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ホーム > 北区の紹介 > 歴史と文化 > エピソード・北区 > 第10章:その他 > 73.明治に既に雪まつりの原形が-一中雪戦会

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更新日:2011年2月14日

73.明治に既に雪まつりの原形が-一中雪戦会

エピソード・北区

第10章:その他

72.新選組隊士北区での顛末記73.明治に既に雪まつりの原形が74.鳥人スミス北二十条を飛ぶ75.昭和二十年、炎の中に消える76.本格的な発展は終戦後77.隠された戦闘機と幻の滑走路、新琴似四番通78.札幌の味、そのふる里を尋ねて79.屯田のオリンピック候補選手80.屯田兵から受け継ぐまちづくりの心81.麻生商店街今昔物語82.風土が育てた正月の味83.銭湯全盛のころ昭和46年北区銭湯マップ

73.明治に既に雪まつりの原形が-押し寄せる観衆-

一中雪戦会

 

明治に既に雪まつりの原形が1

雪像を見物する大勢の市民(札幌南高蔵)

明治に既に雪まつりの原形が2

雪戦会前の行進(札幌南高蔵)

昭和25(1950)年に第1回さっぽろ雪まつりが開催され、それが年を追うごとに盛大になり、今日では国際的な祭りの一つに挙げられている。
この雪まつりの原形が既に明治時代に存在していたのである。
半年近くが雪に埋もれる北国では、雪を避けて生活することは不可能である。それなら反対に雪を天与と考え、雪と親しみ冬を楽しもうという発想が生まれてくるが、それは明治時代も同じ。雪像を作り、雪を舞台に繰り広げられる雪戦、それを見物する大勢の市民。明治時代後半から終戦の年まで続いた"一中雪戦会"である。

雪戦会

一中とは札幌第一中学校の略称であり、大正11(1922)年まで北10条西4丁目に在った現札幌南高の前身であるが、ここで明治30(1897)年に第1回雪戦会が行われた。そして、昭和20(1945)年終戦の年、第46回をもって、伝統ある雪戦会の幕は閉じている。
雪戦会は生徒を同数の2組に分け、雪城に掲げた紅(南軍)、白(北軍)の旗を先に取り合う競技が主体であるが、この雪戦に騎馬戦や野仕合、雪中白兵戦(フットボール戦)、棒倒しなどの新しいアイデアを取り入れた年もあった。
一中雪戦会は知名度においても、さっぽろ雪まつりに比べ何らそん色がない。明治39(1906)年の第9回大会の模様はロンドンタイムス紙を通じて全世界に紹介されている。これは文部省の普通学務局長が日本の教育に関する講演のため渡英する際、雪戦会の写真と説明書を持参したのが元になっている。また、昭和9(1934)年の第35回大会は札幌中央放送局より全国各地に実況放送されているし、翌年の第36回大会は活動写真に収められ広くアメリカでも紹介されている。

第15回雪戦会

ここで、明治44(1911)年の第15回大会の様子を伝え、単なる学校行事ではなく、いかに市民の熱いまなざしを受けていた「雪まつり」であったかを紹介しよう。
準備は1月24日から始まり、まず、大雪だるまの製作である。視線は遠く藻岩の山れいを望み、高さ1丈8尺(5.4メートル)、底の直径1丈5尺(4.5メートル)で、1、2年生の製作である。その後方には、これも高さ1丈8尺の大雪門が3、4年生によって完成された。
27日は、全校600人の生徒が長さ60尺(18メートル)、幅6尺(1.8メートル)、高さ8尺(2.4メートル)の大雪塁を構築、両軍の前塁が相対する。
28日には、前塁の後方に高さ2丈3尺(6.9メートル)の両軍本城が築城され、天空高くそびえ立つ。
そして29日は、雪戦会当日である。午前10時、第1回塁城雪戦が開始された。両軍の勇士約200人が各雪城前に集まる。攻撃軍は一団となって敵の塁下に殺到、人肩を踏み台に塁守との壮絶な攻防戦を展開。鉄拳の乱打が飛び交う前塁を落として、さらに本城での登城合戦が繰り広げられる。この間、実に1時間。結局、南軍の勝利に終わる。
第2回塁城雪戦、第3回騎馬戦も南軍が勝利、第4回の塁城雪戦で北軍が一矢を報いた。そして最後に「城落とし」と称して両軍雪球を放って城頭に発火させ、北軍城頭に白煙が上がって終了。時に午後4時10分。

押し寄せる観衆

雪戦会の記事が事前に新聞に報道されるや、電話での問い合わせ、入場券・写真撮影の申し込み、書状で依頼して来るもの、わざわざ来校して問い合わせるものなど枚挙にいとまがなかった。当日の観客は約5万人という。ついに「満員、空席無之候」という張り札がされた。それでも観客は押し寄せ、接待員30人の制止は無能となった。一方、満員の札を見て帰った者は3,000人。昼、12時半には、南1条から北10条まで一直線に貫いて真っ黒な人続きが出来たという。また、観客の中に外国人15人、写真師50人も含まれていた。
以上が「一中雪戦会」のあらましであるが、この雪戦会が時代変革によって戦後、趣向を変えて登場したのが「雪まつり」とみてもよいのではなかろうか。

(「続・北区エピソード史(昭和62年3月発行)」掲載)

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