JavaScriptが無効(むこう)となっているため、一部(いちぶ)の機能(きのう)が動作(どうさ)しません。動作(どうさ)させるためにはJavaScriptを有効(ゆうこう)にしてください。
ここから本文です。
開(かい)たくに力(ちから)をつくした二人(ふたり)がいた所(ところ)だよ
江戸幕府(えどばくふ)の役人荒井金助(やくにんあらいきんすけ)は、安政(あんせい)4年(ねん)(1857年(ねん))7月(がつ)に、幕府(ばくふ)の石狩役所(いしかりやくしょ)でぎょ業(ぎょう)(魚(さかな)などをとるしごと)や教育(きょういく)などでさまざまなかいかくを実行(じっこう)しました。篠路地区(しのろちく)の農村(のうそん)づくりも金助(きんすけ)によって始(はじ)められました。早山清太郎(そうやませいたろう)は、金助(きんすけ)にすすめられて篠路(しのろ)にうつり住(す)んだ農民(のうみん)のひとりで、篠路(しのろ)の開(かい)たくに大(おお)きな役(やく)わりをはたしました。