篠路村は、札幌のまわりの村で一番早く開たくされた土地の一つです。きびしい開たく生活を送る中、わかい人たちが「若連中」という会をつくり、明治35年(1902年)、烈々布神社のお祭りの時に「篠路村烈々布素人芝居」というおしばいを行いました。これがのちに「篠路歌舞伎」といわれるようになりました。
篠路歌舞伎はとても人気が出て、他の村から見に来る人々もたくさんいました。また、篠路歌舞伎ができたことによって、村人たちの地いきに対する思いが強くなり、さらに村を発てんさせていきました。
しかし、国鉄札沼線(今のJR学園都市線)の開通によって、楽しみの中心が札幌にうつり、人々が札幌に集まるようになったことで、昭和9年(1934年)に活動を終えました。
昭和60年(1985年)、篠路コミュニティセンターの開館を記念して地いきの人たちが歌舞伎をえんじました。これをきっかけに、この篠路歌舞伎を次の世代へのこそうと、地いきの人たちが「篠路歌舞伎保存会」をつくりました。ふっ活した歌舞伎は、篠路中央保育園の子どもたちがえんじる「篠路子ども歌舞伎」として今も受けつがれています。