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更新日:2011年2月9日

43.全国初のディーゼル今はなく-市電鉄北線

エピソード・北区

第5章:交通

36.「弁慶」時速二十キロで登場37.石炭搬出のにぎわいも遠く38.夢と思い出を運ぶ39."汽笛一声"に歓声と涙40.札幌最北の駅41.札幌の味を育てて一世紀42.鉄道高架で進むまちづくり43.全国初のディーゼル今はなく

43.全国初のディーゼル今はなく

市電鉄北線

全国初のディーゼル今はなく1

"電車通り"の名残として今も電停標識が…。=北9西4=(昭和51(1976)年11月写す)

全国初のディーゼル今はなく2

昭和38(1963)年、北27条-麻生町間延長の開通式。車両には新造のD1034


全国初のディーゼル今はなく3

昭和39(1964)年ごろ、北38西5付近を走る電車

全国初のディーゼル今はなく4

市電延長路線構想図

今も多くの人々は、西5丁目通りを"電車通り"と呼ぶ。
昭和49(1974)年までは、朝夕のラッシュ時、札幌駅前から新琴似駅前までの5丁目通
りに満員の電車が連なって見られたからである。北大のレンガ壁、麻生団地の赤や青のトタン屋根を背景に走る淡いグリーンの電車は北区の風物であった。馬鉄や人力車に代わって、札幌駅前中島公園など2線を電車が走り出したのは大正7(1918)年8月12日。そして、鉄北線が昭和2(1927)年12月28日に開通。昭和7(1932)年に駅前との連絡線ができるまで、北10西4の旧幌北車庫を拠点に北7条―北18条間を運行した。

除雪は人力で電車は雪の溝の中をポールだけ出して走った

冬、電車に苦労話は尽きない。
昭和30(1955)年ころまで鉄北線は、いわば郊外路線で沿線の住宅もまばらのためか線路上に積もる雪は深く、電車をしばしば完全にストップさせた。除雪車につけた特製のササラ除雪器も役に立たず、線路の確保はスコップやつるはしを手にした乗務員総出の人海戦術に頼るしかなかった。
「電車は、3メートルもの深い雪の溝の中をポールだけを上に出して走ったものです。除雪された路線上だけが通行できるので、馬ソリが電車の前を行くともうノロノロ運転ですよ」と往時の運転者たちは語る。

市電から地下鉄へ~幻の市電延長

鉄北線が北24条まで延長されたのは戦後の昭和27(1952)年。鉄北線の終点が北18条から北24条に延びるまでに、実に25年もの歳月を要した。これは、その当時の市北部の人口増加が遅々たるものであったからである。
昭和30(1955)年ごろから、新琴似地区をはじめとする札幌市北部の宅地化は急速に進んだ。鉄北線の北部への延長もこれに呼応する形で3度にわたって進められた。昭和34(1959)年に北24条―北27条間、昭和38(1963)年に北27条―麻生町間、その翌年に麻生町―新琴似駅間が延長され、鉄北線の総延長は5,228メートルに達し、当時の11路線の中で最長のものとなった。
この間、昭和33(1958)年8月12日、日本最初の路面ディーゼルカーが鉄北線に登場した。架線・変電施設のない北24条駅以北の延長区間の運行のために特別に造られた「D1001」である。この集電用ポールのない車両はずいぶんスマートと全国的に評判になった。
さらに、昭和38(1963)年、麻生町までの延長に合わせて、ディーゼルカー14両がいっせいに路線入り。このころが札幌市電の黄金時代であった。
このような状況の中で急速に浮かび、そしてはかなく消えた住民運動があった。それは、新琴似駅前まで延びていた市電を、屯田地区と新琴似地区間の防風林を通して、第五横線(現在の新琴似12条16丁目、屯田西公園付近)まで延ばし、さらに石狩町(当時)の新札幌団地まで延長しようというもの。昭和43(1968)年12月に屯田地区、翌年1月には新琴似地区のそれぞれの町内会の代表が市議会に対し市電路線延長に関する陳情書を提出した。当時、地下鉄南北線が北24条まで開通すると、北5条~24条間の市電のレールを撤去することになっていた。地域の人たちには、このレールを新琴似駅からの延長のために転用することができ、また、地下鉄と連携することによって市電の利用者が増えるという思いがあった。
地域住民の構想では、新琴似駅前からレールを延ばし、JR札沼線を横断する個所はアンダーパスにして、屯田・新琴似間の防風林に入る。電車の軌道には幅員27メートル以上が必要であり、防風林内だと両側10メートルの幅員を持つ車道とさらに6メートルの専用軌道がとれると見込んでいた。
しかし、防風林を経由するとしても新琴似駅前から延長するにはかなりの民有地の提供を受けなければならなく、用地確保に難航することは明らかであった。また、市電鉄北線そのものの収益が低下し、さらに、市では地下鉄を北二十四条駅から麻生まで延長する計画が浮上し、それに伴い民営バスの路線も強化されつつあった。こうした情勢から市電を延長させる計画は、急速に薄れていったのである。
昭和46(1971)年2月には市議会への陳情は取り下げられ、約2年間まちを沸かせた市電延長の計画に終止符が打たれた。その後、同年12月には冬季オリンピックで地下鉄南北線北24条-真駒内間が開通するとともに、市電鉄北線は北24条-新琴似間を除いて廃止され、続いて昭和49(1974)年4月末に残りの部分も廃止と、その使命を終え、まちから姿を消すことになった。そして、地下鉄南北線の北24条―麻生間が開通し、かつての市電に完全に取って替わった。
地下鉄の登場は市民の大歓迎を受け、さらに麻生までの延長は新琴似はもちろん北区全域、その先の石狩方面の発展に多大な影響を与えた。市電が交通体系の花形だった時代は終わり、防風林の中を市電が通るというロマンも幻となった。

(「広報さっぽろ北区版昭和52年1月号」、「新・北区エピソード史(平成15年3月発行)」掲載)

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