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亜麻

亜麻あまはくきからせんいを、たねからあぶらをとることができる植物しょくぶつで、亜麻あまのくきからとったせんいでおったぬのがあさです。明治時代めいじじだい亜麻あまはくきからせんいをとるために、北海道ほっかいどうでたくさんさいばいされるようになりました。

北区きたくでは、明治めいじ24ねん(1891ねん)、げんざいの麻生あさぶ当時とうじ新琴似しんことに)で、亜麻あまのくきからせんいを工場こうじょうがそうぎょう(※)をはじめました。げんざいの麻生町あさぶちょうめんせきの半分はんぶん以上いじょうひろさがあるとてもおおきな工場こうじょうで、たくさんのひとがこの工場こうじょうではたらきました。

その亜麻あまのさいばいや加工かこうはとてもさかんにおこなわれましたが、昭和しょうわ20年代ねんだいいこう、亜麻あまよりやす化学かがくせんいがひろまったことなどによって、道内どうない工場こうじょう次々つぎつぎへいさされ、麻生あさぶ工場こうじょう昭和しょうわ32ねん(1957ねん)にへいさされました。

工場こうじょう跡地あとちは、じゅうたくにすることになりました。最後さいご工場長こうじょうちょうだった黒川修策くろかわしゅうさく亜麻あまおくをのこすため、「あさ」の地名ちめいれることをていあんし、昭和しょうわ34ねん(1959ねん)に「麻生町あさぶちょう」がたんじょうしました。

平成へいせい23ねん(2011ねん)、亜麻あま工場こうじょう歴史れきしをつたえ、亜麻あまをきっかけにいきの交流こうりゅうをふやそうと「あさぶ亜麻あま保存会ほぞんかい」ができました。げんざいも、町内会ちょうないかい商店しょうてんがいのひとたちときょうりょくしながら、いきのだんなどに亜麻あまえて歴史れきしをつたえる活動かつどうをつづけています。

※そうぎょう きかいなどをうごかして仕事しごとをすること。

昭和18年(1943年)頃の工場
昭和(しょうわ)18(ねん)(1943(ねん)(ごろ)工場(こうじょう)
北区役所前の亜麻
北区役所(きたくやくしょ)(まえ)亜麻(あま)

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