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更新日:2023年2月16日

さっぽろ創造仕掛け人(第5回)

ENプロジェクトジャパン実行委員長 曽田雄志さん

今年3月11日に起きた東日本大震災を機に、
道内のトップアスリートらによって結成された「ENプロジェクトジャパン」。
その中心人物こそ、今回の仕掛け人である曽田雄志さんだ。
コンサドーレ札幌の選手だった曽田さんが、
震災に何を感じ、どうしてプロジェクトを立ち上げたのか。
人と人の“縁”によって結ばれた“円”が持っている可能性とは。
曽田さんのプロジェクトに賭ける想いを探った。

曽田さんの写真

北海道からスポーツを通じた経済活性化を発信

今年3月11日に東北地方をはじめ、日本中に大きな被害をもたらした東日本大震災。この未曾有の災害を受け、「自分に何ができるか」と自問した人も多いのではないだろうか。かつてコンサドーレ札幌の中心選手であった曽田雄志さんもその一人。「元プロスポーツ選手としてやれることがあるのではないか」と考え、北海道出身のトップアスリートに声をかけ、今年4月に「ENプロジェクトジャパン」を立ち上げた。「札幌、そして北海道には自分が所属していたコンサドーレ札幌もあれば、プロ野球の球団もバスケットボールのチームもある。さらにウインタースポーツも盛んで、オリンピックに出場する選手がたくさんいます。なのに、『北海道はスポーツ王国』というキャッチフレーズを一度も聞いたことがない。震災によって日本全体が経済的にも落ち込む中、スポーツを通じた経済活性化を北海道から発信できないかと『ENプロジェクトジャパン』を発足したんです」。

札幌市出身。曽田さんは今年6月、豊平川に落ちた男性を救助したことでも話題に。「Yahoo!のトップニュースにもなるなど、大きく報道されたことには戸惑いましたね。情報が錯綜したのか、友達からはなぜか『小学生の女の子を助けたんだって?』という事実と違う内容のメールをもらったりもして(苦笑)。貴重な経験になりました」。

31歳での現役引退、そして第2の人生へ

曽田さんは、大学を卒業した2001年にJリーグのプロサッカー選手となり、引退するまでの9年間をコンサドーレ札幌一筋で過ごした。現役期間がクラブ史上最長だったことから「ミスターコンサドーレ」の愛称で親しまれ、多くのファンに愛される中心選手として活躍したが、一昨年の2009年に現役を引退。31歳という若さでの苦渋の決断だった。晩年は腰や両膝の怪我で試合はもちろん、練習にも参加できない日々が続いた曽田さん。その中で“プロとは何か”を自問するようになり、「向上心や危機感を持って常に競争していくのがプロ。そう思ったときに今の自分は、その土俵にも上がれていないことに気づき、引退を考えるようになりました」と振り返る。契約期間はまだ1年残っていたが、そうしたサッカーに対する誠実さと、プロとしての強い責任感が、曽田さんを新たな人生へと導いていった。

 

 

父親が社会人野球の元選手で、幼少時は「よくキャッチボールをしていた」という曽田さん。小学校4年生のときに地元のサッカー少年団に入団した際には「足腰を鍛えるのにちょうど良い」と応援してくれたが、「結局そのままサッカーを続けて、寂しかったと思います。でも、プロになれたことで少しは恩返しできたかな」とはにかむ。

「引退後のことはまったく考えていなかった」と語る曽田さん。だが、長く在籍してきたコンサドーレ札幌に愛着があり、また負債を抱える経営状況も気になった。「現役時代から自分に何ができるだろうかと、少しずつですが経営の勉強をしていました」という曽田さんは、引退後にその勉強を本格的にスタートさせる。「ゼネラルマネージャーという経営と運営を全方位で支える役職があり、たくさんの方が活躍されていますが、選手としてのキャリアを持っている人は少ないと聞いています。自分には選手側の視点からも経営を支えることができるかもしれないと思い、海外の大学院でMBAを取得しようと考えました」。2010年からはコンサドーレ札幌のアドバイザリースタッフに就任し、講演活動やサッカー教室も行いながら、留学に向けた経営や英語の勉強を必死で続けた曽田さん。そして今年1月、ついにイギリスの大学院の試験に合格し、6月からの新生活に向けて準備を進めていたところに東日本大震災は起こった。

昨年7月には初めて著書「生きているから生きてゆける」を執筆。「サッカー選手として得たものを、サッカー以外でも表現したいと思って書きました」という本作は分かりやすい文章で綴られ、曽田さんの誠実な人柄を随所に感じることができる。

人との縁によって誕生したENプロジェクトジャパン

「お前にしかできないことがある」。そう声をかけてくれたのは友人のカメラマンだった。震災以降、観光や一次産業、建設業など多くの分野に影響が出始めていた北海道経済に不安を覚え、「何かを変えなくてはいけない」と感じた曽田さんは、決まっていた留学を断念。「自分にできることは何か」を模索した。「夢やあこがれを感じてもらえる職業のプロスポーツ選手が、誠実に行動している姿を見せることは、多くの人に勇気を与えることができるはず。現役時代からスポーツ選手の社会貢献に強い想いを抱いていましたが、今こそ種目の垣根を越え、アスリートたちが自らの意志で社会貢献できる機会を設けるときではないかと感じました」。

曽田さんは、自らの人脈を頼りに北海道内のアスリートに声をかけていき、その想いにコンサドーレ札幌時代の仲間はもちろん、北海道バスケットボールクラブの阿部友和選手や桜井良太選手、陸上の福島千里選手(北海道ハイテクAC)やスピードスケートの高木美帆選手(北海道帯広南商業高校)らそうそうたるトップアスリートが賛同。お互いの種目の垣根を越えて一堂に集まった。「もちろん選手だけでなく、それぞれが所属する協会や連盟などにも交渉し、許可を取りました。スポーツ選手のほかにもカメラマンや書道家、建築会社の社長、FMラジオのパーソナリティーといった幅広い人たちにも協力して頂き、そうしたたくさんの人たちのおかげで発足することができました」。曽田さんの人脈から縁が縁を呼び、たくさんの人たちが集ったプロジェクト。それは「縁をつむぎ、輪をつくる」という想いを込めて「ENプロジェクトジャパン」と名付けられた。

被災地の子どもたちに、楽しい時間を贈りたい

今年4月に産声を上げた「ENプロジェクトジャパン」は、まず東日本大震災のチャリティイベントから活動を開始した。「北海道アスリート All Stars –まなざしの先に-」と命名されたこのイベントでは、札幌駅前通地下歩行空間に参加アスリートたちの顔を撮影した1メートルを越える巨大ポートレートと、それぞれの被災地へのメッセージを漢字一文字に託した書道作品を展示。同時に選手たちが日替わりで街頭に立ち、5日間に渡る募金活動を行った。

9月にはJTB北海道の全面協力により、18歳以上の学生を対象とした被災地でボランティア活動を行う3泊4日のツアーを企画した。

さらに5月に入ると、曽田さんと4人のアスリートが被災した南三陸町へ。先に現地入りしていたスタッフから被災者の生の声を聞き、子どもたちに靴を届ける活動「SHOES FOR TOMORROW」を実施した。「避難所には全国からたくさんの物資が届いていますが、靴はサイズが合わなかったりすることもあり、子供たちの多くが避難したときのままの靴で遊んでいると聞いたんです。そこで日頃お世話になっているスポーツメーカーに協力してもらい、足りない分は自分たちで購入して全部で700足の靴を子供たちに直接手渡しで届けました」。現地では、事前に放課後の小学校の玄関を訪れ、子どもたちの靴のサイズを一つ一つ確認。サイズの足りないものは車で2時間かけて購入しに行ったという。「彼らは震災によって数えきれないものを失いました。僕らにそれを取り戻してあげることはできませんが、せめて楽しい時間だけでも提供していきたい。手渡しした後は、みんなでバスケットボールやサッカーをして遊んだのですが、とても喜んでもらい、僕らもうれしかったです」。そういうと軽く微笑んだ曽田さん。その笑顔の奥には被災地で出会った子供たちの笑顔があったに違いない。

8月に札幌ドームで行われたキリンチャレンジカップでは、サッカー日本代表のメインスポンサーであるアディダスの依頼で限定ユニフォームを制作。バックには北海道の「道」、復興への「道」、ブラジルワールドカップへの「道」といった意味を込め、「道」という文字をあしらっている。

【北海道の未来に、アスリートだからできることがある】

現在は東日本大震災からの復興に力を注ぐ「ENプロジェクトジャパン」だが、本来の目的は冒頭でも語っていた通り、スポーツ産業を通して、北海道の活性化を図っていくこと。もちろん、これからも被災地の復興支援を続けていく予定だが、決して被災地応援団体なわけではない。根底には「北海道を元気にしていく一端を担い、そのパワーを全国に届けていきたい」という想いが流れている。「例えば、みんなが未来のアスリートを育てる一員となり、経験を踏まえた北海道ならのでは運動の教育指導要綱をつくるとか。トップアスリートやプロ選手だからできることは、まだまだたくさんあると思っています」。

「人生は思い出づくり。だから楽しくていい思い出をたくさん作りたい」という曽田さん。その人生観が人と人をつなぎ、「ENプロジェクトジャパン」という形になっていったのかもしれない。「人の喜ぶ顔を見るとうれしい」という曽田さんの活躍は、これからも多くの人に笑顔をもたらし、北海道に明るい未来をもたらしてくれることだろう。

【さっぽろ創造仕掛け人に聞きたい! 3つのクエスチョン】

Q.人をつなげるために必要なこととは?

A.自分のありのままを、素直にさらけだすこと。まず自分がどういう人間かをしっかり見せることが大事だと思います。話をするということだけではなく、聞くだけでもいい。そうすることで相手も安心し、信頼してもらえるのだと思います。

Q.人と人がつながることで広がる可能性とは?

A.一人ではできないことができるようになりますよね。特に何かを変えていくには、一人の力よりも仲間が必要です。それに一人で何かを成し遂げるよりも、大勢で成し遂げた方が困難は多いですが、喜びもその分だけ大きくなるはずです。

Q.札幌をどんなまちにしていきたいですか?

A.北海道はもっと独自性を持つ地域になっていくべきだと思っています。札幌はその中心となるべきまちだと思いますし、ただ栄えるだけでなく、道内全体を支えていくような強さを持ったまちにしていきたいですね。

 

EN project japan実行委員会事務局

所在地

札幌市清田区北野7条4丁目11-20

電話011-375-7779

設立 2011年4月10日
事業内容

スポーツを中心としたさまざまな文化活動を通じて、地域活性化活動を北海道から発信。

差し当たっての活動として、東日本大震災で被害にあった方々へのサポートを行う。

取材・文 : 児玉源太郎
撮影 : 山本顕史(ハレバレシャシン

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