• ホーム
  • 手続き・サービス
  • お知らせ
  • 北区の紹介
  • まちづくり・地域の活動
  • 施設案内

ホーム > まちづくり・地域の活動 > 伝統文化の伝承活動 > 北区の歌舞伎を後世に2(伝統文化育成プログラム促進事業)

ここから本文です。

更新日:2022年11月28日

北区の歌舞伎を後世に2(伝統文化育成プログラム促進事業)

本事業にご協力をいただいている研究者

この事業では、札幌大谷大学及び北星学園大学と連携し、伝統芸能に詳しいお二人の研究者を協力者としてお迎えしています。これまでの研究で培われた豊富な専門知識を生かして、ヒアリング調査の実施や保存・継承団体を取り巻く現状などの分析、支援策の検討など、事業推進にご尽力をいただいています。

森雅人(もり・まさと)教授(札幌大谷大学)

札幌大谷大学社会学部地域社会学科教授。もりまさときょうじゅ
専門は、民俗学、地域社会学、観光学、宗教人類学。近年では、北海道八雲町熊石地区において、地域の祭りなどの郷土の資源を発掘するフィールドワークを行うなど、文化・歴史資源とまちづくりに関する研究を多数行っているほか、北海道地域づくりアドバイザーとして、主に文化領域からまちづくりに関する提言も行っている。北海道文化財保護審議会委員。



森雅人教授

高橋克依(たかはし・かつより)教授(北星学園大学)

北星学園大学文学部英文学科教授。たかはしかつよりきょうじゅ
専門は、アメリカ演劇、日本演劇。長年、北海道篠路村に興った「烈々布素人芝居」(篠路歌舞伎)の研究を続けている。烈々布素人芝居の始まりと発展を、地域との関係性や芝居を支えた人々といった視点から考察した論文を執筆。著書に、芝居に関する数多くの資料を整理・検証し、戦前の篠路歌舞伎の成立と盛衰を記した「篠路村烈々布素人芝居」(2009年、響文社)がある。



高橋克依教授

北区伝統文化育成プログラム促進事業を進めています

農村歌舞伎の保存・継承団体に対するヒアリング調査を実施

農村歌舞伎の保存・継承を行う団体に対する支援策を検討歌舞伎ぽっぴぃするため、令和3年10月から12月にかけて、篠路歌舞伎保存会、新琴似歌舞伎伝承会の会員の皆さんや、篠路子ども歌舞伎を行う篠路中央保育園の関係者の方々にヒアリングを行い、農村歌舞伎を取り巻く現状を調査しました。

調査に協力していただいたのは、篠路歌舞伎保存会の大髙会長、篠路中央保育園の林園長と舟橋先生、子ども歌舞伎のスタートに携わった元篠路中央保育園の先生の長津さん、新琴似歌舞伎伝承会の遠山会長、宮崎事務局長、佐藤典子広報部長の7人。

皆さん始めは緊張した面持ちでしたが、ヒアリングが始まると、インタビュアーの、森雅人(もり・まさと)教授と高橋克依(たかはし・かつより)教授の巧みなトークに導かれて、すぐにリラックスした雰囲気に。

歌舞伎に対する思いや携わることとなったいきさつ、役者として演じた経験、歌舞伎と教育の関わり、保存・継承の大切さなど、熱心に語ってくださいました。

保存・伝承に携わる人々の高齢化や後継者不足、財政難、地域での知名度が低いこと、そして最近では、新型コロナウイルスによって歌舞伎を披露する場が失われている状況など、歌舞伎の保存・継承を続けていく難しさを語る際には、深く悩まれている様子も。

現在、このヒアリング調査の内容を基に、歌舞伎の保存・継承団体を取り巻く状況と課題、団体が考える将来像について分析を続けており、今後、その結果を基に、歌舞伎の保存・継承団体に対する支援の方向性について検討を進めていきます。

ヒアリングのようす

ひありんぐのようす

ヒアリングの様子

本事業は市民の皆様とともに進めてまいります。
ぜひご意見、ご感想をお寄せください。

トピック「戦前の農村歌舞伎を支えた人々」

篠路歌舞伎隆盛の立役者「大沼三四郎(芸名「花岡義信」)」

明治30年代後半。篠路村烈々布(現在の百神霊矢口の渡合が原辺り)では、歌舞伎が盛んに行われていました。明治初頭に山形県からこの地に移り住んできた故・大沼三四郎は、篠路歌舞伎の指導者、座長として、篠路歌舞伎の隆盛を支えた人物。芸名を「花岡義信」といい、後に篠路村長も務めました。

当時、耕作地の開墾や水害への対応など忙しい毎日が続き、賭博に手を染める若者もいました。そこで、風紀の乱れを防ぎ、若者の団結を深めようと、青年団「若連中」が結成され、烈々布神社の祭典で芝居を上演したのが篠路歌舞伎の始まり。その中心人物であった大沼は、役者として、また、芝居の指導者として優れた才能を発揮し、芝居はまたたく間に人気を集めます。

大正6年、大沼は、篠路烈々布だけでなく、周辺の演劇同好者も芝居に参加できるようにと「素劇楽天会」を結成。座員は50人にまで増え、その公演場所であった「烈々布倶楽部」には当時珍しかった人力の回り舞台も設置されました。大沼は、優れた指導力を発揮して多くの若者を育て、篠路歌舞伎は最盛期を迎えます。

昭和に入ると、相次ぐ飢饉や水害のため村外への移住者が増加して、座員が減少。さらに娯楽の中心が札幌に移り、篠路歌舞伎は急速に衰退していきます。そして、大沼は、昭和9年11月23日、集会施設「篠路共楽館」の落成記念に行われた「花岡義信一世一代御名残興行」を最後に引退。篠路歌舞伎は、33年の歴史に幕を下ろしました。

それから50年以上が経った昭和61年、篠路歌舞伎は、晩年の大沼三四郎篠路中央保育園によって教育カリキュラム「篠路子ども歌舞伎」として復活しました。大沼の情熱は今もなお篠路の地で受け継がれています。


写真上:引退興行の一コマ。左端が大沼三四郎。
写真下:晩年の大沼三四郎。(篠路コミュニティセンター展示)

 


参考文献
高橋克依(2009)「篠路村烈々布素人芝居」響文社
札幌市北区役所総務企画課(2007)「エピソード・北区」

 

北区の歌舞伎を後世に3へ
北区の歌舞伎を後世に1

 

このページについてのお問い合わせ

札幌市北区市民部地域振興課

〒001-8612 札幌市北区北24条西6丁目1-1

電話番号:011-757-2407

ファクス番号:011-747-5898