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「北大(ほくだい)育(そだ)ての親(おや)」といわれたしょ代(だい)学長(がくちょう)の像(ぞう)だよ
佐藤昌介(さとうしょうすけ)は札幌農学校(さっぽろのうがっこう)(げんざいの北海道大学(ほっかいどうだいがく))のはじめのそつ業生(ぎょうせい)で、のちに北海道大学(ほっかいどうだいがく)のしょ代(だい)そう長(ちょう)をつとめました。明治(めいじ)9年(ねん)(1876年(ねん))、当時(とうじ)21さいで東京(とうきょう)でえい語(ご)を学(まな)んでいたときに、クラーク博士(はかせ)にすすめられ、札幌農学校(さっぽろのうがっこう)で農業(のうぎょう)を学(まな)びました。かれは、札幌農学校(さっぽろのうがっこう)を北海道大学(ほっかいどうだいがく)にするために力(ちから)をつくしたので、「北大(ほくだい)育(そだ)ての親(おや)」といわれています。