち行動すること」という自分なりの平和への道の答えを見つけることができました。そのため、これからも平和についてを学び続け行動し、この世界が平和になることを祈っていきます。
報告者:福谷菜央さん(西岡北中学校3年)
私は平和を願う絵やメッセージを描くことで、世の中が少しでも明るい方向に向かったら、人や動物ももっと生きやすくなるだろうなという思いを込めて今回この作品を作りました。この思いを持ち、私は8月4日より平和訪問団として広島を訪問しました。
訪問した場所はどこの場所も学ぶ内容にとても関係があり、貴重な時間となりました。特に8月5日にあった平和学習の集いでは原爆による被害、そして原爆投下の際に現地にいた方の被爆体験の話を詳しく聞き、強く印象に残りました。原爆による放射線、爆風、熱線、様々なものによって多くの命が奪われ、中には障がいが残り、心と体に大きな傷を負ってしまう人もいたと言います。被爆体験の話をしてくださった笠岡貞江さんは、原爆投下後に体に異変が起き、体調不良も続いたそうです。当時、中学生だった笠岡さんは兵隊や国のために働き、建物疎開などを手伝っていたという話を聞いて、中学生の私は昔と今の学生の違いに大きな衝撃を受けました。その後、被爆者の人たちは被爆者差別を受け、笠岡さんも就職や結婚の差別にあったといいます。この差別問題は昔だけではなく、現在でも色濃く残っていると私は強く感じます。被爆体験講話後に、それぞれ違う県から参加して来た人達とグループになり、現在、平和でない状態とはなにかというテーマについて話し合いました。その際に差別問題について触れ、人種、男女平等、障がいなど多くの意見が出ました。差別はなくそうと思ってもなかなかなくせず、完全にはなくならないものだという意見が出て、とても共感し同時に解決するための難しさを痛感しました。
今回の訪問を通して、原爆の恐ろしさ、被爆者の方の自身の身に起きたことなどを深く知り、今までよりも平和についての知識がつきました。広島の人達の思いを決して忘れず、家族や友達と笑えて過ごせることに感謝し生活をしていきたいです。
報告者:向田菜々華さん(札幌東高等学校2年)
広島で私が学んだことは、実際に体験することの重みです。広島に行く前の私は、教科書上の知識でしか原爆を知りませんでした。しかし、広島の平和記念資料館で教科書には載せられない程の当時の生々しい写真や遺品が展示されていました。惨状がありのままにさらけ出された展示に、見ていくうちにじわじわと心身を蝕まれる心地がしたほどです。
それほどまでに鮮烈だった資料館ですが、翌日の被爆者の方の講演で、私は資料館を上回るほどの衝撃を受けました。資料館に比べて露骨で刺激的な写真が出されることはなかったにもかかわらず、なぜかもっと強烈にショックを受けました。人の声で直接聞くことの影響力を思い知った出来事でした。また、広島と北海道以外から参加していた生徒たちとのディスカッションでは、受けてきた平和教育の内容も量も異なる人と意見交換をすることができました。さらに札幌のメンバー内でもたくさんの刺激を得ることができたので、参加させてもらえて本当に良かったと思いました。
私は今回の体験から今後実行したいことが2つあります。1つ目は、個人的な人や国などへの印象を他人に押し付けないことです。2つ目は、聞く側の時にその話が全てだと思わないことです。実際に自分であって考えて判断していきたいです。ここで私たちに被爆体験をお話ししてくださった方の言葉をお借りします。大切なのは自分の意見を伝えること、そして相手の意見も聞くこと。一人二人ではなく、大勢の意見を聞くこと。この時、多数決では決めずに一つ一つを解釈し、話し合うことが大切です。加えて、各々が別の場所でも共有すれば、輪が大きくなります。話し合いがまとまらないときは、結論が出るまでもっと多くの人に意見を聞き、もっと輪を広げて下さい。ここまで私の話を聞いてくださりありがとうございました。次はあなたの話を聞かせてください。
報告者:木村琉々夏さん(札幌旭丘高等学校3年)
1945年8月6日8時15分、広島は一瞬のうちに壊滅しました。鉄が溶けるほどの熱、ガラスを粉砕する爆風、一面が真っ赤な炎に包まれ、空には黒い雲が立ち上ります。ある人は全身に火傷を負い、皮膚はただれ、ある人は崩れた建物の下敷きになりそのまま炎に包まれ、またある人は放射能により血を吐き髪が抜け、日に日に悪化する症状に絶望しました。この惨状を目にした人々は、これを地獄と形容するほかありませんでした。それでも、その地獄の中でためらいながらもシャッターを切った人、現実を描いた人、語り継ごうとした人がいました。
私は食べ物に困ったことも、家が突然なくなったことも、多くの家族や友人を失ったこともありません。でも彼らはそれらの苦しみを一度に背負わなければならなかったのです。私はそんな苦しみを抱えたまま生きていくなんて想像できませんでした。それでも彼らは目を背けたくなるような地獄を記録し続け、伝え続けることをやめませんでした。こんなことはもう二度とあってはならないという思いで。
私はこれまで平和だと思い込み、見ないふりをして生きていました。戦争や原爆など自分には関係ないと考えることを放棄していました。しかし、当時の写真や絵、遺品そして被爆者の声に触れ、気づきました。私はこんなに悲惨な歴史の上に漫然と横たわっていたのだと情けない思いでいっぱいになりました。そして私は立ち上がらなければならないと強く思いました。
戦後80年、被爆者や戦争を経験された方から直接話を聞ける機会は確実に減っています。だからこそ、私たちが使命を受け継ぎ、伝えていかなければなりません。平和は待っていれば訪れる当たり前のものではありません。多くの人々の不断の努力の上に成り立つものです。私たち一人一人が平和を思い、今も世界のどこかで誰かが苦しんでいることを知り、行動することが必要です。まずはあなたが大切な誰かの平和を願うこと、それが世界の平和への一歩になります。次の世代、また次の世代へと繋がっていくような平和を実現できる日が一日でも早く訪れてほしいと心から願います。
このページについてのお問い合わせ
Copyright © City of Sapporo All rights Reserved.