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更新日:2020年12月1日

機械除雪のはじまり(戦後~昭和41年まで)

1945年
(昭和20年)

機械除雪のはじまり

終戦により占領軍施設周辺の除雪を指令された本市では、当時除雪機械の保有が皆無であったためアメリカ進駐軍の除雪機械4台を借りて実施した。これが、本市における機械力を利用した道路除雪の初まりである。

1947年
(昭和22年)

家庭での除雪
家庭での除雪

アメリカ進駐軍から貸与されていた除雪機械が認められなく、開墾用トラクター2台と民間のトラック30台を借り上げ、積込人夫300名の体制で除雪にあたった。また、市民にも家の前の除雪を呼びかけた。この方法は、3年間続いた。

1950年
(昭和25年)

除雪機械モーターグレーダー1台を初めて購入した。

豊平川右左岸,創成川,大通広場に雪捨て場を開設する。

第1回札幌雪祭りが開催される。

1951年
(昭和26年)

交通局において旧日本軍の戦車7台を購入し、改造して除雪にあたった。

国・北海道・札幌市が、「北海道冬季道路交通対策委員会」を設置し、除雪路線などについて役割分担を明確化した。

この頃には、輸送業界も馬そりから「車」へと変わる。

1952年
(昭和27年)

財政的にも「除雪事業」として初めて予算計上した。さらに、交通局では、バス路線の除雪強化を図った。

1953年
(昭和28年)

運搬排雪事業が行われた。

1954年
(昭和29年)

運搬排雪量の軽減を図るため,塩化カルシウム散布による融雪試験を行う。

1955年
(昭和30年)

昭和30年頃の駅前の除雪。ベルトコンベアが使われている
昭和30年頃の駅前の除雪。
ベルトコンベアが使われている

札幌市内の除雪は、主に市に委ねられていたが市の厳しい財政状況にあって、国・北海道それぞれが責任を持って行うべきと協議したが、財源不足のため何かしらの手段を講ずるべきと意見集約された。これが、雪寒法制定への基礎となる。

1956年
(昭和31年)

除雪延長100km(機械7台)

この年は、大雪となったことから、歩行者の通行を容易にするため中心部の商店から受益者負担による運搬排雪を実施した。

この制度は、S37年度に廃止された。

「積雪寒冷特別地域における道路交通の確保に関する特別措置法」(雪寒法)が制定される。(1957年:昭和32年)

前年度の大雪を踏まえ関係機関による「札幌市除雪対策本部」を初めて設置した。さらに,今年度から国の補助金が得られるようになり独自の雪対策を実施した。

1958年
(昭和33年)

市民による雪割り
市民による雪割り
除雪車
除雪車

市民運動として融雪を促進させるため「雪割運動」を展開した。

本市に初めて除雪専用車としてのロータリー除雪車が購入され、人力から機械による運搬排雪の積込作業に威力を発揮した。1960年(昭和35年):153km

「雪寒法」に基づく補助を受けスノーローダ除雪車1台購入する。1962年(昭和37年)

地元商店が歩道上に小規模なヒーティングを実施した。

1964年
(昭和39年)

273km(除雪機械22台)

異常気象による大雪で市有車の除雪能力が限界に達し、その対策として始めて民間の除雪車を借り上げて除雪が実施された。

1965年
(昭和40年)

市内の商業振興策として歩道の「ロードヒーティング設置費の補助制度」を創設。

定山渓温泉街に通ずる道路に温泉熱を利用したRHを設置し、これが、RHの本格的な始まりである。

1966年
(昭和41年)

1972年の冬季オリンピックの開催が決定され、札幌市域除雪対策連絡協議会を設置し、都市部の渋滞緩和に向けて除雪体制の整備を図った。

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