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所在地 |
〒006-0033 札幌市手稲区稲穂3条5丁目1-28(稲穂会館内) |
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電話 | 011-684-4020 |
FAX | 011-684-0349 |
開所日時 |
月曜日~金曜日(年末年始、祝祭日を除く) 8時45分~17時15分 |
交通機関 |
JR稲穂駅下車徒歩約7分 ジェイ・アール北海道バス「手稲営業所前駅」下車徒歩約5分 |
周辺地図 | 周辺地図 |
市の保存樹木に指定されている夫婦松(稲穂2条6丁目) 手稲西小学校「鉱山の部屋」(金山3条2丁目)
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稲穂は、明治4年ころ最初の開拓者が入植したのが始まりです。開拓当時は、うっそうとした原始林が広がっていました。
手稲北部一帯は、泥炭湿地の不毛地帯でしたが稲穂だけは造田可能な地でした。それでも、手稲山から急勾配で流れる河川の犠牲となり、一夜で泥田と化したこともありました。
大正から昭和14、15年ころまでは、星置地区とともに大根の生産地として知られました。
もともと星置の一部であったこの地は、稲の穂がたわわに実ることを夢見て、開墾に全力を傾けた先祖の苦労をしのんで稲穂と名付けられました。こうした先人たちの足跡をたどって、今の稲穂の街並みを知り、将来を考える取り組みが、現在、稲穂の人たちによって行われています。
金山は、「手稲鉱山」の繁栄とともに築かれたまちです。
この地は、もともと星置の一部でしたが、星置川で砂金が見つかったことなどから、金の山、きんざんと呼ばれるようになり、昭和17年の字名改正の時に正式に金山(かなやま)と名付けられました。
手稲鉱山は、明治24年に鳥谷部弥平治が偶然金鉱を発見し、昭和10年、三菱鉱業が本格的に金の採取を開始。
最盛期には、東洋一の選鉱場、鉱山ケーブル、滝の沢温泉(現在のイムス札幌内科リハビリテーション病院)、星置小学校(現在の手稲西小学校)、劇場などがあり、人口は8,000人以上もいたといわれ、そのにぎわいは鉱山が経営を縮小する昭和20年ころまで続きました。
手稲鉱山の歴史は、手稲西小学校の「鉱山の部屋」や星置川沿いの鉱道の入口跡、住宅の土台などで知ることができます。
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