新琴似歌舞伎は、明治30年(1897年)、新琴似の青年たちが神社でえんじた歌舞伎が始まりです。開たくの大へんな作業の日々の中、楽しさをもとめる気持ちが強くなっていたので、とても人気となりました。当時としてはめずらしい、いつでも歌舞伎を見られる「若松館」がたてられました。若松館は、310人のお客さんが入り、それは当時の村の人の半分が見られるほどの大きさでした。
同じ時代の篠路歌舞伎とならんで、きちょうな北区の文化となりましたが、えい画館やげき場などが札幌市の中心部に次々とでき、わか者が少しずつ歌舞伎からはなれていきました。そして大正5年(1916年)をさい後に新琴似歌舞伎は演じられなくなりました。
平成5年(1993年)、新琴似歌舞伎を地いきに親しまれる文化として次の世代へつたえていこうと、地いきの人たちが「新琴似歌舞伎伝承会」をつくりました。そして平成8年(1996年)、伝承会の人たちによって、ふたたび新琴似歌舞伎がえんじられました。げんざいは、伝承会の人と新琴似中学校の生徒がいっしょに新琴似歌舞伎をえんじるなど、歴史をつたえる活動がつづいています。