さっぽろの戦跡

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手稲鉱山

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昭和3(1928)年に個人が採掘を始めた手稲鉱山は、昭和10年に三菱手稲鉱山となり、昭和12年の日中戦争を機に金の需要が伸びて、手稲鉱山の産金量は全国2位になるほど盛んになりました。金は日本が外国から資材等を輸入する際の決済資金として、無くてはならない重要資源でした。このため、写真の選鉱場も政府の補助金で建設されるなど、軍需産業として保護されました。

手稲鉱山

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