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ホーム > 北区の紹介 > 歴史と文化 > エピソード・北区 > 第10章:その他 > 72.新選組隊士北区での顛(てん)末記-永倉新八

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更新日:2023年1月5日

72.新選組隊士北区での顛(てん)末記-永倉新八

エピソード・北区

第10章:その他

72.新選組隊士北区での顛末記73.明治に既に雪まつりの原形が74.鳥人スミス北二十条を飛ぶ75.昭和二十年、炎の中に消える76.本格的な発展は終戦後77.隠された戦闘機と幻の滑走路、新琴似四番通78.札幌の味、そのふる里を尋ねて79.屯田のオリンピック候補選手80.屯田兵から受け継ぐまちづくりの心81.麻生商店街今昔物語82.風土が育てた正月の味83.銭湯全盛のころ昭和46年北区銭湯マップ

72.新選組隊士北区での顛末記

永倉新八-小樽にいた新選組隊士

 

札幌における晩年の新八遺影

新八が戊辰戦争で着用していた陣羽織、現在胴着に作り直して残っている。裏地に「武士乃節を尽くして厭まても貫現竹の心そ一筋」の遺歌が自筆で書かれている(杉村利郎氏所蔵)

「さぁ、坊主ども、ちゃんとまたいだか。よし、馬の耳をしっかりつかまえておれ」孫たちを木馬に乗せて小樽の坂道をよく歩き回っている老人がいた。
この翁(おきな)が、かつて京洛において近藤勇、土方歳三らとともに"鬼の永倉"と恐れられた新選組きっての剣の使い手永倉新八とはだれも気が付かない。
永倉家は小樽の花園公園を下ったところにあったが、大正2(1913)年の夏、剣道はかまに紋服といういでたちの学生数人が訪れた。「杉村先生につきましてはかねがねご高名を承っておりました。ぜひ私どもに実戦の話や剣道の型などをご指導頂きたく、お願いにあがりました」新八は、明治2(1969)年に松前藩に帰参し名を杉村義衛と改めている。
70歳をとうに過ぎた白髪の老人は、この話に張り切った。
「おじいちゃん、剣道やるんですって」「いや、若いもんに型を教えるだけじゃ」「年なんだからおよしなさいよ」娘の気遣いをよそに、札幌の道場へと出掛けた。
現在、札幌に住む孫の杉村逸郎さん(70)は「新八が72、3歳のころでしたかねぇ。北大(当時は東北帝大農科大学)へ防具もつけずに、剣道型を教えに行っていましたが、急激な運動は無理だったのでしょう。フラフラになって、学生に抱きかかえられて帰ってきました」
つまり、このいきさつは、大学道場で突然に、新八が往時を思い起こしたものか、刀を大上段に構え「人を斬(き)るときにはこうして斬る」と大きな声を出し、居並ぶ学生たちも、身を乗り出して注目した。しかし、そのまま道場の床にひっくり返ってしまったのだというものである。
新八も年には勝てなかった。

ゆかりの道場は北9西5

新八が型を演じた道場は、現在の北大本部の北西、北区北9条西5丁目にあった。昭和6(1931)年に取り壊され、今は跡形さえもない。
幕末、日々生死を賭して戦った新選組の隊士が剣を教えた道場は札幌においてはここだけである。
文久3(1863)年の新選組結成から解体まで、新八は一同志として名を連ね、沖田とともに副長助勤、剣術師範頭を務めてきた。『新選組往時実戦談書』には「沖田ト同等ノ人ナリ副長助勤ノ名アリ」とある。
元治元(1864)年の池田屋騒動では、少数の斬り込み隊として"活躍"、数多くの白刃の下をかいくぐってきた新八も大正4(1915)年1月5日、77歳でこの世を去った。眠るがごとき大往生であったという。
青春を剣に賭し、剣に生きた新八だが、晩年、大学道場に通ったときの彼の脳裏には一体何が去来していたのだろうか。

(「広報さっぽろ北区版昭和51年5月号」掲載)

地元の有志、縁者が集まり除幕~新八の案内板~

 

昭和52(1977)年8月5日、新八の歴史案内板除幕式。案内板の左から孫の杉村逸郎、康郎さん

昭和52(1977)年8月5日、永倉新八ゆかりの北大道場近く、北9西4沢田商店前に「新選組隊士・永倉新八来訪の地」の歴史案内板が立った。新八の孫にあたる杉村逸郎さん(72)、康郎さん(65)をはじめ地元町内会の人たちも集まり案内板の序幕が行われた。杉村逸郎さんは「真剣の立ち合いは、当人同士にしてみれば刀のきっ先がすぐ目の前にあるが、横から見ると三間も四間も離れていた。真剣とは実に恐ろしいものだと言っていました。池田屋斬り込みなどは大変なものだったでしょうね。じいさんが北大に行ったとき私は九つくらい。左手に破傷風を患っていましたから、剣道の型を教え、往時の話をしたにとどまったんじゃないですか」と回想する。『新選組興亡史』を執筆した栗賀大介さん(札幌在住)はこう付け加える。「新八は年老いても記憶力は正確で、晩年に書き残した資料は貴重な遺産となっています」新八は大正4(1915)年、77歳でこの世を去った。道場も今はない。「新選組・永倉新八が北区の歴史に加わっていることは実に興味深い。歴史は一人だけ詳しくてもだめで、親が子に、子が孫に伝え、自分と住む土地との関係を理解することが第一。案内板が立ったことだけでなく、住む人の心に残ることが本当のふるさと見直しなんです」と郷土史家の小梁川重彦さんは語る。

(「広報さっぽろ北区版昭和51年5月号・昭和52年9月号」掲載)

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