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ホーム > まちづくり・地域の活動 > 伝統文化の伝承活動 > 北区の歌舞伎を後世に4(伝統文化育成プログラム促進事業)

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更新日:2023年4月11日

北区の歌舞伎を後世に4(伝統文化育成プログラム促進事業)

北区伝統文化育成プログラム促進事業を進めています

「北区農村歌舞伎の保存・継承に係る支援について」を策定しました。

伝統文化育成プログラム促進事業において、令和4年12月、北区の農村歌舞伎の保存・継承団体への支援策を取りまとめた「北区農村歌舞伎の保存・継承に係る支援について」を策定しました。

この方針では、支援の柱となる「1.歴史的価値の再認識」、「2.認知度の向上」、「3.新たな担い手の確保と人材育成」、「4.運営費用の確保」に則して、⑴農村歌舞伎に関する歴史資料の収集等の継続、⑵公演機会の確保や地域学習における活用、⑶保存・継承団体と地域団体との連携促進⑷公的及び民間の補助金の活用などの支援策を示しており、すでにPR動画の制作などを進めています。

あわせて、より効果的な支援を行うための組織として「(仮称)伝統文化保存・継承支援ネットワーク」を創設、持続的な保存・継承につなげていくこととしています。このネットワークは、大学、地域団体、企業等の連携により、保存・継承団体を支援していくもので、将来的には、他の伝統文化にも支援対象を広げることも視野に入れています。現在、活動内容や構成メンバーなどを検討し、設立に向けた準備を進めています。
(右上写真 令和5年1月24日に森札幌大谷大学教授、高橋北星学園大学教授と佐々木北区長とによる意見交換の様子。)

  本事業は市民の皆様とともに進めてまいります。ぜひご意見、ご感想をお寄せください。

北区の農村歌舞伎PR動画の制作

北区の農村歌舞伎を広く発信するPR動画を制作しています。

北区役所では、農村歌舞伎の保存・継承団体への支援の一環として、北区の歌舞伎のPR動画を制作しています。これは、北区で脈々と受け継がれている農村歌舞伎を広く発信していくことを目的としたもので、篠路中央保育園の園児たちによる「篠路子ども歌舞伎」と新琴似中学校の生徒による「新琴似歌舞伎公開講座」の映像を基にPR用動画として制作。

「篠路子ども歌舞伎」の映像は、令和5年2月3日の「篠路子ども歌舞伎伝承式」で演じられた、歌舞伎十八番の一つ「勧進帳」。「伝承式」は、卒園する年長の園児たちが、後輩たちに歌舞伎を伝える篠路中央保育園の伝統行事で、練習の成果を披露する園児たちの愛らしくも大人顔負けの演技が印象的です。

「新琴似歌舞伎公開講座」は、新琴似に伝わる歌舞伎を地元の中学校の生徒たちに伝えようと、保存・継承団体「新琴似歌舞伎伝承会」が平成14年に始めたもの。映像の演目は「白浪五人男」で、同校の生徒による迫真の演技が見ものです。コロナ禍により令和2年を最後に中止が続き、今年こそはと期待が膨らみます。

このPR動画は、北区公式ホームページなどで令和5年3月中の公開を予定しています。北区の歌舞伎の魅力をぜひご覧ください。

  

 

 

 

 

 

(左写真 平成31年1月の篠路子ども歌舞伎伝承式の一幕。演目は「仮名手本忠臣蔵」、右写真 平成31年1月の新琴似歌舞伎公開講座のひとこま。演目は「白浪五人男」

トピック「50年の時を経てよみがえった『篠路子ども歌舞伎』

昭和9(1934)年、当時の篠路共楽館での「御名残興行」を最後に、それまで30年以上もけん引してきた篠路歌舞伎の舞台を降りた大沼三四郎(芸名:花岡義信)は、本来の政治家としての仕事にいっそうまい進するようになります。

ちょうどその年に合わせるかのように、篠路村に村医として赴任してきた若き医師が林賢治でした。彼は当時の村の乳幼児死亡率の高さに驚き、これをなんとしても低下させることを使命とします。

以降、林は医師として、村の福祉活動の充実に力をそそぎました。昭和12(1937)年、篠路村が恩賜財団愛育会より北海道ではじめての「愛育村」の指定を受け、母子の健康に対する関心が村の内外から厚く寄せられるようになったことは、彼にとっても追い風であったことは間違いありません。

昭和30(1955)年、篠路村と札幌市の合併の年、林は篠路の地に「篠路季節保育所」を開設し、子どもたちを守り続けました。後の「篠路中央保育園」です。

林賢治園長亡き後、その思いを継いだ娘の茂子園長の元に好機が訪れたのは昭和60(1985)年のことでした。篠路コミュニティセンター落成式の祝賀会で大人たちが演じた歌舞伎を保育園の子どもたちにやらせては?「篠路子ども歌舞伎」はこうして中央保育園のカリキュラムに取り入れられるようになり、「保存会」も結成されることに。

子どもの健やかな成長を願い続けた林賢治。篠路村村長として村の発展に尽力した大沼三四郎。二人が、その舞台を見ることはありませんでしたが、歴史を振り返ってみると、「篠路子ども歌舞伎」は彼らの理想が実現した姿なのかもしれません。

文 高橋 克依 
(北星学園大学 文学部 教授)

※愛育村:昭和8(1933)年の皇太子殿下誕生に伴って、母子の保健と福祉を目的に設立された恩賜財団愛育会による推進事業。昭和11(1936)年より全国の農山漁村の中から選定・指定を受けた。
(右上の写真 花岡義信(大沼三四郎)引退興行時の記念撮影。写真中央の人物が大沼三四郎。)

【参照文献】
高橋克依(2023)「『篠路歌舞伎』から『篠路子ども歌舞伎』へ」北星学園大学文学部 北星論集※外部サイトに移動します。

株式会社ノーザンクロス(2022)北海道マガジン「カイ」・「篠路歌舞伎クロニクル」※外部サイトに移動します。

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