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東部から開拓者が移住してくる以前のオレゴンには、約80もの先住部族がおり、現在のポートランドの場所はシヌーク族の本拠地でした。1806年にメリウェザー・ルイスとウィリアム・クラークによる探検隊がこの地に足を踏み入れ、1825年を過ぎたころからコロンビア川流域を舞台にハドソン・ベイ・カンパニーによる毛皮取引が盛んに行われようになりました。
ポートランドの地名は1845年、土地の所有者エーサ・ラブジョイとフランシス・ペティグローブの二人によって決めらました。この地の命名に当たっては、メイン州ポートランド出身のペティグローブとボストン出身のラブジョイがそれぞれの出身地名をつけると互いに譲らず、銅貨を投げてその裏表で決めたとのことです。
その後も移住者は急速に増えていき、希望に燃えた開拓者達が幌馬車に乗り、ひたすら西を目指して、険しい山々、青々とした森林、白いしぶきを上げる川を越えていき、この道がオレゴントレイルと言われるようになります。1849年のゴールド・ラッシュの影響を受け繁栄を続けたポートランドは、1851年に市に昇格。その後、地の利を生かして港湾都市、物流の中心地として発展してきました。
新天地での新しい暮らしを夢みた西部開拓者にとって、オレゴントレイルとは、山を渡り、西部にたどり着くための唯一の街道でした。無償で豊穣な土地が与えられることから、「西のエデン」と呼ばれたオレゴンには、1840年代以降、開拓者が急激に増加していきました。現在のミズーリ州からオレゴンまでの約2,000マイル(約3,200km)の移動は命懸けの旅であり、わずかな家財道具と食糧を幌馬車に積み込んでの6ヵ月にも及ぶ移動は、相当の覚悟が必要であったことでしょう。
ひたすら続く平原や険しい山を越え、西海岸まで移動した形跡が、オレゴン州フッド山周辺の山道をはじめ、今も西部の各地で見ることができます。開拓者が夢を追い求めた北海道と、とても良く似ていますね。
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