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澄川と石山の間にあり、豊平川をはさみ藻岩地区に接している地区。
真駒内川がそのまま地名になった。明治9年(1876年)、開拓使時代、米国人エドウィン・ダンの指導により牧牛場が開かれた。
以来、本町以外は真駒内種畜場として牛・馬・豚・鶏・ウサギ・綿羊・ミンクなどの改良普及と農業・酪農の実習を通じて、北海道の畜産の発展に大きな役割を果たした。
昭和21年(1946年)真駒内は米軍により接収され、米軍基地キャンプ・クロフォードが建設された。
その後昭和30年(1955年)に、基地の北半分が返還され自衛隊が駐屯した。
昭和34年(1959年)には、南側部分が返還され北海道による住宅団地建設が始まった。昭和41年(1966年)には、団地造成が完了し、冬季オリンピックが札幌で開催されることが決定、真駒内がその主会場に選ばれた。
このため、旧真駒内ゴルフ場に2つのスケート場、警察学校跡地に選手村などの施設が建設され、昭和46年(1971年)には地下鉄が真駒内駅まで開通した。
昭和47年(1972年)のオリンピック開催後は、選手村などが分譲・賃貸住宅となり、その後も宅地造成・マンション建築が進み現在のような大住宅団地となった。
真駒内神社 詳細画像を見る
真駒内開基百年記念碑 真駒内種畜場之跡(碑) 馬魂碑 真駒内稲作試験場跡
獣魂碑 明治天皇行幸道路(記念碑) 行幸記念碑 大典紀念(碑)(真駒内第1公園)
あけぼの(碑)(真駒内曙中)
水車場跡(真駒内曙公園)
種畜場家畜房跡(真駒内めぐみ公園)
オリンピック村記念銘板 ラーセン農場跡(五輪記念公園)
産業戦士英霊顕彰碑跡(真駒内公園)
昭和天皇歌碑(真駒内屋外競技場)
鮫島交魚子句碑 第七混成団駐屯記念(碑) 殉職隊員之碑(真駒内自衛隊内)
エドウィン・ダン像(エドウィン・ダン記念公園)
殉職警察官之碑 記念碑(オリンピック) (警察学校内)
プレスセンター記念銘板(北海道青少年会館)
※「碑を訪ねて」は南区の郷土史の資料の充実を通じてふるさと意識の向上を図ることを目的に掲載しているものであるため、寺社等、札幌市が管理していないものも掲載しています。
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