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72.新選組隊士北区での顛末記|73.明治に既に雪まつりの原形が|74.鳥人スミス北二十条を飛ぶ|75.昭和二十年、炎の中に消える|76.本格的な発展は終戦後|77.隠された戦闘機と幻の滑走路、新琴似四番通|78.札幌の味、そのふる里を尋ねて|79.屯田のオリンピック候補選手|80.屯田兵から受け継ぐまちづくりの心|81.麻生商店街今昔物語|82.風土が育てた正月の味|83.銭湯全盛のころ昭和46年北区銭湯マップ
正月には欠かすことのできない雑煮(ぞうに)。一説には、平安時代にもちや農産物などの神饌(しんぜん・神の供えたもの)を降ろし、雑多に煮て食べたことに始まるという。
その料理方法は時代の変遷を経て、今でも各地方の特産物を用いた正月料理として、食卓を飾っている。その味は各家庭により微妙に違い、親から子へ受け継がれた家伝の味・ふる里の味である。
明治期、北区に入植した人々の出身地は関東、関西を除き、本州全域に渡っている。したがって、持ち込まれた雑煮も郷里によって異なり、いまだに当時の味を伝えているのではないだろうか。
幕末、篠路に入植した早山家の雑煮はコンブでダシを取り、味付けはしょうゆ。そして丸もちに千切り大根、ニンジン、ゴボウを入れたものである。郷里、東北地方(福島県)の特色をよく表わした素朴な中にもなにかしら温かさを感じさせるものである。早山茂さん(60)は「もちが丸いのは、家庭が円満になるように。大根やゴボウは根が地中深く入っているところから、家の基礎が揺らぐことのないようにと願う心からだよ」と先祖からのいわれを今、語ってくれる。
明治30(1897)年代、福井県から鉄西地区に移住、雑貨店を営んだ坪田家の場合は、みそ仕立てで丸もちを用い、カブを輪切りにして入れる。カブなどの丸いものを入れるのは、終わりがないという縁起からだという。京都に接した土地柄からか、関西地方の特色であるみそ味を伝えている。
また、屯田兵として入植した家々では、武士のしきたりであった質素さを基盤とした雑煮を受け継いでいる。屯田の高木家では、コンブダシにしょうゆ仕立て、その中に焼いた切りもちを入れ、カツオ節をのせただけのものである。切りもちとカツオ節の由来について、高木ミツヨさん(96)は「戦になったとき、相手を切り倒し味方が勝つように、との願掛けからなんです」と武士として厳しかった祖父を述懐する。
これらの旧家に共通していることは、もちや味付けなどはまだ郷里の料理方法を伝えているが、中に入る具にはすでに郷里の香りはなく、地物がこれに変わっていることである。
また、雑煮を神仏にお供えすること、三が日は祝いごとを断たないようにと包丁を使わないなど、昔からの習わしが、根強く残っている。
入植時における、過酷な風土は衣食住全ての生活に大きな変化をもたらした。その中で、せめて雑煮だけは郷里そのままの物をと願ったが、それすら困難であったようだ。そのため、風味を残し、これに地物をとり入れる。つまり、ふる里の心に北海道の香りをミックスした味ができ上がったのである。
新琴似の内川八百人(やおと)さん(82)は語る。「雑煮の中身は変わったけれど、新年に年神様をお迎えして、1年の農耕と家内安泰を願い、ふる里を思い祖先の労苦をしのんで食べることだけは、子孫に伝えていかなくては」と。
(「広報さっぽろ北区版昭和54年1月号」掲載)
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