ホーム > 総合案内 > 動物園の取組 > 市民動物園会議 > 動物園条例の検討について > 講演会「みんなが支える動物園~保全活動は誰のため?~」実施結果 > 第1部基調講演「いい動物園って何だろう?」
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佐渡友 陽一(帝京科学大学)
(※読みやすいように整理しているため、実際の発言とは一部異なります。)
ご紹介にあずかりました佐渡友と申します。本日は、どうぞよろしくお願いいたします。
私からは、いい動物園って何だろうというお話をさせていただきます。
具体的には、1.そもそも「動物園」とは何なのか、2.日本の動物園は何をしてきたのか、3.「いい動物園」とは何なのだろう、4.「いい動物園」に必要なことは何かという順番で、世界をリードしている動物園ではどうやっているのかに触れながらお話をしたいと思います。
さて、次に、2.の日本の動物園は何をしてきたのかについてお話します。
種の保存、教育・環境教育、調査研究、レクリエーションという4つの目的があるのですが、これは世界的には20世紀前半からあったみたいです。日本でも1930年に既に紹介されています。でも、日本にこれが定着したのは1970年代から1980年代ということで、かなりのタイムラグがあるのですね。とはいえ、かなり古い理論で、今から見れば100年前になります。
しかし、これに対する異論もあります。
山本茂行さんというのは日本動物園水族館協会の会長までやった人ですが、その人に言わせると、「そういう意味合いがあるという程度の羅列表現」であるとのことです。あるいは、石田戢さんというのが私の師匠なのですけれども、この人に言わせると、「動物園の持っている本来の役割を自覚しにくい」とのことです。でも、そう言われますと、本来の役割とは何ですかということに当然なりますよね。
東京都は、こういうとき、すごくしっかりとした調べ物をするのですね。その調査記録を見ると、日本人が期待していることについて、お父さんやお母さんのグループにインタビューをしています。そうしたら、「絵本やテレビではない本物の動物を見せる」、これが動物園に期待される役割であるという言葉が出てくるのです。
ちょっと待ってください。テレビの動物は本物ではないのですか?「本物」とは何なのかという話になります。
もう一つ、日本人は「触れ合い」が好きだとよく言われ、動物園業界では結構問題になるのですけれども、これが本当にひどいです。触れられる動物が全くいない平日の多摩動物公園にまで触れ合いを求めてくるのです。動物園業界では触れ合いといったら、大体は触ることを指すのです。ところが、全く触られないくせに、不思議なことに、アンケートを取ると、お客さんは満足して帰っているのです。
もう少しお話をしておきます。
これはうちの子の写真で、私がまだ市役所職員だったとき、こういう場で使うなんてことを全く考えず、単なる家族写真として撮ったものなのですけれども、おっ、指を差している、面白いなと思ったのです。「トラを見て指を差すんだ、この子は」と思いました。
まだ、「あー」とか「うー」とかしか言わない子どもが指を差したので、面白いと思ったということですが、この指さしという行為について、後々学んで驚いたのですが、親の反応を期待した行動と考えられ、人間の特徴の1つだというのです。確かに、ほかの動物は指さしをやらないですよね。
心理学的には「共同世界の構築」と言うらしいのですけれども、言語を獲得する前提として、あれ、あれという行為をするようなのです。確かにそうですよね。こうやって人間は成長していくのです。
ゾウを見て、お母さんはなんて言うかというと、「ほら、ゾウさんだよ、ゾウさん」と言いますよね。当たり前じゃん、みたいなところがあるのですけれども、このときの子どもの脳みそのことを発達心理学的に考えると、「ゾウさんか、何か絵本で前に違ったものを見たぞ。でも、今、ママはあれがゾウだと言っているぞ、このゾウとあのゾウは一緒なのか、そうか」となります。つまり、カテゴリーを構築していき、言語を学ぶということなのですが、これはかなり高度な学習です。
ここのところをもう少し見ていきます。
無藤先生に言わせると、1歳前後の子どもというのは、周りの事物を見詰めるひたむきな表情を持っているのだそうです。ヒヨコに触るのも半ばおっかなびっくりで、未知の生物ですから、すごく真剣なまなざしをするのです。よく分からないけれども、物言わぬ動物だ、触ってみたらどうなるのかということでコミュニケーションを試みるのです。
本当に小さい子はヒヨコに触ることすら怖がります。でも、1歳ぐらいになってくると、この世界に出会うことに夢中なのだという言い方をしています。心理学用語では、「命名の爆発」と呼んでいるようですが、あらゆるものに命名して、世界を秩序化するといいますか、こうして世界を認識していくのです。
つまり、この子にとっての世界というのは、今まで家庭の中にしかなかったので、外に出ていくと、次々と常に未知のものが生まれてくるのです。世界というのは、そういうものだということを認識していきます。
この子は非常に真剣なまなざしでウサギに怖々とタッチしているわけですけれども、この時点で世界を探索する自信と最も基本的な方法を身につけていると言うのですよ。要するに、それは自分の知識を活用するということです。「これはウサギだ。絵本で見たな」という話です。それから、大人の知識も引き出します。「ママがこれを膝に乗っけて触っている、どうも触ってもいいものらしい」と知るわけです。そういうことをしながら、大人の側としては我々の文化が持つ世界の認識を伝えていきます。これが世界観を構築するプロセスだということです。
でも、これには当然、ツッコミが入ります。それは、マスメディアとかバーチャルで代替できないのですかということですね。
先ほどもちょっと言いましたが、例えば、ライオンの狩りをアフリカに行って撮影するカメラマンは、自分の身の危険も含めた恐怖感みたいなものを覚えると思うのですけれども、テレビで見ているこちら側の私たちは身の危険を感じないですよね。このように、伝わらないことは当然あります。
迫力みたいな存在感、何をするかが分からない相手といった感覚、そこに取替えのきかない生死があるということもそうです。でも、そういったものを実体験することで人は世界観を構築していくわけです。その中で動物園はどこまで役割を果たしてこられたのかという問いはありますけれども、代理体験や仮想現実ではやり切れない部分はあって、生きている証に出会うということをいかに動物園でやっていけるのか、それを私たちはちゃんと考えていかなければいけないだろうということです。
そこで、いい動物園とは何ですかというお話に移ります。
まず、大目標を示します。
人も動物も幸せにする動物園です。これには、多分、誰も異論がないと思います。このうち、地域の人を幸せにということは先ほど話していたようなことでやってきました。では、飼育動物を幸せにできていますかということで出てくるのが動物福祉ですね。あるいは、将来世代の幸せを奪っていませんかということで考えなければいけないのが保全の話になります。
これらについて、もうちょっとちゃんと言いますね。
アメリカの動物園のことを少しお話しします。アメリカの動物園は世界をリードしています。
その中には、営利目的の民営の動物だけではなく、公立の動物園だけれども、施設が物すごく古いというところもあります。
これは80年ぐらい前の施設なのですが、そこをいまだに使っているのですね。いかに貧乏な自治体かという話なのですけれども、そういった動物園もあります。
さらには、これを動物園とは言わないで欲しいというようなレベルのものもあります。
私が行ったのはクリケット・ホローというところですが、個人経営の動物園を名乗る施設で、私が行ったときにはこのトラはいなかったのです。いないことを知って行きました。それは、動物保護団体に訴えられ、裁判に負け、ほかの施設に移したからです。隣のオオカミはいましたね。何にせよ、不潔な状況、獣医的なケアの欠如などがあります。裏側の施設を見た瞬間、日本の動物園人は、ちょっと、こんなところでトラを飼うなよと思うと思います。ひどいところは本当にひどいです。
アメリカというのは本当に自由な国でして、ですから劣悪な施設もあるのです。
でも、先ほど言った気高い施設、AZAを構成するような人たちというのは、そんな施設と一緒にされたくないのです。そこで、AZAは認証という仕組みを設けまして、この認証基準をクリアしなかったらAZAには入れませんという基準を決めているのです。
実は、これと同じような構造が日本にもあります。
日本をリードする動物園としては、上野や旭山が有名です。当然、円山もここに入ってくれないと困りますよね、と静岡にいた人間は思うわけです。札幌は大都市ですからね。
一方、今、私は山梨県民ですが、甲府市の動物園は日本をリードするのはちょっと難しいですね。面積が2ヘクタールぐらいしかないのです。でも、そんなところでもJAZAに加盟し、自分たちでできることはやりますよと言ってやっています。
そして、JAZAも審査という仕組みを持っています。認証ほどではありませんが。そして、非加盟の動物園がやはり日本にもあるのです。
そして、やはり、山梨県内にもその下のものがあるのです。
そこで、いい動物園とは何ですかと改めて考えましょう。
まず、動物園の仲間と認められることです。ゾウやキリン、カバなどは、お互いに繁殖させて交換するものです。日本ではブリーディングローンをしていまして、お互いに貸し借りをするのです。買える動物は例外的に市場に出たものであって、買える動物だけでやっている動物園は大したところではありません。だからこそ、飼う以上はきちんと飼うということが求められます。それは、保全と動物福祉を前提にした施設があるということです。
甲府市にあるところは正直古いのです。でも、古い施設だけれども、それなりに頑張っていますというのはある程度はみんなも認めてくれます。でも、リニューアルをするのだったら、その時代の水準に合わせたものをつくらないと、何を考えているのですかと言われてしまうわけです。
そして、この水準は常に上がっていきまして、より高いレベルを目指すことになります。保全も動物福祉も、これで完璧とはならないのですよ。より高いレベルを目指した不断の努力が必要です。もっとよくしないといけない、もっとよくできるはずだという思いを常に抱えながら仕事をやっていかなければなりません。それが動物園という業界のプライドにもなってくるわけです。
最後に、いい動物園に必要なことは何かです。
まず、世界をリードする動物園の話をする前に、日本の動物園の話をちょっとしておきます。
これは、昭和9年、戦前の上野動物園の収支です。収入の入園料は22万4,000円です。物価が違いますね。これは年間収入ですよ。入園者数が183万人です。人口も違います。支出は13万6,000円です。しかも、この中には、「その他」の中にあるのですが、上野公園そのものの管理費を含みます。
これは、どういうことだ?という話になりませんか。収入の方が大きいですよね。何をやっていたかというと、実は上野動物園は稼いでいたのです。ある意味、営利目的だったのです。といいますか、公園のためのお金を稼ぐのが上野動物園の仕事であって、それによって東京市全体の公園行政を支えるみたいなことをやっていたのです。こんなことをやっている動物園は世界的にもないですよ。
(このグラフは)その日本の動物園が戦後はどうなったかです。
戦後すぐの時期は収入のほうがまだ多かったので、子どものために動物園をつくろうとしました。独立採算だから、つくれば何とかなるという計算が働いたのです。でも、その後で起きたのは、GDPが伸びていくのに動物園の規模が変わらない、収入と支出がずっと同じ額、でも、物価は上がっていくということでした。これはなぜかというと、子どものためにつくったから入園料が上げにくかったのです。それで、収入が増えない分、支出を抑えて我慢することになります。つまり、規模が縮小していくことになります。ものすごく苦しいですよね。それでも給料だけは払わないといけないのです。
そこで、収入を、独立採算を維持するために、遊具を増やして頑張ります。これを典型的にやったのは、実は結構お近くにあって、帯広の動物園です。
日本平ができたときに、帯広にわざわざ視察に行っているのですけれども、帯広は遊具で頑張っている、ああいうスタイルを日本平でもできないかと考え、学びに行ったのですよ。その学び方はちょっと間違っていませんかと今の私たちなら思いますよね。でも、日本平ができたのがちょうどこのぐらいの時期なのです。
それから、時代が変わります。支出超過、収入のほうが支出よりも小さくて当たり前となっていきます。このときの論理は、福祉国家の建設というちょっと古い言葉になるのですが、ゆりかごから墓場まで、税金で面倒を見ましょうという考え方があります。そのため、動物園ではサービスをお安く提供しましょう、入園料は上げません、特に、子どもと高齢者は無料にします、としたのです。小学生や65歳以上の方が無料になったのはこの時代です。
でも、そういうことがある時期にぴたりと止まります。それがオイルショックのときです。プラザ合意やオイルショックなどで、時代が一気に変わり、高度成長期が止まり、福祉国家の建設が挫折するのです。そこから先は、増税なき財政再建といって、今でも通用するような言葉が出てくるわけです。この増税なき財政再建は、オイルショックが終わってからこの50年間、動物園に関してはずっと続いています。自主財源は3割から4割で、残りを役所に持ってもらうというバランスで何とかやっていこうというのが今の日本の動物園の形です。
ここで日本の動物園全般の話をします。
まず、日本の動物園の入園料はとても安いです。5年ぐらい前の調査ですけれども、平均で500円ぐらいです。500円でまともな動物園に入れるなんていうのは、アメリカやヨーロッパではあり得ません。最低でも1,000円は取られます。2,000円前後が平均的な料金だと思ってください。えっ、動物園に入るのに2,000円も、と思った人が多いかもしれませんけれども、世界の動物園はそんな感じです。これには日本が独自に安くし過ぎたというところがあります。
では、それだけいっぱいお金を取っているアメリカの動物園は、さぞかし入園料でもうけているのかなというと実は全然そんなことはなく、入園料の比率は小さいのです。年間パスポートみたいなメンバーシップまで入れても25%ぐらいで、自主財源はこのぐらい(3分の1)です。そして、残りの3分の1として行政補助が入っているのです。2,000円の入園料を取りながら、行政補助ももらう、かつ、足りない分は寄附金とその基金運用益です。寄附金を集め、それを運用して増やしているのです。ざっくり言うと、自主財源と行政補助と寄附金が3分の1ずつというのが、アメリカの動物園の収支構造なのです。
アメリカの動物園はこんな感じなのですけれども、それに対して日本の動物園は、先ほど言ったように、収入が3分の1ぐらいで、あとは行政に持ってもらっています。
最初にこれを見たとき、私と師匠の石田さんは、日本では寄附金が得られないから、その部分を行政が見るのはしようがないよね、構造は大体一緒だよねと言っていました。でも、大勘違いでした。だって、入園料が倍ぐらい違うわけですよ。つまり、パイの大きさをそろえると、こう解釈するのが正しいのです。日本では行政補助はそれなりに出ています、入園料は半分しかないです、寄附金はさっぱりないです、言ってみれば、日本の動物園は片肺呼吸のような状態だ、つまり、日本の動物園というのはいまだかつて一度たりともまともに運営されたことがないと考えざるを得ないということです。
さて、後半の話に入っていきたいと思いますけれども、ここで区切らせていただきます。
〔スライド56 休憩〕
アメリカの動物園の財源の話を確認しておきます。
財源としては、利用者負担の部分、行政補助自治体の負担の部分、寄附みたいな善意の資金と呼ばれる部分の3つに分けられます。
これについて経済学的な話で確認しておくと、利用者負担というのは市場の役割と言われます。自発的意思に基づく価値の交換というものですけれども、市場経済です。ただ、市場経済だけだと「市場の失敗」というものが起きるのだというのが経済学の考え方としてあります。道路みたいにみんながただで使うものは誰もつくってくれないではないかという話です。そして、そこに自治体といいますか、政府の役割が出てくるよねという話です。
税金を集めることで公共財を提供するのは大事だよねということで、承認された公益を実現させていくわけですけれども、実は、これも経済学的に言うと失敗してしまいます。なぜかというと、適正手続や官僚制の限界など、いろいろな言い方がされます。大きな政府がいいのか、小さな政府がいいのかという議論もありますよね。それで、結局、どうなるかというと、分かるのだけれども、お金ないのだよという話になってしまうのです。
そこで、それを乗り越えていこうというとき、善意の資金、新しい公共という言い方をしますけれども、こういったものが出てきまして、ここに非政府・非営利セクターの役割が出てくるのです。そして、お金の集め方はファンドレイジングという手法になります。片仮名になってしまうのは適切な日本語がないからですが、これによって未承認の公益をいかに実現していくかという話になります。
日本の動物園は、先ほど申し上げたようなことを入園料と政府資金だけでやってきたわけです。その結果として、今、日本の動物園はどうなっているかというと、入園料は安いのだけれども、1人当たり経費も小さいので、利用者の皆さんにとっては「安かろう悪かろう」ということになっています。経常経費が小さいくせに自治体の補助割合が大きいわけでして、自治体から見ると質の割に負担が重いとなります。そうすると、自治体は動物園を締めつけ、飼育員の数が少なくなり、非正規化が進行します。これは、実際に起こっていることです。
アメリカやドイツ語圏の動物園と比べると定量的に出るのですけれども、動物園にしてみると、制度上、やりたくてもどうしようもないとなるのです。これが日本の動物園の状態で、利用者も自治体も動物園も、誰も満足できない状態になってしまっているわけです。それで、自治体だけで動物園をよくするには限界がありますよねと考えざるを得ないということです。
先ほども言いましたが、動物園というのは、本来、野生にいる動物を飼育展示する施設です。それは、言ってみれば、生態系サービスに依存しています。生態系にいろいろな動物がいるからこそ動物園でいろいろな動物をお見せできるのです。当たり前の話ですよね。
では、生態系サービスとは何かです。
人類の豊かな暮らしというのは、そもそも、生物多様性に支えられているよね、世界中にたくさんの生き物がいて、空気や水もそうですし、食べ物は品種改良をしたりしていますし、薬なんかもそうで、私たちは元を正せば生態系に頼っているではないかということです。そして、それを考えたとき、持続可能な開発という概念が出てきます。
そうしてみると、動物園は生物多様性の危機にいち早く気づく文化的装置としての役割を持っているとも言えます。どういうことかというと、地球の裏の動物が危機に瀕しても、例えばマダガスカルで何かの動物が危機に瀕しても、皆さんは、直接、それを知らないわけです。ところが、動物園の人間にとってはマダガスカルというのはすごく重要な場所でして、よく知っているわけです。
つまり、生物多様性の危機に対する動物園というのは、毒ガスに対するカナリアみたいな位置づけにあって、最も敏感で、かつ、発信力があるということです。最初に気がついて、それを言える立場にあるのです。だったら、ほかの人が気づいていないような危機を言うべきですよね。今、あれが危ないのだと。それをするのが世界動物園水族館保全戦略となるわけです。
どう考えても、これは未承認の公益を訴えていくこと以外の何物でもありません。だって、ほかの人は気づいていないのですから。それを役所に言ったって、「そうだね、そこにお金を出さなければ」という話になるわけがないのです。
ですから、動物園というのは、市民・地域と、世界・地球をつなぐ鍵になり得るのだけれども、それは同時に、政府の役割を超えてしまっているのです。そこで、どうするのかと考えなくてはなりません。
ここで世界の動物園を見てみます。
ニューヨークの動物園は、ニューヨーク市が土地を提供しました。今はWCSと言っていますけれども、昔はニューヨーク動物学協会という団体がありました。そこに、土地は貸し、人件費をはじめ必要な維持費は出すから無料開放日をつくってねという約束をして、頼まれた団体が動物園のプランをつくり、そのプランに対して寄附金を集めました。つまり、動物園を寄附金でつくって、そこから入園料が得られるようになったのです。
そして、この団体は次に何をやったかというと、北米やアフリカで野生動物の研究保護プランを打ち出すのです。実際にアメリカバイソンの保護もやっているのですけれども、そこで寄附金をまた集め、寄附が集まると研究保護活動が行われるので、実績や情報が入ってきます。ほかの人たちが全然知らない最先端の情報が入ってくるわけです。それを基にして独自の展示プランをつくり、そこでもまた寄附者を集め、新しい施設をつくり、世界で一番いい動物園はここだとなって、観光客も来るわけです。
この間、基本的にニューヨーク市は底支えをしているだけです。動物園が勝手にどんどんと発展していっているのです。市役所としてはおいしい話ですよね。これがアメリカの動物園の基本でして、このニューヨークモデルが全米に広がっていったと言われています。
それでは、ヨーロッパはどうなのかです。
アメリカは特殊だからねと当初は言っていました。それが、チューリッヒが典型的ですけれども、今、ヨーロッパもこれにかなり近づいているのです。
ここは、ベルリンと同じで、公益株式会社という仕組みなのですが、園長にお話を伺う機会がありました。そして、ああ、そうなのだと思ったのが「自治体の補助金は保全や研究には使えないので、それは寄附金だけでやっているよ」と言う話です。つまり、お財布を分けているのです。ですから、「自治体の税金は地域住民に還元すべきでしょう」というロジックは、日本でもヨーロッパでも、そしてアメリカでも同じだということです。
では、その寄附金はどうやって集めるのかということが求められるわけですけれども、実はヨーロッパの友の会というのが寄附金を集める団体なのです。もともと、そうやって動物園をつくってきました。博物館なんかもそうです。
そして、チューリッヒ動物園でお金を集める、ファンドレイジングをやる担当は教育&マーケティング部門です。教育とマーケティングをセットにするのかと一瞬思いました。でも、よくよく考えたら、確かにうまいですし、正解なのです。
というのは、先ほどの未承認の公益です。地球規模での生物多様性保全、動物福祉、動物の幸せを徹底的に追求するということをやっていくと、どうしても未承認の部分が出てきます。そこを支えるのは寄附などの善意の資金でしかあり得ないので、そこでファンドレイジングというロジックが出てきます。
日本ファンドレイジング協会は、「人々に社会課題の解決に参加してもらうプロセスなのだ」、そして「共感をマネジメントしながら組織を成長させる力なのだ」と言っています。ちょっと難しい言い方ですが、簡単に動物園に当てはめると、生物多様性の危機を訴えて、寄附などによって解決への参加を促すということです。ですから、動物園が本来行うべき教育的な活動であるということで、これは環境教育そのものであるという話なのです。
確かに、ファンドレイジングは教育と表裏一体なのです。
ここでお金の使い方を見てみます。
経常経費、ふだんの動物園のお金というのは利用者負担等だけでは回らないので、そこに自治体の負担が入ります。そして、投資的経費ですが、ヨーロッパでは自治体の負担がかなり入っています。アメリカでも入ることがあります。でも、欧米では、それに善意の資金が必ず入ります。
先ほどの話では保全研究には自治体のお金が使えないということですから、善意の資金でやるしかありません。でも、ここから善意の資金を消すと、日本の現状が見えてきます。
投資的経費は自治体が全部持つしかありません、保全研究は財源がないためにできませんという話になってしまうのです。そこでファンドレイジングという話になってくるわけです。
動物園におけるキーワードとしては、「子どものため」、つまり次世代への贈与、自らの人生の充実みたいなことが語られます。それから、「動物のため」、つまり保全や動物福祉です。ここで、円山動物園のような象のための施設をどうつくるのかみたいな話が出てくるわけです。
結局、自治体の負担だけでは不可能なことをどこまでできるのかが問われます。どんどんと良いものをつくろうとしたときには、人々の気持ちや寄附で実現していく、自治体だけではできないことをやっていくことが求められるということです。
日本は長らく寄附文化がないと言われていました。実際に、日本ファンドレイジング協会ができたのは2009年で、まだ10年ちょっとしかたっていません。私はそこに入っていて、準認定ファンドレイザーという肩書きを持っているのですけれども、設立2年後にすごく大きな寄附税制の改正がありました。これにより、日本の寄附税制はアメリカよりも手厚いぐらいになり、税額控除ができるようになりました。
しかも、同じ年に東日本大震災が起きまして、寄附額が一気に伸びました。それで寄附元年とも呼ばれています。
さらに、最近はやりのクラウドファンディングです。READYFORという会社が結構有名ですが、この会社ができたのも同じ年なのです。この頃からふるさと納税も有名になっていって、どんどん活発になってきていますよね。私たちが暮らしているこの10年ぐらいの間に日本という社会そのものが相当変わってきているのです。
先ほど福祉国家という話をしましたが、それに対し、今は福祉社会と言われています。それは、国が全部をやるのではなく、人々の共感から生まれる善意の資金でみんなが暮らしやすい社会をつくっていこうという考え方に世の中がなっているのです。そういう中で動物園は何ができるかを考えなければいけないわけです。
例えば、ふるさと納税の有名なものの1つに首里城があります。
皆さんもご存じですよね。火事になってしまいました。約半年で5万人が9億円ぐらいのふるさと納税をしています。9億円もあったら結構な建物は建ちます。首里城は9億円では建たないとは思いますけれどもね。しかも、これは返礼品なしなのです。そこがすごいところですよね。
動物園の業界でもあります。富山市ファミリーパークが中心になった保全目的のクラウドファンディングです。これは、公社が管理するライチョウ基金でして、ふるさと納税ではありませんが、1,174名という結構な人数が2,600万円を寄附していまして、目標の2倍に達しました。1人平均で言うと2万2,000円です。先ほどの首里城は、人数は多かったのですけれども、1人平均で言うと1万8,000円なので、そんなに変わりません。
実は、ファンドレイジングの一般論として、寄附額の8割は2割の人が寄せると言われています。高額寄附者が大事だというのはファンドレイジング業界の常識なのです。
今、こういうことが幅広く行われるようになって、先ほど言ったREADYFORの続きです。那須どうぶつ王国という民営の動物園が中心になって保全を看板にしたクラウドファンディングを行いました。プロジェクトの支援を要請するものですが、うまいのですよ。そして、ここの園長がすばらしい方なのですよ。何はともあれ、開始2日で第1目標の1,000万円を軽く突破しました。たった2日で1,000万円ですよ。
実は、プロジェクト型のファンドレイジングというのは、スタートダッシュ分を内々に固めておいて、スタートするからよろしくねとあらかじめみんなに言っておくのです。スタートして成功して、「おっ、やっているじゃん」ということからお金がさらに集まってくるという構造です。
このとき、地元のテレビ局、新聞は全国紙も含めてアピールをやっていらっしゃっていまして、園長にお話を伺ったら、かなり周到に手間をかけて準備をして、「いや、大変だったよ」みたいなお話を聞きました。でも、こういうことは手間暇がかかるのです。
さて、円山動物園はどうでしょうか。そこを見てみましょう。
2007年から寄附金の募集を強化していらっしゃって、年間1,000万円の寄附と数百件の餌の寄贈があるということです。また、2015年から札幌円山動物園サポートクラブができ、動物たちがより幸せに暮らせるための寄附募集をやっています。60万円、130万円という感じでお金が順調に集まってきているのはすばらしいところですよね。
実際、2015年段階では、目的や金額を明示して寄附を集めたようですね。こういうものをキャンペーン型というのですが、先進事例の1つだと思います。かつ、寄附のご案内や年度ごとの一覧など、全てをホームページ上に載せていらっしゃるということで、とてもしっかりしていると思います。でも、残念ながら、あくまでも年度単位なのです。
実は、その後もやっていらっしゃるようなのですけれども、金額が上がっていないのですよ。年間1,000万円の寄附金が集まるところが数十万円規模でずっとやっていらっしゃるということで、私としてはもう少し頑張っていきましょうよと言いたいのです。
ここでは、桁を上げるだけではなく、何年か分を集め、固めて使う仕組みが必要になってくるのです。先ほどのことで言うと、年間1,000万円集まるものをまとめて使うにしても、そのおかげでこんなものができたのですということをきちんとお伝えしていくことがとても大切だと思います。そこがクラウドファンディングとずれが出てきているところかなと思っています。
実は、動物園と寄附にはすごく古い歴史があります。日本平動物園ができた1960年代に幼稚園児たちによる1円募金が行われたという記録が残っています。京都の場合は明治時代です。もともと、寄附金からスタートしているのです。当時のお金で1万4,000円だったのですけれども、何をつくるかの検討をして、動物園をつくりましょうという話になりました。総工費3万2,000円で動物園ができています。そのうちの4割が寄附金です。つまり、日本で2番目の動物園は4割が寄附でできたのです。
その後、2010年にリニューアルをするということで入場料を100円値上げしたのです。それを基金に積み立てて、今、リニューアルが終わったところです。
その京都の動物園を見てみましょう。ここに木道があって、上のところからキリンなどが見られるのですけれども、この木道は、幼稚園の子ども、その保護者や家族からお金を集めてつくったのですと書かれています。
日本で最大の遺産の寄附の事例もあります。
これはゴリラ舎ですが、施設整備費3億円のほぼ全額が寄附で賄われました。そこに上野生まれのモモタロウくんというゴリラがいます。この子はどこで寝ているのかというと、こんなに高いところです。おっ、さすがゴリラだなと思いますよね。
モモタロウくんがこれをやっているのはいいとして、ゲンタロウくんという子どももパパと同じような格好で寝ているのですが、その子がここにいます。こんな高いところにいて平気なのだなと思います。でも、下ではお母さんがちゃんと見守っているのです。
こういった施設が寄附で実現していて、国内でも例が出てきているわけです。
また旭山動物園についてです。
第2こども牧場には特に典型的なパネルがありましたけれども、1億円の遺贈寄附がありました。そこにはメッセージがあるのです。中村さんは、亡くなる直前「私のようなものでも一生懸命努力をすれば、社会に貢献することができる。次代をになう子供たちにこのメッセージを残してほしい」とおっしゃっていましたというメッセージが動物園内に掲げられているわけです。
動物園というのはそういうことができる場所なのです。そういったことをこれからの動物園はうまくやっていかないといけないのです。お互いにメリットがあるようにということです。
こちらは、横浜の事例です。
これもやはり遺贈寄附です。1,000万円単位の遺贈寄附でビューポイントができ、ライオンがとても見やすくなりました。
といいましても、そんなに大きな金額でなくてもいいのです。
アニマルペアレントという横浜の仕組みがあるのですが、この切り株の隠れ家は寄附金で設置しましたよと書かれています。こういった事例は国内でも非常に多くなってきているのが現状です。
ここで改めて整理します。
もともと、来園者というのは潜在的な寄附者として位置づけられます。それが寄附をしてくれたり友の会に入ったりすると、初回の寄附者みたいな扱いになります。そして、会員資格を更新し、動物園を全面的に支援するようになってきて、その後は大口寄附者になり、最後に遺贈寄附ということで、死して動物園に名を残すという流れです。
こうしたことをやっていくために重要なのは顔の見える人間関係だと言われます。それは、社会関係資本でして、経済学的にいうと、ソーシャル・キャピタルと言われるのですが、人間関係はとても大事なのです。だって、遺産として残すのだから信頼関係が大事ですよね。つまり、ファンドレイジングというのは人間関係づくりなのです。だから、教育と親和性がすごく高いのです。
また、寄附というのは行動の変化なのです。それも時間のない人にもできる行動です。行動の変容というのは環境教育が狙うところですよね。環境教育というのは、いい世の中にしていくため、人々の行動を変えさせていかなければいけません。そうした環境をつくるために寄附という行為を取ってもらうことによってそれを保全に結びつけていこうということが動物園にはできるわけです。日本の動物園、水族館は伝統的に手を出してきませんでしたが、ヨーロッパやアメリカでは普通に行われているわけです。
ここで遺贈の話をちょっとしておきます。
動物園を媒介にし、人と人をつなげて、有意義で、孤独でない人生を提供するということですが、こうしたことを動物園ではできるのです。チューリッヒの動物園はそういうことを本当に熱心にやっていらっしゃいました。
例えば、今はコロナです。このコロナの時代にファンドレイジングはどうあるべきかはこの業界でもやはり大きな話題になっています。ファンドレイジングで問われるのは、コロナ以前に戻ることではありません。よりよい世界にするために今こそ何ができるのかを考えなければいけないとされています。
そこで大切なのは、ふだんからの人的なネットワークの構築で、一人一人との関係を大切にして、相手に合わせて提案したり、相手の知恵も活用しながら新しい局面に挑むようなレジリエンス、しなやかな強さという言葉が使われるのですけれども、それが大事なのだということです。そして、その社会関係資本、人的ネットワークを大切に育て、多様な財源を確保できていたNPO団体はコロナ禍でも影響があまりなかったというのです。それは、オンラインで十分お金が集められるからだそうです。でも、それができていないのが日本の動物園の現状で、入場者が来なくなったら、その分、収入が減ってしまいますというわけですが、それはいかがなものですかという話をせざるを得ないわけです。
さて、まとめます。
動物園というのは、そもそもが気高い野生動物展示施設であって、重要なのは非営利、チャリティーであることだというのが世界的な流れです。また、日本の動物園は、いろいろな役割を果たしてきたかもしれないけれども、いい動物園とするためには保全や動物福祉が必要になってきます。でも、それを自治体だけでやるのはやはり無理があって、人々の思いから生まれる善意の資金の後押しが必要になってくるのではないかということです。
先ほど申し上げたとおり、動物園は市民と世界をつなぐ鍵になり得えます。しかし、いい動物園は自治体だけではつくれません。人々の思いの力が必要です。人々の共感の力が生み出す善意の資金が保全とか動物福祉を追求していく上で不可欠になるはずです。
これで私のお話を終わらせていただきたいと思います。
ご清聴、ありがとうございました。
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