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更新日:2011年2月14日

76.本格的な発展は終戦後-北24条

エピソード・北区

第10章:その他

72.新選組隊士北区での顛末記73.明治に既に雪まつりの原形が74.鳥人スミス北二十条を飛ぶ75.昭和二十年、炎の中に消える76.本格的な発展は終戦後77.隠された戦闘機と幻の滑走路、新琴似四番通78.札幌の味、そのふる里を尋ねて79.屯田のオリンピック候補選手80.屯田兵から受け継ぐまちづくりの心81.麻生商店街今昔物語82.風土が育てた正月の味83.銭湯全盛のころ昭和46年北区銭湯マップ

76.本格的な発展は終戦後

北24条

昭和20(1945)年9月、旧札幌飛行場内に「カフェつばさ」が誕生=中町甲氏談

 

本格的な発展は終戦後

30年前、見渡す限りの野原が、いまでは北の中心地。夜の北24条は車のライトやネオンでにぎやかである

「飲み屋のはしりは“カフェつばさ”でしょうなあ。真っ昼間から米軍さん相手にやってましたよ」と語るのは終戦当時、札幌飛行場の航空局試験飛行技官だった中町甲さん(64)。「私は空からこの地区を眺めていましたが、これほど発展するとは感無量です」。
「北の都心」とまでいわれる北24条周辺が本格的に発展したのは、昭和20(1945)年代後半から。それまでは、一面にツクシやスギナが広がり、羊や牛が見られたという。
この北24条に「幌北引揚者住宅」が建ったのは昭和23(1948)年ころから25(1950)年にかけてで、入居者のほとんどが樺太など外地からの引き揚げ者だった。北25西2に1戸13.5坪の建設省規格の建て売り住宅が、北25西3と北26西3に市営の木造平屋住宅40戸が相継いで建築された。
しかし、粘土質の軟弱な地盤で井戸を60センチも掘り抜くと赤い水があふれてくるなどの悪条件に苦労は尽きなかった。
建設省規格住宅を建て、昭和23(1948)年から約20年間、北26西3に住んでいた本間正二さん(64)は「北18条電停までは道路らしい道路もなく、夏でも泥だらけの道をゴム長靴で歩いたものです。春でしたかねえ。棟上げの終わった市営住宅の屋根が突風で道路1本越えた向こう側まで吹っ飛んだこともありましたよ」と当時を回想する。
この地区は、道路が悪いことや札幌市の最北部に位置していたため、まだ行政の手が届かず早くから住民の連帯意識が強く、市内で戦後初の町内会が発足したところでもある。

今では飲食店400軒

札幌飛行場内に「カフェつばさ」が開店したのは昭和20(1945)年9月。それから5年後、一般に酒が供給され、北24西4の袋小路に5、6軒の赤ちょうちん屋台が誕生した。その場所も今ではパチンコ屋となっている。
昭和27(1952)年9月の市電鉄北線の延長は、人の流れと街並みを変えた。北24条電停付近は利用者が集中し、西5丁目通りには商店や市場が立ち並び始めた。とくに昭和46(1971)年地下鉄南北線開通以来、飲食店が急増した。
現在、北22条から北27条間には、約400もの飲食店が軒を連らね、夜の北24条のにぎわいは「北のススキノ」とまで呼ばれる。
飛行場の閉鎖。まばらな住宅と屋台数軒から発足した北24条が、わずか30年で今日の北区の中心地となったとは、当時の人々にはとても考え及ばぬことであったろう。

(「広報さっぽろ北区版昭和52年5月号」掲載)

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