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美香保公園は昭和17年(1942年)に、空襲の被害拡大防止と避難地である「防空緑地」として計画され、戦時中は軍の施設が散在していました。そのため昭和20年(1945年)7月の空襲では米軍の機銃掃射を受け、近所の民家も巻き添えになる被害がありました。戦後は、グラウンド等の整備が始まりましたが、公園には軍の高射砲の台座が残っていました(写真)。台座は強固につくられ、取り壊しに多くの費用がかかるため、台座の上に土を盛ってスキー山としました(写真奥の山)。手前のドーナツ型のコンクリートも台座の一つです。(東区北22条東4丁目 )