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更新日:2011年2月14日

75.昭和二十年、炎の中に消える-札幌飛行場

エピソード・北区

第10章:その他

72.新選組隊士北区での顛末記73.明治に既に雪まつりの原形が74.鳥人スミス北二十条を飛ぶ75.昭和二十年、炎の中に消える76.本格的な発展は終戦後77.隠された戦闘機と幻の滑走路、新琴似四番通78.札幌の味、そのふる里を尋ねて79.屯田のオリンピック候補選手80.屯田兵から受け継ぐまちづくりの心81.麻生商店街今昔物語82.風土が育てた正月の味83.銭湯全盛のころ昭和46年北区銭湯マップ

75.昭和二十年、炎の中に消える

札幌飛行場

 

昭和二十年、炎の中に消える

愛機サルムソン式2A2型に乗る上出飛行士=昭和8(1933)年ころ、札幌飛行場にて

「友人の憲兵に頼まれたんだが偵察飛行をしてくれないか─と旧北海タイムス樺太支局長から極秘の依頼で、北緯50度の国境線を夢中で飛び越えたことがあった」上出松太郎さん(74)がソ連の偵察飛行をやってのけたのは昭和12(1937)年。
「国際的な知識がなかったから、あんなこともできた」「その翌年、岡田嘉子が同じ国境を越えて大騒ぎになり、自分のしたことの重大さに不安を覚えた」
上出さんとは、戦前、宙返りやキリモミなどの冒険飛行で人気を博した北海タイムス社・上出飛行士のこと。この時代の子どもに「大きくなったら何になる」と聞くと、決まって「上出飛行士みたいに」と答えがはね返ってくるほどの"空の英雄"だった。
上出飛行士の名を世に広めたのが、かつて北24条一帯にあった「札幌飛行場」である。

――この空港の軌跡は──

昭和2(1927)年=現在、北区役所のある北24西6を中心に旧北海タイムス社が飛行場を設置。
昭和8(1933)年=逓信省は前記の飛行場を含めて北24条一帯を53万平方メートルの国営飛行場とし、民間機や報道用の定期空輸などに使用。ここを飛び立つ飛行機からさまざまな宣伝ビラもまかれた。札幌っ子は「ビラマァケー!ビラマァケー!」と叫んで、空から舞い落ちるビラを競って拾い集めていた。
昭和12(1937)年4月=日本航空輸送株式会社が、札幌-仙台-東京間の定期航路を開始。戦前の道内民間航空史上、東京に定期航路を持ったのは札幌飛行場のみだった。
昭和13(1938)年=丸井百貨店の屋上に航空燈台が据え付けられ、札幌の夜空に電光が旋回、夜間飛行の指標となる。
空港設備は、今の超音速時代のそれとは比較の対象にはならない。草を刈って整地されているだけの滑走路。機体がぬかるみにはまれば、みんなでワッショイ、ワッショイ引き上げるというのどかさであった。
昭和14(1939)年=国策会社として大日本航空輸送株式会社誕生。
昭和15(1940)年=戦局、次第に厳しさを増す。会社経営による航空事業停止。
昭和16(1941)年=大日本飛行協会札幌飛行訓練所設置。
昭和19(1944)年=初めて軍用の板敷き滑走路が完成したが、ほとんど使われなかったという。
昭和20(1945)年=札幌市、琴似町などの隣地約99万平方メートルの買収や寄付を受けて、大拡張工事が着手されたが、市民の勤労動員のさなかに敗戦を迎える。
最後の札幌飛行場長だった故辻領一さんの夫人ヤスノさん(73)は「正門は北24西8にありました。大きな2基の門柱だけ残っていますが、あんなに古ぼけてしまって・・・」。道内の航空史上、2番目の札幌飛行場。もちろん今はない。
昭和20(1945)年敗戦の秋。札幌にきたアメリカ進駐軍兵士の放つ火炎放射器によって、軍用、民間機を問わず場内のありとあらゆるものは焼き尽くされて、札幌飛行場は炎の中に消えていった。

(「広報さっぽろ北区版昭和49年9月号」掲載)

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