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学校(がっこう)にかようこどもの安全(あんぜん)をねがってできた石碑(せきひ)や石像(せきぞう)だよ
庚申塚(こうしんづか)とは、村(むら)の境界(きょうかい)や十字路(じゅうじろ)などにたてられた石碑(せきひ)や石像(せきぞう)のことです。明治(めいじ)28年(ねん)(1895年(ねん))に鴻城小学校(こうじょうしょうがっこう)の前身(ぜんしん)の教育場(きょういくじょう)にかよう村(むら)のこどもの安全(あんぜん)をねがい、この地(ち)に開(かい)たくにはいった徳島県(とくしまけん)の人(ひと)たちの手(て)によってたてられたといわれています。仙人(せんにん)すがたの庚申塚(こうしんづか)はとてもめずらしく、き重(ちょう)なものです。