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更新日:2021年3月8日

市民憲章作文コンク-ル

平成17年度作文コンクールの入選者名

 市民憲章に対する意識の高揚を図るため「札幌を住みよいまちに育てていくためにどのようなことを心がけ、実行したらよいか」等をテ-マに、市内各小・中学校を通じて作品を募集しました。

 時計台賞

■ 藤野小学校    1年   伊田 晃都くん      さっぽろの町やこうえんをきれいにしよう  作文を見る

■ 手稲中学校    1年   菅原 紗也香さん    札幌軟石をたずねる小さな旅  作文を見る

■ 北辰中学校    1年   巳野 芽衣さん      スローライフ二十四の現場  作文を見る 

 優良賞

■ 月寒小学校    4年   松館 由梨さん     すてきなあいさつ  作文を見る

■ 新川中学校    1年   中野 愛理さん     私が家族にできること  作文を見る

■ 北辰中学校    1年   永野 来実さん     札幌市民憲章第五章を読んで  作文を見る

■ 真駒内曙中学校 2年   工藤 泰葵くん     札幌市民として生きる  作文を見る

■ 平岡緑中学校   3年    賀好 史織さん     人と緑が共に生きる街  作文を見る

 努力賞

■ 平和通小学校   2年   竹山 結花さん     モエレ沼公園  作文を見る

■ 中央小学校    6年   齋藤 秀くん         えん筆に書かれたみんなの憲章  作文を見る

■ 平岡緑中学校   1年   小池 斐音さん     札幌市民憲章を読んで  作文を見る

■ 真駒内曙中学校 1年   野中 綾さん        緑の美しい街「札幌」  作文を見る

■ 藻岩中学校     1年    栃本 美穂さん     札幌市民憲章を読んで  作文を見る

■ 平岡緑中学校    3年    浮須 愛さん         きれいな街  作文を見る

■ 藻岩中学校      3年    小山 愛紀子さん    札幌市民憲章を読んで感じたこと  作文を見る 

 入選作品の紹介

時計台賞

 さっぽろの町やこうえんをきれいにしよう 藤野小学校 1年 伊田 晃都
 さっぽろは、おもしろい町だよ。こうえんがたくさんあって、いっぱいあそべるから、たのしいな。
 ぼくのいえのまえに、むつみこうえんがあるんだよ。学校からかえってきたら、むつみこうえんで、ともだちと、まちあわせをしてから、あそぶんだ。むつみこうえんのほかに、じてん車にのって、さわやかこうえんや、そよかぜこうえんとか、よつばこうえんに、あそびにいくんだ。
 学校でも、こうえんたんけんで、先生や、一年生ぜんいんと、ふじのの、いろいろなこうえんにいったよ。こうえんでは、リレーや、木のぼりや、おにごっことかをしたんだ。みんな、わらいながら、こおりおにとかをして、あそんだんだよ。
 さっぽろは、こうえんがおおい町だと、おかあさんが、いっていた。ぼくが、どうして、こうえんがすきなのかというと、ゆうぐが、たくさんあるからだよ。
 でも、一つだけこまることがあるんだ。それは、ゴミがおちていること。わざと、ゴミをおとしている人は、ダメな人。マナーをまもっていないので、こまるな。
 こうえんを、そうじしている人が、ゴミが多すぎて、こまっているよ。こうえんが、よごれていたら、おかあさんとか、きんじょの、おじいさんや、おばあさんたちが、そうじをするんだ。
 町ないかいのゴミひろいに、ぼくは、なんかいも、出ているよ。タバコのすいがらや、おかしのふくろや、ガムのつつみがみや、空カンとかがたくさんあって、ビックリしたな。ゴミが、こんなにすてられているなんて、おもわなかった。
 ぼくは、こうえんや、どうろに、ゴミをすてたことは、一どもないよ。これからも、ふじのや、さっぽろの町や、こうえんを、きれいにしよう。

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 札幌軟石をたずねる小さな旅 手稲中学校 1年 菅原 紗也香
 「あっ、あった!」デジカメを手に、思わず走り出す。マンションのあいだにどっしりと建つ石造りの蔵を見つけて、私は少し興奮ぎみだ。さっそく、特徴や印象を記録する。
 今、私は、『札幌軟石発掘大作戦』という活動に、母と参加している。市内に点在する“札幌軟石”の倉庫や蔵、塀などを、くまなく探し歩いてチェックし、地図に残そうという、ちょっと気の遠くなりそうな企画だ。私の担当は、中央区の路面電車の沿線を中心にした地域。屯田兵の開拓で、札幌でも早くから大勢の人が住み始めたこのあたりには、古い建物や懐かしい雰囲気の風景がまだ残されていて、うれしい発見も多い。
 去年、修学旅行で小樽へ行ったとき、私は歴史的建造物といわれる石造りの建物をいろいろ見学した。そのほとんどが札幌軟石でできていることを知り、札幌にも残っているのかなぁ?実際にこの目で確かめたい…」と興味を持って、冬休みには自由研究のテーマに選んだ。
 私ははじめ、札幌軟石=古くさい、というイメージを描いていた。ところが、このとき見た約30ヶ所の建物は、どれもかっこよくて魅力的なものばかり。札幌市資料館は、かつての裁判所にふさわしい風格をそなえていたし、八角形の塔をを持つ教会は、おしゃれでかわいい印象だった。ビルの谷間で見つけた蔵は、その重厚な扉が、まるでタイムスリップの入口のようにも見えた。
 私が意外に感じたのは、蔵や倉庫の多くが、喫茶店やレストランなどに再利用されていたことだ。こんなふうに“変身”しながら、札幌軟石の建物が街の中で生き続けていくというのは、なかなかステキだと思う。それに、質屋や商家の蔵、リンゴやタマネギの倉庫という元の建物の由来からは、昔の札幌の産業のようすを知ることもできて、おもしろい。
 この自由研究がきっかけで、私は『札幌軟石発掘大作戦』に参加することになった。札幌軟石のことを「もっとよく知ろう」、「もっと大切にしよう」、「もっと伝えていこう」と努力をされている方たちとの出会いは、学ぶことばかりだし、採石場の灰色の切り立った崖では「札幌軟石は地球が作り出したものだ…」と気づいて、ちょっと感動したりもした。
 『札幌市民憲章』には、「世界とむすぶ高い文化のまちにしましょう」ということばがある。札幌に住む私たちは、音楽ホールや美術館、札幌ドームなどで、いつでも芸術やスポーツに親しむことができるから、幸せだと思う。けれども、札幌の街づくりの歴史に深いかかわりのある文化にふれるということも、大切なのではないだろうか。
 札幌軟石をたずねる小さな旅――それは、私の知らない札幌を発見する旅でもある。さあ、これから、どんな“お宝”が待っているのだろう。なんだか、とてもワクワクする。

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 スローライフ二十四の現場 北辰中学校 1年 巳野 芽衣
 よく利用する地下鉄北24条駅周辺の迷惑駐輪。今まで置いても良かった所が、プランターを利用し、お花を飾るため駐輪禁止になる。それまで、駐輪誘導員のおじさんも、変わらず整列の仕事をしていた。新しく設けられた駐輪場も道路に乗りすてのような状態のや、駐輪場のまわりに置かれた自転車でいっぱいになってしまっている。私も利用するが、通路に雑然と置かれているため、なかなかすぐにはとめることが出来ない。それで、地下鉄も1本見送ってしまうことも度々です。
 ある、雨の日の部活の帰り道。その商店街の道は、雨の日でも相変わらず自転車がいっぱいで、すれ違う時に傘がぶつかるので、歩くのがやっとでした。ふと目をやると向こうに車イスの人が立ち往じょうしているのが見えました。電動車イスのハンドルが自転車のタイヤにはさまってしまって、身動きがとれなくなったのです。通りがかった人は、見て見ぬふり、私は助けに行こうと思いましたが、混んでいて、なかなか近づけないでいました。やっとそばまで行った時、近くのお店のお兄さんが気がつき、助けていました。目の不自由な人が杖を使って歩いている時、自転車にひっかかり、転びそうになっている人も見かけたこともあります。私の小2の妹もその道を自転車から降りておして歩いている時、とめている自転車にひっかかり、とめられている自転車がドミノ倒しのようになってしまったことがありました。あと、「歩きたばこ」をしている人とすれ違う時に身体にふれそうでコワイと思ったこともありました。
 「スローライフ二十四」と名付けられ、ユニークな俳句やきれいな花が飾られています。点字ブロックもありますが、その上に自転車が置かれてるのもあります。
 盲導犬の訓練をしている人を見た時もありました。その時は、自転車が障害物のように置いてあり、犬が立ち止まって大変そうでした。犬が立ち止まる度に、訓練士の方が、自転車を並べ直していました。
 駅から少し遠い駐輪場へ持っていくより、近くのお店の前にとめてしまうのでしょうが、それでとても困っている人が少なからずいるということをわかって欲しいです。どうしたらあの場所から自転車がなくなるでしょうか。もっと強く呼びかけるといいのだろうか。私ひとりの力では何の解決にもならないが、札幌のひとりの市民として、これからも市民憲章に書かれていることを私なりに感じて、考えていきたい。

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優良賞

 すてきなあいさつ 月寒小学校 4年 松館 由梨
 みなさんは、しっかりあいさつをしていますか。あいさつは大切です。なぜ大切かというと、あいさつは、たがいの考えや気持ちを伝え合ったり、色々な人と仲良くなるための第一歩になると思うからです。あいさつの大切さが分かれば、きっとあいさつをする人がふえると思います。
 私は、1年生の時に、人にあいさつをしたり、話をすることをさけていました。なぜさけていたかというと、そのころはとてもはずかしかったからです。学校に入学したばかりの時、思いきって、私から友達にあいさつしてみました。でも友達は、返事をしてくれませんでした。私はとてもがっかりしました。そして、もう、あいさつはしなくていいと思ってしまったのです。その時、相手もとてもはずかしかったのだと思います。今では、あいさつや話をする事をさけるのはいけない事だと分かります。なぜならば、はずかしい事や、苦手な事からにげてしまうのはいけないからです。
 「あいさつをしなくてはならない。」と分かったのは、3年生の時のことでした。
 担任の先生は、朝、教室に入った時に、にっこり笑いながら、クラス全員にあいさつをしてくれます。にっこりあいさつをしてくれるとなぜか、私も笑顔になり、心がほっと安心しました。私は、
 「なぜほっと安心するのだろう。」と考えてみました。
 「てきとうにあいさつをするのではなく、心からあいさつをしているからなんだ。」と思いました。そして、
 「私もそんなふうにあいさつしたいな。」と思うようになりました。
 その日から、私のあいさつを聞いた人が、ほっと安心するようなあいさつをしようと、努力し始めました。
 4年生になってからある人が、
 「由梨ちゃんのあいさつを聞くと、元気が出る。」と言ってくれました。その時、とてもうれしかったです。
 自分のあいさつを聞いて、「元気が出る」とか、「ほっと安心する」と言ってもらえたらうれしいです。
 これからも、元気が出るあいさつを続けていきます。一人でも多くの人があいさつの大切さを知ってほしいです。

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 私が家族にできること 新川中学校 1年 中野 愛理
 私は家族を、かけがえのないものだと感じています。小学校、高学年の頃の私は、親とあまり会話をしない、というのが普通の日常でした。それに、私自身も、好んで親と話をしようという気持ちはあまりありませんでした。学校のこと、習いごとのこと、友達と遊んだ時のこと、ずっとずっと、今まであった出来事を私はきれいに、心のどこかにしまってあったのでした。正直、楽しくもなんともありませんでした。私の中の家族が、「かけがえのないもの」になったきっかけは、ただたんに、普通に、自然に暮らしていたことなんです。       きっかけ、というよりはただ普通にしていただけのことなんです。小学校生活もあと少しとなり、「卒業」という言葉がよく耳に入ってきた頃、私は、何が変わったのかは知らないが、学校のこと、習いごとのこと、友達と遊んだ時のことを、口に出すようになってきたのです。もともと、親と話せなかった原因は、親が恐かったとか、そういうのではありません。お母さんが仕事で帰ってくるのが遅かった、というのも関係ないとは言えないけれども、ちゃんとした原因はわかりません。反抗期だった、とかならわかりますが、今の自分にはその時期の自分の気持ちはよく覚えていません。       卒業式がもう目前にあり、小学校からはなれる準備が着着とこなされてきていたこの頃、ただ、何かをしゃべっていくだけでなく、自分自身の気持ちにも変化が訪れてきたのです。「会話をするのが楽しいな。」という今までに考えもしなかった感情がこみあげてくるようになったのです。そして、小学校を卒業し、今までとは何もかも違う中学校へ通うことになるのでした。さほど緊張という言葉は気になりませんでした。私の学校のほぼ全員は、同じ中学へ通うことになるのだから。中学では部活が始まり、もちろん私は小学校からやっていたバスケットボールを続ける予定でした。       部活にも入り中学校のイメージが、「楽しい」というところから私の中学校生活がスタートしました。もちろん、楽しいイメージで私の心の中に入ってきた中学校は、家でも楽しいことが伝わるように話します。授業について、先生について、部活について。中学校に入り、ちょっとしたことにもおどろく私達にとって、中学校はとても新鮮でした。小学校の頃より話すことがどんどん増え、家族での会話が私には、中学校で吸収したものをはじけるように開花させる場となっていったのでした。小学校であった何かが、スゥと消えるのと同時に私は、授業について、先生について、部活について、 あと、もっともっとささいなことでも私は、目をきらきらさせて話すのでした。自分でもおどろくほどでした。会話をする、ということで、自分の気持ちがスッキリしたのか、勉強面でもなかなか納得のいく結果となりました。部活でも、どんどん良い方向へ向かっていってると思います。やっぱり、人と人との交流は大切なもので、その人自身も変えることが出来るものなのです。それに、会話をすることで、自分の気持ちをしっかり相手に伝えられ、相手も自分と同じ気持ちになり、その相手と親密になるとても良い方法です。 今の私にとっての家族は何のものにも変えられなく、出来る限りのことをやってあげたいと思っています。「私が家族にできること。」それは、家族に、私といると楽しいと思ってもらえるようにすることです。私は家族をかけがえのないものだと感じています。

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 札幌市民憲章第5章を読んで《札幌を音楽の街へ》 北辰中学校 1年 永野 来実
 私はHBCジュニアオーケストラに入団しています。ここでは以前にウィーンの有名な楽友協会のホールで演奏したこともあり、毎年キタラでの定期演奏会や区民コンサート、演奏旅行等を行っています。
 昨年の夏の演奏旅行では知床方面へ行きました。女満別は、気温30度以上の中クーラーもなく、立派なホールではありませんでしたが、満員のお客さんに楽しく聞いてもらえると実感しましたし、スタンディングオーベーションが出て、演奏したかいがあったなぁと思いました。
 女満別には10年間続いていた、オホーツク音楽セミナーというものがありました。それは女満別にあの有名な小林研一郎さんを始めとする多勢の方々がセミナーをするというもので、ただ単に演奏を聞くだけでなく、その演奏を楽しむ方法等も教えて頂いていたということでした。
 札幌にはキタラという立派で大きいホールがありますが、満員になることは多くないと聞きました。
 私は先日PMFの講師でウィーン・フィルの団員の方々の演奏を聞きに行きましたが、お客さんはごくわずかでした。けれど大通公園で演奏会をやっている時はとても多くのお客さんがいたといいます。もしかしたら札幌には聞きにいきたくても料金が高くて行けない人や、やっていることを知らない人がいるのかもしれません。また、せっかくPMFに参加するために外国の若い音楽家たちが札幌に集まってきているというのに市民との交流が少ないのはとても残念なことです。そのような方々が大通公園を始めとする、色々な所で簡単な演奏(路上ライブのようなのも)が無料で聞けるようになるといいと思います。
 こういうことを少しずつ広めていき、札幌には夏にとても楽しい音楽祭があると世界に広まっていくといいと思います。

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 札幌市民として生きる 真駒内曙中学校 2年 工藤 泰葵
 札幌市民憲章を読んで思ったことを今起こっている身近なことと結びつけて話していきたいと思います。
 僕の通っている中学校の近くに通称、神社公園と呼ばれる公園があります。その公園では、毎日いろんな子が元気よく遊んでいます。 道路を挟んで公園の反対側にはコンビニエンスストアがあります。それがこの公園の便利さで僕もよくジュースやお菓子などを買い、友達と休んだりします。 しかし、一つ不便なことがゴミの始末です。公園にはゴミ箱がなく、ゴミを捨てるには道路を横断してコンビニエンスストアに捨てにいかなければなりません。信号待ちも長く、 面倒くさいですが僕たちはできるだけ帰りにまとめて捨てることにしています。しかし、やはり面倒くさいのかポイ捨てしていく人たちもいます。きっとその中には僕の友達もいると思います。 それがとても残念です。きっとポイ捨てということを軽く見てるのだと思います。最近、ポイ捨てがものすごくひどいときがありました。ゴミは公園中に広がっていて、 見ていていやになる光景です。いつもの公園の姿はなく、静かで誰も遊んでいません。これが札幌の公園でいいのか?そう思っているのに、ゴミを拾わない自分がとても情けなく感じます。こんな公園が増えていけば、札幌市はとても寂れた街になってしまう。このとき、初めてポイ捨ての与える影響の大きさと札幌市民の現状を知りました。
 そうして何日か経ったある日、驚いたことに公園のゴミがきれいに片付いてあり、もとの公園の姿に戻っていました。誰がきれいにしてくれたかは分からないけど、その人は僕にとって札幌市民の鑑です。それからポイ捨てが少なくなりました。きっとポイ捨てしている人たちは、その人と自分たちの差を感じたのだと思います。その人が公園をきれいにすることで、公園がきれいになるだけじゃなく、ポイ捨てをしている人に自分たちのしていたことの重さを気付かせることもできる。そういった一人のひとの行動が札幌市を良くしているのだと、とても気持ちがよくなりました。
 ぼく達はこれからこの住みよい札幌市を誇りに、札幌市を守っていくことが僕たち未来ある札幌市民の使命なのだと思います。

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 人と緑が共に生きる街 平岡緑中学校 3年 賀好 史織
 私の住んでいる地域には、毎朝ゴミ拾いをしているおじさんがいます。先日私は、そのおじさんに声をかけられました。その時のことを書きたいと思います。
 その日もおじさんは、いつものようにゴミ拾いをしていました。そして、私の横を通る時、「お姉ちゃんの学校では、ポイ捨てについて話し合ったりするのかい?」と聞かれました。私は、一年生の時の総合的な学習の時間に、札幌市のゴミについて調べたことがあったので、「一年の時に少しだけ…」と答えました。するとおじさんは「今ではね、札幌市の条例でね、ポイ捨てをしたら罰金をとられるようになったんだよ」と教えてくれました。そんなことを全然知らなかった私は、すごくおどろいたのと同時に、札幌市民として何も知らなかった自分を情けなく思いました。「知りませんでした」と私が言うと、おじさんは「友達や家ぞく、いろんな人に教えてあげてほしいな。みんなに知ってもらいたいんだよ。あとね、お姉ちゃんもポイ捨てなんてしたらダメだよ」と言って、去っていってしまいました。私はとっさに「ありがとうございました」と言いました。聞こえていたかどうかはわからないけど、私達の街をきれいにしてくれていることへの感謝の気持ちと、私が知らなかった大切なことを教えてくれたことへの感謝の気持ちを込めて「ありがとうございました」と言いました。
 学校への登校中の出来事だったので、残りの通学路を、私は歩道におちているゴミに目を向けて歩きました。友達と相談して、そのゴミを拾っていくことにしました。
 札幌の街をきれいにし、緑を守っていくためには、みんなの小さな努力と思いやりの積み重ねが大切なんだなぁと、実感した出来事でした。

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努力賞

 モエレ沼公園 平和通小学校 2年 竹山 結花
 わたしは、新しくなったモエレ沼公園に行ってきました。
公園では、ガラスのピラミッドと海のふん水を見ました。ガラスのピラミッドは、ぜんぶガラスでできていました。
わたしもいもうともおかあさんも入ったとき、
「明るくてきれいだねぇ。」
と、びっくりして言いました。中は広くて、とてもあたたかかったです。
ガラスのピラミッドを見てから、海のふん水を見に行きました。海のふん水は、1日3回海のショーを行うそうです。1時4時7時とそれぞれ40分間だそうです。
わたしは、ふん水を見るのははじめてだったので、まだ出ないかなぁと思っておとうさんのとなりにすわってまっていました。
ふん水の中をじーっと見ていたら、とつぜんブクブクと水が出てきたので、ちょっとびっくりしてしまいました。
こんどは、水の柱のように水が高くなったので「高い、すごい」と思いました。でも、あっという間におわってしまったのでまだ見たいと思いました。
わたしは、この公園に行く前にモエレ沼公園のことをいもうとから聞いていました。いもうとは、ようち園で行ったことがあって、みんなでモエレ山にのぼったと言っていました。
わたしも、山にのぼりたくて楽しみにしていたのに、あっという間に時間になったのでのぼれませんでした。
一日では、時間がなくてがっかりで、もっともっと時間があればいいなと思いました。
このモエレ沼公園にはまだまだ見るところもあるし、あそぶところもあるのでみんなで行ったらいいなと思いました。

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 えん筆に書かれたみんなの憲章 中央小学校 6年 齋藤 秀
 ぼくは今の世界はあまり好きじゃない。まぁたしかにいまのよの中は、使いやすくはなった、でもその使いやすさのために自然をけずるのがなっとくいかない。ぼくはいなかから都会にひっこしてきた、とてもびっくりした。なぜかというと、あたり前だが自然がとても少なくビルや車が沢山たっていたり、走っていたりしているからだ。ぼくはがっかりした。でもそんなにがっかりなことばかりじゃないと思った。そんなある日お母さんからえん筆をもらった。ぼくはそのえん筆を見て、とってもびっくりした。なににびっくりしたかというと、そのえん筆にかいてある札幌市民憲章第2章を見た時だ。「空も道路も草木も水もきれいなまちにしましょう」と書いてあった。ぼくはうれしかった。こんな町でも、自然を大切にしようとする人たちがいることがだ、ぼくは、この町が少しすきになった。

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 札幌市民憲章を読んで 平岡緑中学校 1年 小池 斐音
 私はこの札幌市民憲章を始めて読みました。読んで、最初に感じたことは、「わたしたちは、時計台の鐘がなる札幌の市民です。」の部分が私達は札幌の市民なんだということを誇りにもたせてくれるような文だなあということです。時計台は札幌にしかなくて、札幌らしさがでてて、この札幌市の市民で良かったなあと私はここを読んで思いました。
 私はふだん、家の仕事をあまり手伝っていませんが、1章を読んでこれからは、みんなで仕事をわけあって協力しようという気になりました。
 2章の文は重要だと思います。札幌市は自然が多くて、良い所なのに、このごろは、私がたまに中央区の方へへ行くと道にゴミやたばこがたくさん落ちていて、私の住んでいる所よりも息ぐるしい感じがします。それに、車がたくさん通っていてうるさかったです。が、8月1日にポイ捨て禁止条例が施行され、市内全域における「ポイ捨て」の禁止とあるので落ちていたゴミや空き缶などがなくなってきれいになることを期待しています。
 私はこの前、バスの中で小学1・2年生ぐらいの子がお年よりに席をゆずっているのをみました。その日はなにかお祭りがあったらしく、高校生くらいのお姉さん方も座っていて、座るところがありませんでした。お年寄りの方が席がなくてキョロキョロしている時に、小学生グループの中の一人が席をたって、「どうぞ」といったらグループの子たちがみんなで席をたってゆずるので周りの人達もそのお年よりの方もとてもニコニコしていました。
 3章と4章に書いてあるとおり、お年よりに親切にしていて、きっとその子達は混んでいたらお年よりに席をゆずるということを、親かだれかに教えられていたのかなぁと思いました。私はその日一日中、その場面が頭からはなれなくて、とても気分が良かったです。
 私は小学生4・5・6年生のとき、外国人の先生方にいろいろな事を教えていただきました。歌や楽器や言葉の違い。外国語しか話せない先生とは一生けん命辞典で調べて、お話していました。一緒に習字をやったりして、いつのまにか文化の交流をしていたんだなあと思いました。5章に書いてある「世界の人と手をにぎり、学術、文化の発展につとめよう。」ということをこれからもやっていきたいなあと思いました。
 札幌市民憲章は難しい言葉を使っていなくて、だれでもわかりやすくて良いと思いました。どの章も大切な事ばかり書いてあったので、これからはこの憲章を思い出しながらすごしていきたいと思います。
 私は札幌市が大好きです。

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 緑の美しい街「札幌」 真駒内曙中学校 1年 野中 綾
 私は小学校2年生の4月に札幌へ引っ越してきました。それまで住んでいた所は、海や山も近く農業が盛んな共和町です。
 小さい時は、たくさんの草木に囲まれて遊んでいました。そのような自然豊かな所から札幌という都会に引っ越すのは不安でした。
 しかし、新しい家は、となりに藻岩山があり通っていた小学校の近くには豊平川がありとても自然にあふれていました。
 札幌市民になって6年になりますが、この街はとても緑の美しい所です。私の住んでいる南区には定山渓や滝野、中央区には大通公園や円山などの緑がたくさんあります。このような自然は未来のために大切にとっておきたいと思います。
 でも私はもっと植物を増やしたらいいなと考えています。なぜならば百合ヶ原やモエレ沼公園等は樹木も豊富で立派ですが、私達がよく遊びに行く身近な公園は、草木が少ないと感じるからです。
 遊具が2つ、3つしかないような小さな公園でも少しの花や木があると、季節の移り変わりを感じる事ができ、とてもゆったりした気持ちになれるのではないかと思います。
 小さな子供達の遊ぶ場所という目的だけでなく、近くに住む人たちの安らげる場所、さらには大人と子供がコミュニケーションを取る事ができる交流の場としての役割も期待できるのが「近所の公園」だと思います。
 「よそゆき」のとても広い公園も、「普段着」の小さな公園も、どちらも私達には必要です。
 だから、大きさに関係なく緑の豊かな公園を大切にしてゆき、さらには緑が多く美しい札幌の街も大切にしていきたいなと私は思います。

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 札幌市民憲章を読んで 藻岩中学校 1年 栃本 美穂
 私は、札幌市民憲章を読んで思ったことがあります。『空も道路も草木も水も、きれいなまちにしましょう。』についてのことです。普段まちを歩いていると、あちこちにゴミが落ちています。それを見るたび私はとても嫌な気持ちになります。ゴミをポイ捨てする人は、どうして決められた場所にゴミを捨てられないんだろう。どうしてまちを汚くすることを平気でしてしまうんだろう。私はとても不思議に思います。
 前友達と遊んだとき、その友達が平気でポイ捨てをしました。
 「ゴミなんてそこらへんに捨てればいいじゃん。」といわれたのですが、私はそうしませんでした。そのとき友達に
 「ポイ捨てしないんだぁ。えらいねぇ。真面目だねぇ。」と言われました。でもよく考えてみてください。ゴミをポイ捨てしないことは、そんなにえらくて真面目な行動だといえるのでしょうか。私はそうは思いません。自分でゴミを持ち帰ることは当然のことだと思います。
 私たちが今生きていられるのは、地球があるおかげとも言うことはできると思います。その大切な地球を汚してしまうような行動は変な言い方かもしれませんが、地球にとても失礼なことをしていることだと思います。ポイ捨てをする人は自分の都合で勝手にポイ捨てをするけれど、それが地球にものすごい悪影響を及ぼしていることに気付いていないんだと思います。だから私は、早く一人でも多くの人にそのことに気が付いてほしいと思います。
 現在札幌市では『ポイ捨て防止条例』があり、ゴミをポイ捨てすると罰金千円が科せられます。その方法も一つありますが、やっぱりまず第一に、一人一人がゴミを捨てないことと進んでゴミ拾いのボランティアに参加することが大切だと思います。そして私たち札幌市民は、さまざまな大切なきまりを守っていき、素晴しい札幌市であり続けていけばいいなぁと思います。

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 きれいな街 平岡緑中学校 3年 浮須 愛
 私は時々、学校に行くときにそこらのゴミ拾いをしている一人の男の人を見かけます。その男の人は、60才から70才くらいの人で、いつも朝にゴミを拾っています。私が学校に行く時なので、確か7時30分から8時の間だと思います。その男の人はとてもきれい好きらしく、道のすみずみまできれいに拾っています。また、木から落ちた小さな落ち葉までも拾っていました。私は正直その男の人を見たとき、「何をやっているんだろう。」と目を注ぎましたが、時々ゴミ袋とはさむものを持っていたので、ゴミ拾いをしているんだ…すごいなと、とても感心しました。
 私も一・二度だけですが、部活で森の中をゴミ拾いしたことがあります。市街地とは違い、たばこはもちろん、小さな紙くずまでたくさんありました。しかし、自分ではゴミにとどかないところがあり、とても大変でした。しかし、ゴミを拾い終えて、まわりを見渡すと、ゴミがほとんどなくなり、とてもきれいになっているのを見て、私はうれしくなりました。
 先程紹介した男の人は、私の部活での体験のように、ゴミを拾っているととても気持ちがよくなり、やりがいを感じているのだと私は思います。それは、私たちにとって、環境にとって、とてもいいことだと思っています。
 最近は、目の前にゴミが落ちていても、無視したり、ふんづける人が多いように思います。そんなことをしていたら、いつまでたっても街はきれいになりません。私の紹介した男の人のように、自分から進んで行動することによって、街はきれいになるのです。
 まずは一人一つのゴミから、拾ってみませんか?

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 札幌市民憲章を読んで感じたこと 藻岩中学校 3年 小山 愛紀子
 私は藻岩山のふもとで、豊平川の流れる自然豊かなところに住んでいます。そのためか、日頃からよく自然について考えさせられることがあります。
 そんな私が、初めて札幌市民憲章を目にした時の感想は、何でこんな小さい子供でも分かるようなことを、わざわざ札幌市民憲章にしなければならないのか、と思ってしまいました。辞書で憲章という言葉を引いてみると、「国家などが、理想として定めた、行政上の重要な原則。」というふうに書かれていました。国家などが定めるなら、もっと難しく、高い目標を立てなければならないのではないか、とも思いました。
 しかし、札幌市民憲章を何度も読んでいくうちに、札幌市民憲章を何度も読んでいくうちに、札幌市民憲章を考えた人の気持ちが少しだけ分かったような気がしました。札幌市民憲章を考えた人は、ただ簡単な理想として、考えたのではなく、小さい子供からお年寄りまで、年齢に関係なく、世代を超えた人々が同じ思いをもってもらいたい、ということを考えたのだと思います。そして、このいかにも私達から見ては、簡単に見えるあたりまえのことでも、今の私達にはできていないのだと思う。その証拠に、札幌市では、ポイ捨てにまで千円の罰金を科さなければならないようになってしまいました。
 札幌市民憲章を考えた人の願いは、あたりまえのことをあたりまえのようにできる札幌市民なのではないか、と思いました。札幌市民憲章には、短い文章なのにとても奥が深く、こんなにも良い文章が書いてあるのに、今まで適当に読んで解釈していた自分が、とても恥ずかしく思いました。それと同時に、たくさんの人にこの札幌市民憲章を読んでもらい、一人一人の札幌市民が、この札幌のことを真剣に考えてもらいたいと思いました。
 現在、世界では、たくさんの子供達がさまざまな問題に直面しています。今、同じ地球に住む、同じ子供として、何かしてあげたくても、できることは限られています。なので、この札幌市民憲章の中にある、私の好きな「未来をつくる子どものしあわせなまちにしましょう。」という言葉が、世界の人々へのメッセージとなり、人々の心に刻まれるものになれば良いと思います。私達が住んでいる札幌の市民憲章。昔も今も、変わらない願いを、札幌市民一人一人が理解し、これからの札幌を、みんなで支えていきたいです。

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