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藤野と小金湯の間の国道230号沿い地区で豊滝を含む。
明治初期には、石山西部から定山渓に至る広い地域を指していた。
旧豊平町大字平岸村字簾舞で、野の沢・東御料・西御料・上砥山・下砥山・板割沢・東簾舞・西簾舞が含まれている。
アイヌ語で「ニセイオマップ(峡谷にある川)」と呼ばれていたのがなまり、「ミソマップ」となり明治5年(1872年)に簾舞の漢字があてはめられた。明治4年(1871年)、本願寺道路(虻田越新道)が開通、翌明治5年(1872年)開拓使は通行屋を簾舞に設け、黒岩清五郎を屋守に命じた。清五郎は開墾にも力を注ぎ、現在の簾舞1区のほとんどを開墾した。
明治17年(1884年)、札幌農学校の用地となり、明治28年(1895年)同校の第四農場(後の北大第四農場)となり小作制による開墾を進めた。
明治末期には、小学校・病院・郵便局・警察官駐在所などが設置され大正7年(1918年)には定山渓鉄道が開通、簾舞駅が置かれた。
その後、リンゴや除虫菊などが栽培され昭和に入るとイチゴも栽培された。戦後は、蔬菜の栽培、養豚、養鶏が行われ、昭和30年代以降は住宅地として発展。最近では、区画整理事業による住宅の増加を見ている。
花岡神社 詳細画像を見る
追悼碑(大松寺)
旧黒岩家住宅(旧簾舞通行屋) 旧簾舞通行屋景勝塔(半鐘櫓)(簾舞1~2)
二宮金次郎像(簾舞小)
成墾紀念碑 記念(碑) 開基百年記念塔(碑)(花岡神社)
希み(像)(簾舞中)
馬頭観音碑(清勝寺)
山之神(碑)(豊滝神社)
宝性地蔵(上砥山)
延命地蔵尊(下砥山)
馬頭観世音(碑)(下砥山)
※「碑を訪ねて」は南区の郷土史の資料の充実を通じてふるさと意識の向上を図ることを目的に掲載しているものであるため、寺社等、札幌市が管理していないものも掲載しています。
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