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更新日:2022年12月27日

都市計画の豆知識

 「さっぽろ」の地名の由来は?

市民の皆さんから海外の方まで、よく聞かれる質問のひとつです。「札幌」の地名の由来は、アイヌ語の「サッ・ポロ」(乾いた広いところ)とする説と、「サリ・ポロ・ペッ」(大きな湿地のあるところ)とする対照的なふたつの説があります。豊平川の乾いた扇状地の方をみて「サッ・ポロ」、下流の湿地の方をみて「サリ・ポロ・ペッ」・・・どっちも正解!っていう感じですね。 

  都市計画タイムマシン~さっぽろのはじまり

明治2年(1869年)、北海道開拓の拠点である役所「開拓使」が設置され、「札幌」の建設が始まりました。開拓使初代長官の島義勇(しま よしたけ)は、東西南北に街区を分け一里四方の格子状に配置する市街地計画を策定しました。これが札幌の都市計画のはじまりです。そして、大通より北に官庁街、南に民間のお店、創成川の東に工場というふうに土地の使い方を分けました。北海道庁や国の役所(合同庁舎)が大通より北にあるのは、そのなごりなんですね。

 札幌の市街地計画画像 

 都市計画タイムマシン2~馬車から自動車へ

どのくらいの人がどこに住むのか、どこに道路や公園を配置するのか・・・そんなことを都市計画では考えています。そして、それは私たちの暮らしと密接に結びついています。
たとえば、昔の都市計画の資料をひもとくと、大正時代から昭和の初め頃のさっぽろでは、「馬車」が重要な交通手段だったため、馬車の通行量を測定して都市計画を考えていました。しかし、次第に馬車から自動車に変わっていき、昭和33年(1958年)の資料には「馬車のための道路を考える必要はないだろう」とあります。こうして現在のさっぽろでは、自動車が普及し、他都市に比べて高い水準で道路が整備されていますが、環境やまちの活性化の観点から「くるま社会」の見直しが始まっています。

 都市計画タイムマシン3~まちの記憶

ここは豊平4条8丁目です。あれ?なぜここだけ道路の形がちがうのでしょう?

現在の地図

・・・実はここにはむかし市電と鉄道の駅がありました。
昭和30年ころの地図

昭和30年ころの豊平3条8丁目(昭和37年(1962年)の地図)

 

むかし鉄道が通っていたところが道路になったり、駅の跡が公園になったり・・・
形を変えて今に残っている場所が、市内のあちこちにあるのです。

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