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更新日:2015年5月7日

平成27年5月1日臨時市長記者会見記録

日時

2015年5月1日(金曜日)14時00分~

場所 記者会見室
記者数 24人

市長から下記の話題について発表しました。

引き続き、次の話題について質疑が行われました。

発表内容

 退任に当たって

 お忙しい中、お集まりをいただきまして、誠にありがとうございます。

 本日をもちまして札幌市長の職を辞するに当たりまして、退任のごあいさつを申し上げたい、このように思います。

 まずは、この3期12年間、一緒にまちづくりをしていただきました市民の皆さま方に対し、深く御礼を申し上げたいと存じます。誠にありがとうございました。

 また、報道機関の皆さま方におかれましては、市政の推進に当たりまして、その都度、市民の視点に立ったご指摘や、ご意見を頂戴いたしました。また、市民の皆さん方に、分かりやすく市政情報をお伝えいただくということをしていただきましたことに心から感謝を申し上げたい、このように思います。

 12年間を振り返るに当たりまして、先の市長選挙に伴いまして、各種の世論調査が実施をされました。その結果、私の市政運営に関する世論調査の結果は、約7割の方に評価をしていただいているという報告を頂戴いたしたところでございます。本当にほっとしているというのが正直なところでございまして、皆さま方の活動に対しても心から感謝を申し上げている次第でございます。

 私の市政運営が、市民の皆さま方に、その時代認識というものを共有していただき、そして、市民感覚といったものと合致をする、ずれがないということをあらためて感じることができたということとともに、私と一緒に、私の下で、職員が、自分たちのやっていることは間違っていなかったということを実感できる状況をその報告で頂戴することができるわけでありまして、そのような感覚の中で終えることができるということを本当に安堵をし、感謝をしているところでございます。

 振り返りますと、私が札幌市長として初めて札幌市役所に登庁させていただきましたのは、平成15年の6月11日でございました。市民の皆さま方の期待をひしひしと感じるとともに、これからの札幌を創っていきたい、そんな意気込み、決意というものが、情熱が込み上げてきたところでもございました。そのことは、今でもはっきりと覚えているところでございます。

 私の最初の公約は、「札幌あたりまえ宣言」というものでございました。市民の皆さん方の当たり前というものが市役所の当たり前であり、市民の感覚で市政を運営するということが大切であるという叫びでもございました。それが市役所に対する信頼の基礎となり、そして、市民自治の根本であるということを基本理念としたものでございました。以来、一貫して、私は、市民自治というものを市政運営の根幹に据えさせていただきまして、市民と共に考え、共に悩み、共に行動するということを通じて、「市民の力みなぎる、文化と誇りあふれる街」札幌の実現に向けて、これを目指してきたところでございます。

 その実現に向けて、私は、まず、「自治基本条例」と「市民まちづくり活動促進条例」を制定させていただきました。市民がまちづくりの主役であるという考えのもとに、市民の皆さんと対話をしながら、敬老パスやごみの有料化など、さまざまな課題に一緒に取り組んで、そして、それを乗り越えてくることができました。特に、市民の皆さま方の手によりまして、ごみの大幅な減量を成し遂げるという結果、清掃工場1基の廃止につながったほか、市民・企業・行政が一体となって節電に取り組むことで電力危機を回避することができた、こんなことが挙げられると思います。

 また、まちづくりセンターを拠点といたしまして、今では1,000を超えるまちづくり活動というものが生まれたほか、市民活動を支えるさぽーとほっと基金には、7年間で累計約6億円にも上ります市民、企業等からの寄付がございました。そして、このお金を、約700もの札幌市内で活動されております市民団体の活動に助成をさせていただくということができました。

 これらは、まさに、札幌の「市民力」の象徴あるいは賜物と言うことができるわけでございまして、札幌のまちに市民自治が根付いた、あるいは、根付きつつある、そういう成果として私たちは実感をしているところでございます。

 また、私は、「人を大事にする」ということを活動の原点といたしまして、子どもの権利条例を制定するなど、「誰もが安心して暮らせるまちづくり」ということにも力を入れさせていただきました。

 子育て支援として、誰もが子どもを生み育てやすい環境をつくるために、保育所の定員の拡充や子育てサロンの整備などを行ってまいりました。今後も、新たに策定いたしました「新・さっぽろ子ども未来プラン」を基にいたしまして、「日本一子育てしやすいまち」というものを目指して引き続き取り組んでいっていただきたいと、こんなふうに願っているところでございます。

 また、元気ショップや元気カフェをはじめといたしまして、障がいのある方への就労支援の取り組みなどを通じまして、自立した生活を送れるような支援ということをしていく環境整備をしてきたほか、障がいのある方を地域全体で支え合う体制づくりを整えるための努力をしてまいりました。

 このような思いで市政運営を担う中にありまして、「市民の安全で安心な暮らし」というものを守るといったことへの思いをより一層強くする出来事といたしまして、平成23年3月11日に東日本大震災と福島原発の事故が発生したところでございます。

 それ以降、私は、原子力発電に依存しない持続可能な社会の実現を目指して、省エネルギーの推進と再生可能エネルギーの導入促進に努めてきたところでございます。そして、昨年10月に策定いたしました「札幌市エネルギービジョン」におきましては、今後、市民・事業者・行政が一体となって「低炭素社会」と「脱原発依存社会」に向かっていけるように道筋を示すことができたと、こんなふうに考えているところでございます。

 さらに、国、地方を取り巻く財政環境というものが厳しさを増す中にありまして、将来世代に過度な負担を残さないために、行財政改革にも不断に取り組み、12年間で、職員数を約1,900人、そして市債残高を約4800億円減らすことができました。拡張から維持へと大きくかじを切り、ごみの減量に向けた有料化など、市民の皆さまに少なからずご負担をお願いすることもありましたけれども、市民の皆さま方のご理解、ご協力のおかげで、安定的な財政運営を行い、将来のまちづくりに確かな道筋というものをつけることができたと考えているところでございます。

 そのほか、「北海道の発展なくして札幌の発展はない」との考えの下に、札幌が持つ都市機能と道内各地の魅力やその資源を結び付けていくような道内連携の取り組みというものも進めてきたところでございます。その一環として始めました「さっぽろオータムフェスト」におきましては、2014年度、過去最高となります200万人以上の方々に訪れていただきました。雪まつりに匹敵する約400億円を超える経済効果を生み出す札幌の一大イベントに育つことができました。札幌市民はもちろん、道産子のみんなで北海道を盛り上げていこうという熱い思いが集まる、大変意義のあるイベントに育ったと実感をしているところでございます。

 そして、最後にもう1つ、私が力を入れてまいりましたことは、市民の皆さんの豊かな創造性から生まれる活動や発想を生かす「創造都市さっぽろ」の取り組みでございます。都市として、成熟期を迎えました札幌が今後も持続的に発展していくためには、市民一人一人が持つ創造性というものを高め、磨く、そして、十分に発揮しやすい環境を整えるということが大切でございます。

 そう考えまして、平成18年に「創造都市さっぽろ宣言」を行いまして、市民の創造的な活動を生み出す場として、500m美術館やチ・カ・ホ、北3条広場などを整備したほか、雪まつりに新たな息吹をもたらしますプロジェクションマッピングを実施するなど、創造性を生かして、札幌の新たな魅力を創り出す取り組みを進めてまいりました。

 こうした取り組みが評価をされまして、平成25年11月、国連のユネスコ創造都市ネットワークに加盟が認められたところでございます。去年の夏には、その象徴的な事業といたしまして、「札幌国際芸術祭2014」を開催することができました。予想を大幅に超える48万人もの来場者に、創造性あふれるアートの数々に触れていただくことが、非常に新しい視点で札幌の未来を考えるきっかけにしていただけたのだと、こんなふうに考えているところでございます。

 また、この芸術祭は、延べ4,000人を超えるボランティアによって支えていただきました。そして、160を超える連携事業というものが行われるなど、まちに一体感をもたらす意義深いものになったと考えております。

 今後も、こうした創造性を生かした取り組みを積み重ね、世界に認められた創造都市という札幌の新たなブランド、シティブランドといったものを力強く発信し続けてほしいと。そして、そのことによって、市民の誇り、シビックプライドというものもまた生まれ育っていくということを期待しているところでございます。

 これからの札幌は、人口減少や超高齢社会の到来など、時代の大きな転換期を迎え、かつて経験したことのない大きな困難に立ち向かっていかなければなりません。しかし、その困難を乗り越えていく過程で育まれる市民力というものは、私は、その都度、乗り越えることによってどんどん鍛え上げられて、そして、「鍛え抜かれた市民力」こそが札幌の明るい未来を切り開く、そういう力になるのだということを信じてやまないところでございます。

 冬季オリンピック・パラリンピックの開催、そして、その実現に向けての招致の取り組みも、こうした市民力を鍛え上げるまたとない機会だと考えてのことでございます。子どもたちの夢や誇りを持つ心を育み、都市基盤の更新やバリアフリーのまちづくりを加速する絶好の機会にもなるとともに、市民の皆さんと一体となってこれを成し遂げることで、札幌を新たなステージに押し上げていくことができると確信をいたしております。

 先人たちが築き上げた、このまちの魅力と輝きというものを次の世代へ引き継いでいくために、市民の皆さま方には、これからもまちづくりにしっかりと携わっていただき、札幌に住んでいることに誇りを持ち、まちをつくっていく行動力、そして活力を持った札幌人になっていただきたいと、こんなふうに願っているところでございます。

 秋元新市長には、市民の力を市政の中に取り入れて不断の改革を推進する、そして、少子高齢社会、エネルギー・環境問題に対応してまちづくりのリニューアルを進めていく、そういった主張をされている中で、これまで一緒に仕事をさせていただいたことをさらに発展をして、物事の解決をしていく、そんな期待をしているところでございます。市民の力を信じ、人を信ずる、大事にする、そのことを、思う存分力を発揮していただきたい、このようにご期待を申し上げるところでございます。

 報道機関の皆さまには、市民と共にある札幌のまちというものが、これからも世界が憧れるまちとして輝き続けるため、今後とも、市政に対する真摯(しんし)なお力添えを心からお願いを申し上げたいと存じます。

 私も、一人の誇り高き札幌市民といたしまして、私ならではの創造性というものを発揮しながら、札幌市の発展に貢献していくことができればうれしい、こんなふうに考えているところでございます。

 12年間、本当にありがとうございました。

 これからの札幌のますますの発展とともに、皆さま方のますますのご健勝とご活躍を心から心からお祈り申し上げまして、感謝を込めて、退任のごあいさつとさせていただきたいと存じます。

 本日は、誠にありがとうございました。

質疑応答

 3期12年間を振り返って

北海道新聞

 12年間、お疲れさまでした。

 上田市政は3期あったわけですけれども、1、2、3期と分けて、それぞれどんな期だったかというのを振り返っていただきたいのですが。

市長

 1期目は無我夢中でございまして、役所とか組織というなじみのない世界に飛び込んできたわけでありますので、市民感覚で組織というものを眺めさせていただきまして、どういうふうなことを言えば動いていただけそうかということに苦心をしてきた時代だったというふうに思います。そして、市や町や村、ほかの札幌広域圏組合の8市町村との間の連携といったものも取っていきたいというようなことで努力をしてきた時代だったというふうに思います。

 2期目は、時間に余裕が少しできたというふうにも思いまして、いよいよ北海道全体のことと札幌市の連携といったものを一生懸命やろうということで努力をしてまいりました。創造都市に向けての活動も始まったところでもありますし、環境首都というふうな宣言もしたり、いろいろな目標を立てて、世界基準で札幌に大都市としての役割を果たすことができる設備と人の動きといったものができるように努力をさせていただいたところでございます。

 3期目は、それをさらに発展させまして、2期目の段階で、6市連携と言いまして、北海道総合計画(「新・北海道総合計画(ほっかいどう未来創造プラン)」)の中で指定をされております6市と札幌市の関係をより密にしていこうというような考え方で努力をさせていただきました。3期目になりまして、これを全面展開するということで、まさに北海道と札幌が十分な連携をしながら、北海道の発展なくして札幌の発展はないし、札幌の活力を利用せずして北海道の発展はないというふうに私どもからも発信をしながら、北海道全体の中における札幌といったものの活用、立ち位置というものを決めながら行政を進めさせていただいた、そういうふうに言えるかと思います。

 心残りややり残したことについて

北海道新聞

 もう1つ、成果の部分はわれわれも取材をしていて感じるところではあるのですが、心残りなこと、やり残したこと、そういうことがありましたらお願いします。

市長

 よく挙げておりますのは、もちろん、マニフェストに掲げたことで未達成の部分というのが一番分かりやすいことでありますけれども、公契約条例が残念ながら1票差で否決をされるということが、札幌の問題として重要であることはもとよりでありますけれども、全道でも公契約条例を作ろうとしておられた動きがあるものの勢いを止めてしまう効果が発生してしまったということについては、本当に申し訳ないことだったというふうに思っております。ただ、条例にこだわらず、適正な公契約の締結に結び付けるためのさまざまな改善を現在しているところでありますので、これはよく議論をしたことによった効果がそれなりに表れているというふうに思っております。

 あと、待機児童をゼロにするというのは、公約としてもそうでありますし、日本一子育てのしやすいまちをつくりたいという目標からいっても、これは本当に大事な目標であったわけでありますが、やはり、子どもを保育所に預けたいと思われる方の数の把握というのが非常に難しい中で、全国の自治体も、その予測ということと同時に、それに対する手当てをする速度というものが必ずしも一致しないということで、本当に申し訳ありませんけれども、本来、自治体の仕事として、待機児童などというものが出ないようにする努力を私たちはしなければならないことでありますけれども、これはなかなか実現できなかったということが挙げられるというふうに思います。

 まちづくりセンターにつきましては、自主運営化ということを目標に挙げましたけれども、これはさまざまな要件の中で、自主運営というところまではいかなかったけれども、それによって活動が沈滞しているとか、そういうことではございません。これは、1つの運営の仕方の問題として、これからの努力目標として掲げていきたいというふうに考えております。

 あとは、円山動物園ぐらいでしょうか。100万人を達成できなかったというのがありますけれども、多分、今、ホッキョクグマの赤ちゃんが、この天気のいいところで頑張ってくれておりますので、今年はいけるのではないかと。それからまた、ゾウを導入するということも決めさせていただきましたので、近々、100万人以上の方においでいただいて、札幌は本当に円山動物園があって良かったねというふうに言っていただけるようなまちに成長していくだろうと、このように思っております。

 きょうの朝について

読売新聞

 お疲れさまでございました。

 きょうは、市長は、朝起きてとか、こちらにいらっしゃるまでとか、普段の活動と一緒ですか。

市長

 大体同じですね。

読売新聞

 きょうは、大体何時ぐらいにいらっしゃいましたか。

市長

 8時半に家を出ました。

読売新聞

 奥さまに何か言われたとか、そういうことはありますか。

市長

 良かったねと。最後までどじっちゃだめよと言われたぐらいです。

 きょうの公務について

読売新聞

 それから、会見に臨むまで、きょうはどういった公務をやってきたかということを教えていただけますか。

市長

 いろいろお世話になりました企業の皆さん方、例えば、PMF(パシフィック・ミュージック・フェスティバル)の支援をしていただいて、多額のご寄付を頂戴しているようなところについては、しっかりごあいさつを申し上げて、今後ともよろしくというふうなことはやってまいりました。

読売新聞

 じゃ、きょうは、大体、あいさつ回りというのが主な。

市長

 そうですね。12年、お世話になりました。これからメディアの皆さん方にもごあいさつを申し上げなければならないというふうに思っております。

 今後の活動について

読売新聞

 それから、今後、誇りある市民として市政に貢献されたいということをおっしゃっておりましたが、弁護士としての活動もされるということなのでしょうか。

市長

 市政については、基本的に全部がボランティアになりますので、自分で生計を立てるためには弁護士を、それも稼ぎは悪いと思いますけれども、そこそこ、仕事をさせていただきながら、従前やっておりましたような北海道NPOサポートセンター、NPOの仕事だとか、弱者の皆さん方のご相談だとか、そういうことはできるのではないかなというふうに思っております。

 民間出身の市長について

読売新聞

 上田市長が市長になられたというのは、民間出身としては半世紀ぶりぐらいだったと思うのですけれども、民間出身だからこそできたことというのは何があるというふうにお感じになられていますでしょうか。

市長

 いろいろ不思議に思えることはたくさんあったというふうに、役所の仕事について、例えば、予算などについては、これは、ほとんど何千億という単位のお金は一般市民は分かりませんので、それを分かりやすくするためにはどうしたらいいのかということで、「さっぽろのおサイフ」というものを初めて作ったというのが最初の仕事であったわけです。

 当時は4ページ立てぐらいのパンフレットでありましたけれども、だんだん内容が進化してまいりまして、今では12ページ立てぐらいのものに成長、発展しておりますけれども、実に分かりやすい、自分の税金を払うけれども、その税金をどのようにコントロールするのかということについて、これは民主主義の1丁目1番地の作業だというふうに思いますが、それに対する情報提供、情報共有というものがほとんどできていなかったというふうに私は思います。私自身も分かりませんでしたから。それを、やはり、こじ開けて、みんなでこれだけのお金をこれだけ使おう、そして、少し無理するためにはこれだけの借金をしようということについても、やはり市民が将来的に責任を負わなければならないことでありますので、それを分かりやすく説明できるように、身の丈に合った金額に引き直してみて、家計に引き直して、今の状況はどうなのだということをしっかりとお示しするというようなことが始まりでありまして、それをもとに、その活動はまさに情報共有の大切さということ、それが民主主義の始まりだという認識の中で、分からないからこそできたものではないかなと。

 もう1つは、私は、幕別というまちで生まれて、そして、札幌というまちとの関係をほとんどイメージできなかったという少年時代を持っております。ですから、本当は違うよね、札幌というのは北海道のためにできたまちだよねということを、私が市長になって多くの方に語り掛けた、そういうことで道内連携ということも少し進んだのかなというふうに思います。

 新しく選任されます秋元新市長も、札幌生まれではなくて、夕張という人口減少、資源、炭鉱の破綻ということで、本当につらい思いをされたまちの出身者であります。これからの札幌の将来を考える時にも、大きな発想を、力を持っていただけるものというふうに私は歓迎をしているところでもございます。

読売新聞

 納税者として、一市民として、分かりやすい市政というのを心掛けて、それを実現されたということだと思うのですけれども、次に、今、市長選で支援された秋元さんも、市役所の出身で、民間から行政に戻るわけですけれども、その点についてのご心配というのはないのでしょうか。

市長

 多分、そういうご心配を皆さんがされているということをばねにして、戻ることはできないのではないかというふうに私は思いますので、ぜひ、記者クラブの皆さん方も、戻るんじゃないのという疑いの目を持って見ていただくことは、かえって彼にとっていいことではないかな、ひいては、市民にとってもそのことはいいことではないかと思います。

 民間が良くて役所が悪いという関係ではもちろんないのですけれども、言葉を省略したり、専門的な言葉を使って分からない説明をしたりというようなことは少なくともやめていただいた上で、本当にみんなで考えることができる、そういうまちづくりにしっかり取り組んでいただけることを私は期待しているということであります。

 任期中の最も感慨深い事柄について

HTB

 お疲れさまでした。

 あらためてになってしまうのですけれども、順位付けは難しいと思うのですが、一番、本当にこれは12年間で達成できた感慨深いという思い出の事柄がありましたら教えていただけますでしょうか。

市長

 私のスローガンが、「市民の力みなぎる、文化と誇りあふれる街」札幌というものでありますが、このスローガンは、何かが形として出来上がったというものでは決してなくて、運動論といいますか、トレンドといいますか、そういう方向に行くものだと私は思っております。そのトレンドといいますか、活動している間に、例えば札幌国際芸術祭を行えた、あるいは、さっぽろオータムフェストが成功した、いろいろなことがトピックスとして出てくるわけであります。だけれども、それは、それが成功したからそれで良かったというだけの話ではなくて、次のことをまたすぐ考えるという人々の精神構造といいますか、そういうものになることが私の願いとする市民の力みなぎるというですね、一部の人がみなぎって、一定の成功を収めて、それにまた刺激を受けて、次の人がみなぎる、周りの人もみなぎる、こういうぐらいの連続技が、どんどん輪が広がっていくというようなことが、この大きな194万人の札幌市がいつまでも輝き続け、持続可能な発展を遂げていく原動力になる、それが創造性ということでもあるのだというふうに思っております。

 答えになるかどうか分かりませんけれども、そういう大事な人間の成長、発展の方式といいますか、方法論といったものをみんなで考え出した、実践してきたということが私にとっては誇りだというふうに思っております。

 市民へのメッセージ

TVh

 これもちょっとあらためてになってしまうかもしれないのですが、あらためて、市民の支持、今まで12年間支持してくれた市民に対して、最後にメッセージをお願いしたいのですけれども。

市長

 当初、敬老パスの一部有料化とか、今まで40年近くただでやっていたごみ収集を、ごみ袋を買っていただいて、有料化するというようなことで、上田市長になってから負担ばっかり増えるねというようなお声もあったことは事実であります。ただ、それは、なぜ負担が増えて、そして、そのことによって何をなそうとしているのかということについて、本当に札幌のまちじゅうで、職員が一丸となってさまざまな説明をさせていただいて、なるほどということで展開できたことだったというふうに思います。

 その当時における職員の苦労というのは、私はよく分かっておりますし、その熱意は各町内会の皆さん方にも十分に伝わったというふうにお伺いしておりまして、ものすごい協力的なごみの分別、ごみルールの徹底ということが行われた結果、短期間でその成果が出たということは、なお、この市民の皆さん方はやればできる、俺たちのまちをきれいにするのは俺たちだという自治の本当に基本的な精神というものを身に付けることができたということは非常に大きなことだったというふうに思います。

 そんな意味で、雪もこれからまだまだ問題があることは承知をしておりますし、多分、市民の皆さん方から年間3万件ほどの苦情あるいはリクエストが電話で行われますけれども、それは、単に苦情を述べるだけではなくて、どうしたらこれを解決できるだろうかという新しい発想をみんなで考え出していく材料にその苦情なりクレームなり提案なりを生かしていくような使い方をできれば、このまちは、はるかに今よりも過ごしやすくなるでしょうし、今お掛けしている苦労というものがより発展的なまちの原動力になるだろう、こんなふうに思っているところであります。

 市政運営の自己採点について

北海道新聞

 下世話な話なのですけれども、12年の市政運営を100点満点で自己採点すると何点でしょうか。

市長

 マニフェストでいくと85%ぐらいが達成しておりますので、何で言うといいのか分かりませんけれども、私自身はやり切った感がございますので、私の能力で全面展開させていただいたということで、自分では満足をしているというふうに思っております。

 あとは、先ほど支持をしていただいた皆さん方の数、7割程度のご支持をいただいているということを私は大事に大事に心の中に持ちながら、後々また、そのことが歴史的な評価を得ることがあるだろうというふうに思いますので、自分では一生懸命やったということを申し上げたいということでございます。

 ゴールデンウイークの予定について

時事通信

 12年間、お疲れさまでした。

 久しぶりに一息つけるゴールデンウイークになるかと思うのですけれども、何かご予定などありますでしょうか。

市長

 どこか旅行へでもぱっと行ってという気持ちもないわけではないのですけれども、書類を整理するという地味な生活をするようになるかもわかりません。体を慣らして、急に運動するとまた体を壊しますので、じっくり環境に合わせていくということをしながら、リハビリ程度にしながら、家中に散乱している書類、行政関係の書類の片付けをするということと、昔の法律書を少し使い勝手のいいように整えていくというような地味な生活をしたいというふうに思っております。

 きょうの服装について

時事通信

 分かりました。

 あともう1点なのですけれども、きょうの服装は何か特別な思いとかがおありでしたら教えてください。

市長

 服装ですか。特にありません。普通どおりの気持ちで来ております。

時事通信

 分かりました。ありがとうございます。

市長

 皆さん、本当にありがとうございました。

 今後とも、札幌市のことをよろしくお願い申し上げます。

 ありがとうございました。

(以上)

 

 この内容については、重複した言葉遣いや、明らかな言い直しがあったものなどを整理した上で作成しています。(作成:札幌市広報課報道係)

 

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