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「平和へのメッセージ」優秀賞受賞者6名で沖縄県を訪問し、沖縄戦について学んだ事を「札幌市平和訪問団派遣報告動画」で報告します。今年度は、札幌市平和都市宣言30周年である事に加え、札幌市制100周年及び札幌オリンピック開催から50周年を迎えた節目でもあるため、募集対象を例年小学5年生~中学生までのところ、高校生まで拡大して募集し、小学生・中学生・高校生を各2名ずつ派遣しました。
沖縄県
令和4年7月26日(火曜日)~7月28日(木曜日)
令和4年度「平和へのメッセージ」受賞者6名(小学生・中学生・高校生各2名)
月日 | 内容 |
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7月26日(火曜日) |
朝、市役所に集合。市役所から新千歳空港へ。 新千歳空港から羽田空港を経由して那覇空港へ向かいました。 那覇空港到着後は豊見城市にある旧海軍司令部壕を見学しました。 |
7月27日(水曜日) |
午前中は、本部港から沖縄戦の戦跡の残る伊江島にフェリーで渡り、島内にあるニィヤティヤガマ、城山、公益質屋跡を見学し、午後は、沖縄本島南部を中心に、沖縄県平和祈念資料館・平和の礎、ひめゆり平和祈念資料館を見学しました。 |
7月28日(木曜日) |
最終日は午前中に首里城公園を見学した後、那覇空港に向かいました。那覇空港から羽田空港を経由して新千歳空港へ。新千歳空港から市役所へ戻り、解散となりました。 |
動画でも紹介しております、各平和訪問団の報告内容を掲載します。
報告者:佐渡櫂人さん(札幌市立新光小学校5年)
「心で事実を受け止めた平和祈念資料館」
あたたかく美しい沖縄。青い海が印象的な沖縄。沖縄県平和祈念資料館はそんな沖縄の決して忘れてはいけない過去を、生々しく展示している貴重な資料館です。
そこには戦争が起こったきっかけから戦後の米軍統治や復帰運動までを五つの部屋に分けて、くわしく展示されています。
僕は、住民の惨劇を地下のガマと地上に分けて生々しく展示している第三室で日本で唯一の地上戦が行われた沖縄の想像以上に厳しい生活と現実を目の当たりにしました。人々が戦争にふりまわされ、悲惨な状況に追い込まれていったことをとても悲しく思います。まさにそれは地獄の戦場だったに違いありません。
また、遺体の写真が大きなボードにはられた展示を見て、「美しい沖縄で、こんな悲惨な事が起きたなんてあまりにもひどすぎる。」と僕は胸が締め付けられました。でもこれは決して目をそむけてはならない事実なのです。
僕は今年の春、平和へのメッセージをきっかけに、はじめて戦争に向き合いました。その時も、そして沖縄で学んだ今も、戦争というあまりにも大きな力の働きに、恐怖とともに「無力さ」を感じます。
それでもやはり僕は、今、平和を願わずにはいられません。沖縄を訪れ、頭ではなく心で事実を受け止めた時、本当の意味での「平和の尊さ」に気付くことが出来ました。
「知って、思いを寄せて、願う事。」これが今、僕たちに出来ることなのだと思います。
「一人一人の力で出来ることは小さくても、未来をつくる僕たちみんなが平和を望み、希望をもって世界中の笑顔を願い続けることで、いつかそれが叶う!!」僕は心からそう信じています。
報告者:三浦ももかさん(札幌市立月寒東小学校5年)
「私の決意」
私は「戦争について、賞をとったみんなと一緒に、たくさん学べたらいいな。」と、そのくらいの気持ちで沖縄へ向かいました。
ひめゆり平和祈念資料館を見学したのは、沖縄訪問、二日目でした。この日、糸満市で見学した、ひめゆり平和祈念資料館が、私にとって一番戦争の悲惨さ、戦争の恐ろしさを教えてくれました。当時の様子や、経験者の方のお話など、戦争についての多くを、私はこの資料館で学びました。今までに考えたこともなかった戦争の現実に、心がぎゅっと締め付けられるような感じがしました。経験者の方のお話を聞いていると、情景が頭の中に浮かび、戦争の世界に、まるで私が一人立たされているようでした。
経験者の方のお話の中でも、特に印象的だったのは、当時の兵士さんや、ひめゆり学徒隊のみなさんの、戦争で負った、心と体の傷のお話です。戦争で負ってしまった体の傷は、戦争が終わった後も、戦争を忘れることが出来ないほど、悲惨なものだったそうです。それを受け入れて生きていくには、心に想像出来ないほどの、深い傷がついたんだろうなと、私はとても胸が痛くなりました。
私は、この沖縄で過ごした三日間で、「本当の」戦争の悲惨さと、辛さを知ることが出来たと感じています。学校の授業や、教科書だけでは、決して学ぶことが出来ない戦争の怖さを、この沖縄訪問を通して学ぶことが出来ました。私は、今過ごしている平和が、この先も限りなく永遠に続くよう、私の作品と共に、強く願い続けようと思っています。
報告者:伊藤栞さん(札幌市立月寒中学校3年)
平和訪問団として沖縄に行った際、私が学んだことは戦争は二度と起こしてはならないということです。これは一見当たり前に聞こえることかもしれませんが、今回の訪問を通して改めて平和の大切さや尊さについて考えました。
伊江島は、1945年4月16日から21日まで、「六日戦争」と呼ばれる日米の激しい戦争があった島で、負傷した人が沢山いた島でもあります。その戦争の激しさを物語る「公益質屋跡」という建物を見ました。
この建物には、銃弾痕や砲撃痕などといったものが現在も唯一残っている建物です。建物を実際に見てみるとその戦争の酷さや自分がもしこのような戦争に巻き込まれていたらという考えが頭をよぎりました。また、実際に見るのと、資料で見るのではやはり大きな違いがありました。
戦争から77年経った今、伊江島は、景色が美しい元の島へとなりました。ここまでくるのにどれ程の時間と多くの人が関わったのかは想像出来ません。また私は、高台から島を見渡した時、「こんなにも綺麗で美しい島で何故戦争が起こってしまったのだろう」と思いました。
平和な日常はいつどこで終わってしまうのかは誰にも分かりません。ですが、その平和な日常を続かせることができるよう私達に何が出来るかを考え、また行動を起こすことが大切です。戦争を経験していない私達にとってあまり想像することが出来ないかもしれませんが、これからもその経験がないようにするために今出来ることを少しでもするべきなのだと思いました。
報告者:塚田心音さん(札幌市立中の島中学校3年)
私にとっての平和の定義は戦争をしないことだと思っていました。ですが、今回の沖縄訪問を通して本来の平和とは戦争をしないことだけでなく、もっと深いことなのだと感じました。
沖縄では、一日目に旧海軍司令部壕を訪問しました。そこでは77年前どのような戦争があったのかを学ぶことができ、戦争の残酷さや、今後平和をつくり続けるためには、今私達に何が必要なのかを改めて考えさせられるような出来事を沢山知ることが出来ました。旧海軍司令部壕の地下では、実際に人の手だけで掘られたトンネルについてなど、そこでは何があったのか、そしてどのようにして人々は生き延びてきたのか、話を聞くだけで心が痛くなるような出来事を学ぶことが出来ました。今回、旧海軍司令部壕に行くまでは、戦争の重みや今後どう平和をつくっていけばいいのかなどと軽い気持ちで考えていた部分があったのですが、沖縄訪問を通して改めて平和とは何かを考えてみると、もちろん戦争をしないことが一番ですが、私達の生活では好きな物を食べられて好きな時に寝れて好きなことができて、そういった当たり前のことが出来るのが平和なのではないかなと私は思いました。77年前は、地下壕でおびえながら死体がある中で過ごしていたのかと思うと、今となっては考えられないほど残酷で辛い出来事なのだと感じました。
北海道と沖縄での平和は全然違うものなんだなと思いました。歴史の教科書には色々な戦争や歴史のことが書かれていますが、教科書を読むより、実際に見て感じることの大切さを今回の沖縄訪問で学びました。
報告者:髙橋沙季さん(学校法人創志学園クラーク記念高等学校3年)
私は今回実際に沖縄へ行き、改めて平和がどれだけ尊いものかを考えることが出来ました。皆さんは平和とはどういうことだと思いますか。平和な未来を創るためにはどうしたらいいと思いますか。私は自分には未来を創る力なんてなく無力だとばかり思っていました。ですが沖縄での学習の中、平和について深く考え、私達の身の周りにも出来ることが沢山あるのだということに気付きました。
一つ目に、私達の使命を果たすことです。沖縄で見た輝くような青い海や、潮風の心地よさは戦争があったことを忘れてしまいそうになりました。そんな今は、沢山の尊い命の上で成り立っているということを学び、考え、戦争を風化させずに後世に繋いでいくこと、これは私達にとって大切な使命なのだと気付きました。実際に当時の貴重なお話を聞かせていただきましたが、人の命を、心を奪った戦争のお話はとても胸が痛くなりました。それと同時に、日本兵の行ったことや今も残る問題から、目を背けずに向き合わなければならないと思いました。戦争がどれだけむごいことであるかを改めてしっかりと受け入れたとき、はじめて戦争について少し学んだと思います。自分がどれだけ戦争について無知なのか思い知りました。当たり前の日々の尊さをもっと知らなければならないと思います。
二つ目に私達に出来ることは、認め合うことだと思います。性別や年齢、国籍や文化の違い、そういった小さな違いを認め合うこと。そんな小さなことでも平和な未来を築いていく一歩に繋がるのです。
過去の出来事はなくなりませんが、過去を学び努力を重ねれば未来は変えることが出来ます。是非身近な人と戦争やこれからについて話し合ってみてください。そして是非、私達の出来ることに目を向けてみてください。
最後にこのような学習の場を設けてくださった方にお礼申し上げます。今回の学習は私を大きく成長させてくれた、貴重な経験です。
日々辛いことや、困難があってもへこたれずに強く生きていこうと思います。
報告者:髙口ののかさん(市立札幌開成中等教育学校4年)
一体どのようにして人々は戦後から平和を目指して行動してきたのだろう。どのようにすれば私達は平和な世界を目指せるのだろうか。平和について考えるたびにそんな気持ちが思い浮かんでいました。その気持ちの答えを少しでも見つけるために平和訪問団として参加しました。
沖縄では色んなことを見てきました。旧海軍司令部壕で間近に見た弾痕や、戦場で実際に使われた大人の身長よりも長い武器。入口付近に飾られている、過去を偲んで未来の平和を願い丁寧に折られた千羽鶴。
伊江島で見た砲撃された当時を残す質屋跡と、城山の頂上から見た美しい景色。
平和祈念公園・沖縄県平和祈念資料館で見た、戦争当時に沖縄県民の人達が強いられた日本らしさと平和の礎に備えられた花束。
ひめゆり平和祈念資料館で見た、私と同年代の人達が戦時中の派遣先でしてきたこと。生き残ったひめゆりの学徒さんが資料館を建てるにあたって込めた平和の大切さ。
このように千羽鶴や花束、きれいな景色など、人々が平和を願う気持ちが込められたもの、人々の手によって守られてきたものが必ず戦争と深い関わりがあった場所の近くにありました。
どのようにして戦後から平和を目指したのか、どのようにすれば私たちは平和な世界を目指せるのか。ありきたりになってしまうかもしれませんが、この問に対して私は、起きた戦争のことを学び、忘れずに後世へ伝えていくこと、そして思想のぶつかり合いで起こる戦争を繰り返さないためにも、多くの人の立場から物事を考えて自分の意思を持つことが答えではないかと考えました。終戦から現在まで平和の大切さを伝えてくれた先人の思いを今度は私たちが未来の平和のために伝えていきたいです。
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