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更新日:2011年2月10日

51.天下の三名園を模倣?-偕楽園と清華亭

エピソード・北区

第7章:建物

51.天下の三名園を模倣?52.本道初のサケマスふ化場53.区内にあった斬首場54.水商売の女性たちが育てた水神信仰55.ホイラーの気象観測に始まる56.静寂な明治の世界・・・57.百合が原公園、サイロの謎

51.天下の三名園を模倣?

偕楽園と清華亭

 

天下の三名園を模倣?1

明治13(1880)年6月、完成当時の清華亭。この建物は昭和36(1961)年札幌市有形文化財の指定になった

天下の三名園を模倣?2

 

天下の三名園を模倣?3

昭和53(1978)年に改修された現在の清華亭

札幌最初の公園は、「偕楽園」という。明治4(1871)年、岩村判官の命で開設。北大クラーク会館の南側にあたる、北7西7を中心に、現・北大の一部を含む広大な敷地を有していた。
偕楽園は、日本三名園の一つ水戸の偕楽園と同名で、孟子の「民と偕(とも)に楽しむ」の1文から取って名付けられたらしい。
水戸には好文亭という貴賓所があるが、開拓使も、園内に貴賓接待所として「清華亭」を設けたのは興味深い。先人は札幌最初の公園づくりにあたって、日本の代表的公園美を誇る水戸偕楽園をモデルにしたのかも知れない。
明治19(1886)年、中島に遊園地が開設されると、偕楽園は民間に払い下げられ消えていった。しかし、当初開拓使の胸中には、札幌の北に偕楽園、南に中島、西に円山、東に東こう園(現・天使病院付近)を配置する遠大な構想があった、という。
偕楽園内に明治天皇北海道行幸の際の休憩所として清華亭を建設したのは、時計塔完成前年の明治13(1880)年のこと。開拓使工業局の直営の建築で、時計台、豊平館と並ぶ札幌最古の洋風建物である。『開拓史事業報告』(明治18(1885)年)には総工費2,405円と書かれており、『札幌繁盛記』(明治24(1891)年)によると、当時、米1俵2円60銭、床屋で頭をあたると23銭とあることから、今日の物価に換算すると、3,000万円程度になるだろうか。庭園は米人の園芸指導者ルイス・ベーマーがつくり、樹木や花、池の美しさに感嘆した黒田長官は正式に「水木清華亭」と命名した。
行幸直前の明治14(1881)年夏には札幌農学校卒業を目の前にした、新渡戸稲造、内村鑑三、宮部金吾の後の三秀才が清華亭に集まって、将来を語り合ったという逸話がある。写真も現存する。清華亭はこのように北海道新時代の象徴であったかもしれない。
開拓使編さんの『北海道志』銅板画をみると清華亭の周囲には、内外の植物を栽培し風土に適すか否かの試験をする育種場、サケ・マスのふ化場、仮博物場、工業試験場ともいうべき製物試験場などがある。偕楽園は単なる公園としてだけではなく、当時の札幌の文化、産業のセンターとして大きな意義があった。

清華亭、その数奇な運命

明治政府による北海道経営は開拓史から三県一局、さらには明治19(1886)年に設置された北海道庁へ引き継がれていく。この辺りから清華亭の数奇な運命が始まる。初代北海道庁長官岩村通俊は官業払い下げを断行し、北海道の発展を民力に委ねる政策をとった。これに伴い、清華亭は偕楽園と共に対馬嘉三郎に払い下げられることとなった。明治31(1898)年のことである。対馬は札幌区初代区長、商業会議所会頭などを歴任した人物で、当時の政財界の重臣をなしていたころから、払い下げを受けた清華亭を別荘または社交場として利用していたと思われる。前述『札幌繁盛記』にも「清華亭等旧時の美観を存して、徒(いたず)らに風流雅客の詩嚢(しのう)を揮(まま)はしめ、発句の運座等に空(むな)しく断腸せしむるのみ」とあることからも当時の様子がうかがえる。この時期、料亭「いく代」の女将(おかみ)斉藤いくが対馬から清華亭を借り受けて、旗亭を開いていたという説があるが、建物の構造からみてこれは隣接する偕楽亭であると考える方が自然である。

時代の荒波を越えて

その後、清華亭の所有者となったのは江差の資産家で銀行業を営んでいた横山庄三衛門であった。これ以降、清華亭は貸家として使われるようになり、農学校の学生が下宿していたこともある。『北海道史蹟名勝天然記念物調査報告書』(大正13(1924)年)が清華亭の現況を「今、横山某の私有、汚損のまま個人住宅なり」と伝えている通り、開拓史が渾(こん)身の力を込めて建てた花形建築も、この時期を境に歴史の表舞台から姿を消す。横山は清華亭を昭和の初めまで所有するが、間取りの問題もあり借り手が付かず、長い間「貸家」の斜め札が掛かっていた時期もあったという。昭和36(1961)年に市の有形文化財に指定され、管理が教育委員会の所管となると、同建築保全管理のためとの理由から委員会職員の宿舎に供されたこともあった。この間、郷土史家河野常吉らの尽力もあって清華亭の歴史的価値は見直され、保存の機運も高まっていくが、転々と人手に渡っていた半世紀の様子はいまだ空白となっている。
現在の清華亭は昭和53(1978)年、創建百年を前に改修されたものである。建物の持つ繊細さ、慎(つつ)ましやかさは、風雪と時代の荒波を自力で乗り越えてきた者のみが持つ懐の深さに似ている。清華亭は常に民衆の中にあり、これまでも、これからも決して肩ひじを張ることはない。

(「広報さっぽろ北区版昭和49年8月号」・「新・北区エピソード史(平成15年3月発行)」掲載)

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