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更新日:2023年2月16日

さっぽろ創造仕掛け人(第10回)

アートプロデューサー 小田井 真美さん

アートには、ときに物事の見方や考え方を変えるチカラがある。
小田井真美さんは、これまでさまざまな芸術・文化事業を通じて、
そうしたアートの魅力を伝え、可能性を広げてきた仕掛け人。
アートプロデューサーとして道内外で活躍する小田井さんに
足跡や活動に賭ける思い、社会とアートとの関わりを伺い、
札幌におけるアートの可能性を探った。
小田井さんの写真

【多くの人に、アートの面白さを伝えたい】

札幌芸術の森やモエレ沼公園といった多くの芸術・文化施設を有する札幌。市としても札幌市文化芸術振興条例を制定し、市民が心豊かに暮らせる文化的なまちづくりを進める中、さまざまな芸術・文化事業を手掛け、アートと社会とをつなぐ存在として活躍しているのが、アートプロデューサーの小田井真美さんだ。

小田井さんがアートプロデューサーとなった経緯。そこには大学時代の出会いが大きく関係している。東京の武蔵野美術短期大学から女子美術大学に編入してデザインを学んでいた小田井さんは、映像を撮る学外のグループにも所属。その溜まり場となっていたのがアートディレクター・芹沢高志氏が主宰する「P3 art and environment(以下P3)」だった。「都市・地域計画家でもある芹沢さんはいわゆる美術史的な潮流とは異なる現代アートの作家との交流が深く、そうしたアーティストとの出会いや、作品制作を手伝ううちにアートの面白さに気付いていったんです」。一時期は自らもアーティストとして作品を制作したというが、「もっとすごい人がたくさんいますし、表現することが向いていないと思った」と断念。「それよりもアートが誕生する過程やアーティストが持つ感性といったものに強く惹かれ、アーティストを紹介したい、人の意識に変化をもたらすようなアート空間を手掛けてみたいという欲求が芽生えていった」と振り返る。当時はまだアートマネジメントという仕事が珍しかった時代。小田井さんは自費でアートイベントの企画・運営を行いながら、独学でアートプロデュースのノウハウを学んでいった。

広島県広島市出身。取材は小田井さんが企画した文化事業「アーティスト・イン・スクール」を運営するAISプランニングが経営している定食カフェ「おちゃ&めし オノベカ」で行われた。

【アートとは何かを考えるきっかけとなった北海道での挫折】

東京でデザインの仕事をしながら、現代アートのイベントやプロデュースを手掛けていた小田井さんが北海道にやってきたのは2002年。帯広市の開拓120周年と商工会議所の創立80周年を記念して開催された、とかち国際現代アート展「デメーテル」がきっかけだった。「P3の芹沢さんが総合ディレクターを務めていたのですが、東京から離れられず、現地にスタッフが欲しいということで私に白羽の矢が立ったんです。北海道には一度も来たことがなく、何も分からないですし、それまでほぼ一人でやっていた企画や運営を地元の人たちと協力しながら行わなければいけない。環境がまったく違うことに戸惑いもありましたが、初めてアートの仕事だけで生活していけることがうれしく、人生で一番働きましたね(笑)」。

デメーテルをきっかけに札幌に移住した小田井さんは、札幌のNPO法人「S-AIR」のスタッフとして活躍。8年間在籍し、アーティスト・イン・レジデンス事業や「SNOWSCAPE MOERE」といったアートイベントを手掛けてきた。

帯広競馬場を会場に2ヵ月間に渡って行われた「デメーテル」は、既存の作品を集めて展示するのではなく、国内外のアーティストが帯広市を訪れ、その場のインスピレーションで作品を制作する滞在型創作活動「アーティスト・イン・レジデンス」をメインに展開。小田井さんは現地で馴染みの薄かった現代アートやアーティストに対する理解を深めるために準備段階から奔走し、開催中はアーティストの制作風景や作品を見に来た来場者のガイドや、ギャラリートークなどを行って普及に務めた。「たくさんの来場者が訪れ、事業としては無事に終了したのですが、どれだけアーティストの伝えたかったこと、私たちの伝えたかったことを共有できたかと言えば、自分としては納得できなかったんですね。北海道に来るまでは自分のお金で好きなようにやっていたので無責任でもよかったですが、文化事業となるとそうはいきません。初めて100%の力を注いだ仕事だったのに、何も伝えられず、何も残せていないと感じたことがとにかく悔しくてたまりませんでした」。アートの仕事で初めて味わった大きな挫折。それは小田井さんにイベント終了後も北海道に留まることを決意させ、新たなアート事業の誕生にもつながっていく。

【小学生とアーティストをつなぐ新たな文化事業】

「デメーテル」以降、小田井さんの目はアート好きや美術業界だけでなく、一般の人にも向けられ、アートで何かを伝えるにはどうすればよいのかを自問する日々が続いた。「興味のないものを無視できる展覧会では、見る側と見せる側のコミュニケーションを生むのはなかなか難しい。既成のものではない、新たな方法論が必要だと思いました」。そうして誕生したのが、デメーテルである程度の成果を感じていたアーティスト・イン・レジデンスを発展させた「アーティスト・イン・スクール」というシステムだった。「より一層アートに関心を持ってもらうにはやはり制作のプロセスに立ち会い、どのように作られているかを知ってもらうのが一番です。では、誰に向けて行うかと考えたときに子どもだと思ったんです」。デメーテルで来場者が作品に関心を示さずに通り過ぎる度に傷付いていたという小田井さん。それを癒してくれたのが、子どもたちの無邪気なリアクションだった。「子どもたちの素直で、自分の物差しを持っていない強さにものすごい可能性を感じました。子どもたちに面白く感じてもらえれば、周りの大人たちも必然的に興味を持ってもらえるでしょうし、アーティストの印象もポジティブになっていく。子どもたちがアーティストと社会をつなぐ良いコーディネーターとなってくれると思ったんです」。

小田井さんが初めて実施した十勝でのアーティスト・イン・スクールの様子。子どもたちとアーティストがつながる同事業は、子どもたちの感性を磨く教育としても一役を担っている。

初めてのアーティスト・イン・スクールが実現したのは、デメーテルの翌年となる2003年。十勝の5つの小学校に複数のアーティストが滞在し、作品制作を行った。「私がどうしてもアーティスト・イン・スクールをやりたかったもう一つの理由は、これが北海道に留まらず、全国にも展開できると思ったから」と語る小田井さん。その夢は札幌市のAISプランニングに運営を委ねた今も受け継がれ、十勝はもちろん、近年は道内各地でも展開。札幌市も「おとどけアート」という名称で4年前から正式な事業として取り組んでいる。

昨年の秋には、造園家としての顔も持つアーティスト小助川裕康さんが札幌市立稲積小学校に滞在。子どもたちと一緒に落ち葉を使って「秋の秘密基地」という作品を制作した。

アートのチカラで雪を楽しむまちづくりを目指す「Sapporo2」

小田井さんが自らの活動の中で「ライフワーク」と語るアートプロジェクトがある。それが冬の札幌で毎年開催されている「Sapporo2」だ。同プロジェクトは、2006年のモエレ沼公園の冬の芸術祭「SNOWSCAPE MOERE」にて、オランダ人アーティストのカミーユ・フェルシュフーレンが発表した雪の村を作るという企画が元になっている。小田井さんはそのコンセプトを受け継ぎ、2007年より舞台を札幌の街中に移して、さまざまな実験的なプロジェクトを展開している。「『Sapporo2』とは札幌のパラレル・ワールドで、そこでは深々と降り積もる雪や除雪といった雪国ならではの暮らしをアートな視点で捉え、クリエイティブな発想によって楽しむまちづくりが行われています。私もアートプロデューサーとして、これまでアーティストによる雪像製作や雪を使ったアートパフォーマンスなど、さまざまなイベントを企画してきました」。

「Sapporo2」は2009〜2010年に市から事業費支援をうけ、アーティストによる雪まつりや、雪の階段、庭園、通路といったランドスケープアートの展示といった雪国ならではの暮らしをアートで彩る取り組みが行われた。

6年目を迎えた今年はトークイベントを開催したが、そこには次なるステップを踏み出そうとする小田井さんの強い思いがある。「仲間とプロジェクトの今後を話し合ったんです。Sapporo2が最終目標としているのは、初雪の翌日に新しい祝日『Sapporo 2の日』を制定すること。みんなが思い思いに雪と戯れて、自分なりの方法で除雪や雪像づくりを楽しむような祝日ができたらと思っていて、そのためには今までのような期間を設けたイベントを行うだけでなく、市民活動となっていくような動きが必要です。トークイベントでは除雪をするための体操をつくったらどうかという意見もあり、今後はそうした取り組みにも挑戦していきたいと思っています」。

今年の「Sapporo2」でランドスケープアーティストの小川智彦さんが創成川公園に制作した「雪の枯山水(テスト)」

雪が降るまちだからこそ可能な札幌オリジナルの文化】

2010年からは茨城県のアーティスト・イン・レジデンスの施設「アーカススタジオ」のディレクターに就任し、現在は札幌と両方に居を構える小田井さん。「札幌は本州と比べると、新しい街で、美術界のしがらみもないはずなのに、アーティスト自身が型にはめようとして、アートにとって最も重要な自由が実は存在していない印象を受けます。もっと勝手にやっていいと思いますし、アーティストが冬に除雪のオペレーターをして稼いで、夏は作品作りに没頭するというライフスタイルがあってもいいのではないかと思います。また、都会化の進む札幌では、雪をできるだけ排除して冬でも夏と同じような環境を求めがちですが、雪は札幌の象徴的な存在ですし、北海道だからこそのアイデンティティだと思うんですね。だからこそ雪のない東京を目指すのではなく、札幌オリジナルの生活や文化を模索していきたい。『Sapporo2』がその突破口になっていけたらうれしいですね」。芸術・文化、多くの可能性を秘めた雪の降る札幌。そこはアートを生み出す楽園とも言える場所なのかもしれない。

2011年の「Sapporo2」で「未来、雪は厄者ではなくなる」と描かれた市民ホールの屋上。その未来は決して遠くはないはずだ。

【さっぽろ創造仕掛け人に聞きたい! 3つのクエスチョン】

Q.影響を受けた出会いは?

A.P3に通っていた頃に出会った村井啓哲(ひろのり)さん。キュレーターとして勤務されていたのですが、毎晩の様に現代アートや現代音楽などをレクチャーしていただき、自分にとってはアートの最初の先生のような存在です。また、カミーユ・フェルシュフーレンが「Sapporo2」を発表した際に使った「札幌の雪は美しい」という言葉も、それまで冬が苦手だった私に大きな影響を与えてくれました。その言葉がなかったら今は札幌に居なかったと思います。

Q.企画を立てていく上で気を付けていることは?

A.全感覚を使い、矛盾のない筋道を立てることですね。筋道を無理に通してもいい企画にはなりません。思いつきのアイデアでもきちんと言語化し、理論的に説明できるよう、何度も検証して企画を作っています。

Q.札幌でアートが育っていくために必要なこととは?

A.札幌だけにアンテナを張るのではなく、外からの刺激を柔軟に受け入れことだと思います。自分で型にはめずに意見や表現を受け入れられる柔軟性を持てると、アーティストとしての幅が広がり、作品にも深みが増していくと思います。

取材・文 : 児玉源太郎
撮影 : 山本顕史(ハレバレシャシン

 

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