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更新日:2019年2月27日

大谷 哲也さんの講演内容(平成31年1月23日開催「障がいのある人の話を聴くサロン」)

私は大谷 哲也と申します。言語障害があり、聞きにくい点があります。ご理解よろしくお願いします。

私の障がいは脳性麻痺です。生まれてくるときにエビのように丸まり、お尻から出てきました。首にはへその緒を巻き付かせ仮死状態になり脳に酸素が行かなく障がいを負うってしまいました。障がいが分かったのは9ヶ月の時に風邪を引いて行った病院で「この子、ちょっと首の座りが遅いから療育センターに行ってみなさい」と医者に言われ、母が療育センターに連れて行ったそうです。療育センターと言うところは、手稲区にある今の北海道立子ども総合医療・療育センターと言うところで、出生前・出生後に何か異常があったりしたら治療や相談をしてくれる子ども専門の病院です。そこで始めて障がいがあることが分かりました。

私は手がほとんど自分の思うように動きません。意思に反して動いてしまいます。ですから、足でなんでもします。携帯を使うのもパソコンを操作するのも全部、足で行います。

私は若いときから札幌で一人暮らしをしたいという夢がありました。施設から10年前に出てきて、札幌で念願だった一人暮しを始めました。一人暮らしと言っても人に助けて貰わないと食べることもお風呂に入ることもできません。それでも一人暮らしがしたかった理由は、小さい頃から施設暮らしをしていていつも集団生活だったので、普通の生活がしたいとずっと思っていました。

いざ、一人暮らしを始めようとすると色々大変なことが出てきました。まず、住むところを決めなくてはなりません。住むところといっても、どこでも良いっていう事にはなりません。車椅子でも住みやすいところを探さないとなりません。部屋の条件としては地下鉄の駅が近いところで間取りが広めで段差があまりない部屋を不動産屋さんに探して貰いました。9件の物件を見せて貰いました。手すりを付けることを許して貰えなかったり、車椅子と言うだけで壁などに傷を付けるからと断られた物件もありました。不動産屋さんのおすすめで今住んでる部屋に決めました。

一人暮らしを始めた頃は生活する上でヘルパーさんとの関わり方など、まずは自分の生活のリズムを作ることに専念しました。一人暮らし5年経った頃、生活にも慣れ、何かが物足りないと思い始めました。私は生活保護を受けて生活してましたので経済的にも自立して自分の欲しい物を自分で稼いで堂々買いたいと思いました。

その頃、就職活動しましたがなかなか就職できず、その時に考えたのが働くところがないなら自分で作るしかないと思いNPO法人を立ち上げ訪問介護事業所を開きました。法人を立ち上げた後は、無我夢中で目標を見失い、楽しめていない自分がいて、それが苦しかったです。でも人の優しさ、厳しさで励まされた自分がいました。世間の厳しさも経験でき、色んな事を学びました。法人を立ち上げたことが私の人生で大きな転機だったと思います。でも、昨年の3月に事業所を3年で畳むことになりました。

その後、また就職活動しました。私は就労支援相談室に相談して就職活動のお手伝いをして頂くことにしました。以前、就職活動したときは全滅だったが今回は意地でも仕事を探してやろうと思いました。私のできることは限られています。できることと言えば、得意のパソコンか今までの経験して来た福祉系の仕事がしたいと思いました。その事を相談員に伝えました。しばらく経つと相談員から連絡があり、某大手のIT企業が募集してると聞き、応募することにしました。

面接に行き、しばらくすると内定の連絡がありました。また落ちると思い込んでいましたので、内定をもらったときは凄く嬉しかったです。内定もらってから1ヶ月後の4月後半から働き始め、業務量の多さにビックリしました。ITの世界では障がいの有無は関係なく仕事ができることを知りました。

初めは仕事を覚えるのが大変でした。歳のせいかなかなか覚えられなく会社の皆さんに教えて頂きながら、現在はだいぶん覚えてきて仕事も楽しくなってきました。会社には私の他に全国に在宅勤務で働いてる障がい者が20名ぐらいいます。その20名でチームになり、チャットやメールなどで連絡を取り合い、業務を行っています。

月に一度、会社でミーティングがあり皆さんと顔を合わせる機会もあります。私は初め、在宅勤務だとメリハリはつくのか心配でしたが、そんな心配もなく仕事の時間とプライベートの時間でメリハリがついています。一つだけ言うと平日は家の中に引きこもりになりますので、外が暑いのか寒いのか分からないことです。仕事をすることで、誰かの役に立ててる、必要とされてることが自信になります。

人間の究極の幸せは、4つあります。「人に愛されること」「人に褒められること」「人の役に立つこと」「人から必要とされること」です。どんな人でもこの4つのことは幸せを感じ、自信にもなります。

ITはこれからの障がい者就労の可能性が大いにあると感じています。あとは、ヘルパーサービスが通勤時・勤務先での利用拡大になれば、もっと働ける人も増え、活き活きと生活が出来る人も増えると思います。私たちが生活・仕事・楽しむことを人として当たり前に出来ることは全て、人の助けがないと出来ません。私たちはその当たり前なことを当たり前にして暮らしたいだけなのです。障がいの有無に関係なく、働くことでこの幸せを感じることと生き甲斐や遣り甲斐を感じることが多くなると思います。

私は現在、仕事が出来て、遣り甲斐もあり幸せを感じています。

私は障がいを負ったことも意味があり、この世に選ばれて生まれて来たんだと思っています。ですから私がやらなければならないことを探し、障がい者の私にしか出来ないことや伝えなければならないことがあると思います。障がいがあることで何もかも諦めるのではなく、どうやったら出来るのかを考えて皆さんに助けてもらいながら、自分の思うように生きていきたいと思っています。こうしてやりたいことが出来るのも、助けてくれる人がいるからこそ出来ることなので感謝の言葉「ありがとう」を伝えることを大切にしています。

私も助けてもらうばかりではなく、自分に出来る事で何かの役に立てることは積極的にしていきたいと思っています。人は一人では生きていけません。それは皆さんも同じだと思います。

好きな言葉があります。「どう生まれてきたかじゃなく、どう生きるか」

私は一度しかない人生、悔いなく生きていきたいです。

人は不幸になるために生まれてきたんじゃない、どんな人でも幸せになるために生まれてきたんです。

特別なことは言いません。皆さんと同じように生きたいだけなのです。

お聞き苦しいところもあったと思いますが、これで終わります。ご清聴ありがとうございました。

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