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更新日:2023年2月16日

さっぽろ創造仕掛け人(第8回)

バスケットボール選手兼チーム理事長 折茂 武彦さん

2007年に誕生した北海道初のプロバスケットチームが今年から
名称を「レバンガ北海道」と改め、新たな一歩を踏み出した。
今回の仕掛け人は、チーム存続の危機に自らが名乗りを上げ、
選手兼理事長という立場でチームを支える折茂武彦さん。
シーズン真っ直中で多忙を極める折茂さんの事務所を訪ね、
理事長になる決意をしたきっかけ、北海道にこだわり続ける理由、
そして、バスケットボールにかける想いを尋ねた。
折茂さんの写真

【北海道にチームを残すべく、選手兼オーナーに】

今年1月、北海道のスポーツ界に激震が走った。北海道初のプロバスケットボールチーム「レラカムイ北海道」。その運営会社が経営悪化により、シーズン途中に日本バスケットボールリーグ(JBL)から除名処分を受けたのだ。チームはシーズン終了後までJBLが直轄管理するという異例の事態。新たな運営会社を模索するも東日本大震災の影響によって交渉がまとまらず、チームは存続の危機に立たされた。「北海道からチームを無くしてはいけない。誰もやらないのであれば自分がやるしかない」。窮地を救うべく立ち上がったのは、現役選手であり、エースとしてチームを引っ張ってきた折茂武彦さん。資本金50万円で株式会社北海道バスケットボールクラブを創設し、成功するかどうかも見えない手探りの状態で、“選手兼オーナー“という前例のない挑戦が始まった。

埼玉県出身の折茂さんは、日本のバスケットボールを代表する選手の一人。特に正確無比の3ポイントシュートは日本一とも称されている。

【自分を再生してくれた北海道に恩返しをするために】

選手としての折茂さんの経歴は実に輝かしい。地元の埼玉栄高校ではインターハイのベスト8に進出。特待生として進んだ日本大学では4年生のときに大学日本一に輝いている。さらに複数のオファーが届く中から「強いチームでベンチを温めるよりも、40分間コートに立っていられる方がいい」と、当時2部制のリーグで入れ替え戦ぎりぎりの戦いをしていたトヨタ自動車に就職。試合で活躍するのはもちろん、当時の副社長に直談判するなど、9年間かけてチームの強化に尽力し、在籍14年間で3度のリーグ優勝、さらに天皇杯制覇を成し遂げる強豪チームを作り上げた。また、社会人になると同時にバスケットボール男子日本代表にも選出。アジア選手権をはじめ、これまで数多くの国際大会に出場している。

今年11月5日のリンク栃木戦で前人未踏の通算7000得点という大偉業を達成。写真に写っているのは、その試合で履いていたシューズ。靴底はレバンガのカラーに合わせてラベンダー色になっている。

その折茂さんが北海道のチームにやってきたのは2007年。きっかけは「日本代表への復帰」だった。すでに年齢は36歳となり、所属するトヨタ自動車での試合への出場数は全盛期の半分にまで激減。そこへ一度は引退していた日本代表に戻ってきてほしいというオファーが届いた。「代表に復帰して、自分はまだまだやれることが分かったけれど、チームに戻ると思うように試合に出ることができない。ならば、もっと思い切りできる環境でやってみて、ダメだったら引退しようと思ったんです」。14年在籍したトヨタ自動車から、同年に誕生したばかりのレラカムイ北海道へ。その決断は折茂さんのバスケットボールに対する価値観を大きく変えることとなる。

北海道に来て、初めて迎えた開幕戦。3,000人のファンが詰めかけた会場を見て、折茂さんは大きな驚きを感じた。「自分の14年間の歴史の中で、ファイナルではなく、普通の試合であれだけ多くの人が来てくれたのは初めての経験でした。企業チームでは勝敗に関わらず給料をもらえて、ファンを意識したことがありませんでしたが、北海道では1年目も2年目も最下位を争うくらい勝てなかったチームを、ファンがずっと応援し続けてくれる。だんだんと勝ってファンを喜ばせたいという気持ちが芽生えたんですね。本当は1、2年で引退するつもりだったのが、今もバスケットボールを続けることができているのは、北海道という土地、北海道のファンのおかげ。まさに自分自身を再生させてくれたせてくれた場所であり、だからこそチームを存続させて恩返しをしたいと思ったんです。他のチームの選手にもこういう環境があることを知ってもらいたいですし、このチームには日本のバスケットボールの見本となる可能性がたくさん詰まっているんです」。

「選手にとって、これだけ多くの観客の中でプレーができるのは幸せなことです」という折茂さん。「自分もあと10歳若かったらよかったのにとつくづく思います」と笑う。

【JBLの承認、そして「レバンガ北海道」へ】

オーナーとしての折茂さんの第一歩。それは資金集めから始まった。「新たな運営会社を作ったといっても、JBLに承認されないとリーグにも試合にも参加できません。まずは担保となる運営資金を得るためにスポンサー探しに奔走しました」。企業を巡り、なぜ北海道にチームを残したいのかを切々と伝える日々。慣れない仕事は体重を8キロも減らし、選ばれていた日本代表の座もチーム存続に専念するために辞退した。そして、会社を設立して3カ月目となる7月、JBLとの交渉を重ねた結果、当初の株式会社を北海道総合スポーツクラブという一般社団法人に改めることで、ようやく承認が下りる。

「一番辛かったのは、承認されるか分からない状態で自分から選手たちに残ってほしいと言えなかったこと。選手の移籍期間は5月までで、もし承認されなければ選手たちが路頭に迷ってしまいます。無責任なことは言えませんでした。とはいえ、いざ承認されても移籍期間が終わっているので選手が集まらないかもしれない。ジレンマとの戦いでした」。だが、言葉はなくとも思いは伝わる。折茂さんの心配をよそにチームには桜井良太選手をはじめ、前チームから6選手が残留の意思を表明。8月には公募からチーム名が「レバンガ北海道」と決定し、9月に入ってトライアウトの選手を含めた全メンバーが揃ったことで、ようやくチームとしての体制が整った。

試合会場などで配布されている、試合スケジュールや会員募集の情報などが掲載されたプログラム。制作には折茂さん自身も携わっている。

10月7日、選手兼理事長として初めて迎えるシーズンが始まった。開幕戦では「たくさんの人に支えられて、再び北海道のコートに立てることに特別な思いを感じた」と感慨深げに語る折茂さんだが、その胸中には「他のチームが5月から練習をしている中、開幕1カ月前に全メンバーが揃ったばかりで練習もろくにできていない。全敗しても仕方がないという覚悟もあった」。しかし、チームは2戦目にして初勝利、4戦目には道内初勝利を飾り、順風満帆な滑り出しをみせる。「選手だけのときは勝つと単純にうれしかったのですが、理事長になると勝利にホッとしながらも、勝つごとに高まる周囲の期待にプレッシャーを感じますね。いかにチームの状態を維持し、ファンに愛されるチームにしていけるか。理事長として、もっと頑張らなくてはという気持ちを強くしました」。。

会社と選手の絆を深め、ファンと一緒に強くなるチーム作り

折茂さんが理事長を務める「レバンガ北海道」の強みは、やはり折茂さんが選手でもあるため、その視点に立った経営が行える点にあるといえる。「会社あっての選手であり、選手あっての会社」と考える折茂さんは、遠征先の宿泊施設にはできるだけ大きなベッドがあるところを選んだり、試合当日ではなく前日に移動するスケジュールを組んだりと、選手が不満を感じず、プレーに専念できる環境を常に心掛けている。一方で、「兼務しているからこそ気を付けなければいけないこともある」と折茂さんは言う。それは選手の査定や契約について。「理事長となって最初に決めたのは、会社のトップではあっても自分が査定をしないということでした。選手である自分に対して、チームメイトが必要のない気遣いをするようになるとチームがチームで無くなってしまいます。ですから、選手の契約には一切入らず、全権を他のスタッフに委ねています」。

理事長である折茂さんと複数のスタッフが共に「レバンガ北海道」の運営に取り組む事務所。「自分は素人で、難しいことはたくさんありますが、周りのサポートがあってここまでできました。まだまだ未熟ですが、みんなが同じ方向を向いてチームを作っていけるよう頑張っていきたいです」。

もちろん選手に心地よい環境を整えるには、それだけの費用も必要だ。「レバンガ北海道」ではスポンサーと興行による収入に加え、個人と企業の会員を募集し、その年会費が資金源の一つになっている。「まだまだ課題は山積みですが、少しでも多くの方々や企業にご参加いただき、長く続けていけるチームを作っていければと思っています」。会社と選手、そしてファンが共にチームとなって経営を支える仕組みを持つ「レバンガ北海道」。そこにはバスケットボールというスポーツを通じ、組織の大切さを身に染みて感じてきた折茂さんならではの思いとアイデアが詰まっている。

夢は道産子チーム。北海道に愛されるチームを目指して】

札幌に住むようになって5年目が過ぎた折茂さん。当初は寒いのが大の苦手で「毎週東京に帰っていた」というが、今では「灯油ストーブの暖かさを知って、すっかり苦ではなくなりました」と笑う。さらに「渋滞はないし、買い物するところも一カ所に集中しているし、東京よりはるかに便利。今は単身赴任ですが、中学生の息子が巣立ったら、妻とこっちで一緒に暮らそうと話しています」。

 

 

ジンギスカンが大好きで週に1回は行くといい、札幌は回転寿司もおいしくて驚いたとか。息子さんや奥様も度々訪れ、オフにはスキーや温泉を楽しんでいるという。

その札幌を含む北海道はバスケットボールが盛んで、子どものバスケットボール人口は全国で2番目に多い。「オフシーズンには、プロが直接子どもたちに指導できるようなクリニック事業も展開したいですし、いずれはユースチームも作っていきたい。将来は『レバンガ北海道』の選手全員が道産子なんてことになったら最高ですよね」と折茂さんの夢はさらに広がっている。「そのためにも一つでも多く勝ち続け、ファンを獲得し、チームを継続させていくことが欠かせません。目標は優勝と言いたいところですが、まずはプレーオフに出ること。数年後にまた北海道の人たちを失望させないためにもしっかりと運営して、密かに優勝を狙えるようなチームを作っていきたいです」。一度は引退を考えてやってきた北海道。そこで芽生えた折茂さんの新たなバスケットボールに対する熱い思いは、新たな夢を育み、それは少しずつだが花を咲かせ始めている。

【さっぽろ創造仕掛け人に聞きたい! 3つのクエスチョン】

Q.心に残っている一言とは?

A.高校のときに監督から言われた「一人でやっているんじゃない」という言葉ですね。当時の僕は一人で何十点も取っていて、どこかでワンマンなところがあったんだと思います。そこから周りを信じる気持ちが芽生え、それが理事長になった今も生きています。

Q.ファンになって得られる一番の醍醐味とは?

A.やはり一体感だと思います。バスケットボールは他の競技よりも選手やコートが近いんです。ですから、迫力もありますし、身近に感じてもらえると思います。ぜひ一度、試合を会場で観てほしいです。

Q.困難なことがあったときの克服術とは?

A.人はそれぞれ違う生き方をしてきて、いろいろな考えを持っています。そうした考えを参考にしながら、最終的には自分で決める。とにかくたくさんの人の話を聞くことが大事だと思います。

 

一般社団法人 北海道総合スポーツクラブ

所在地

札幌市白石区本通2丁目南3-4

電話:011-863-8000

設立 2011年7月
理事長 折茂 武彦
設立理念

1.子供の健全な育成や生涯スポーツ社会への実現
2.トップスポーツの支援 (北海道から世界へ)
3.道内スポーツの振興 (世代を超えた道民のスポーツへの参加)
4.スポーツを通じた社会貢献
5.北海道経済の活性化への寄与

取材・文 : 児玉源太郎
撮影 : ハレバレシャシン

 

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