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ホーム > 北区の紹介 > 歴史と文化 > エピソード・北区 > 第5章:交通 > 41.札幌の味を育てて一世紀-駅弁

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更新日:2013年2月19日

41.札幌の味を育てて一世紀-駅弁

エピソード・北区

第5章:交通

36.「弁慶」時速二十キロで登場37.石炭搬出のにぎわいも遠く38.夢と思い出を運ぶ39."汽笛一声"に歓声と涙40.札幌最北の駅41.札幌の味を育てて一世紀42.鉄道高架で進むまちづくり43.全国初のディーゼル今はなく

41.札幌の味を育てて一世紀-北6条西5丁目に調理場-

駅弁

 

札幌の味を育てて一世紀1

札幌駅構内の売り子(大正中期)<札幌車掌区記念誌より>

札幌の味を育てて一世紀2

鉄道開通90周年記念掛紙(昭和45(1970)年)

札幌の味を育てて一世紀3

復元された印ばんてん

札幌の味を育てて一世紀4

比護屋の入場鑑札

札幌駅での駅弁は、明治23(1890)年、比護与三吉らによって始められた。その調理場は、北6条西5丁目にあった。以来昭和59(1984)年、東区に移転するまで、旅情を誘う"駅弁"の数々が、この地で生まれ育ち札幌の味が作られてきた。昭和に入ってからは、国鉄の指導による企業合同が行われ、会社組織による営業が行われるようになった。ちなみに道内におけるホームでの立ち売りの歴史は、駅弁より古く、明治13(1880)年、札幌と小樽の手宮間に北海道で最初の鉄道が開通後まもなく、銭函駅で「甘酒」「まんじゅう」が売られていたという。

駅弁に柳もち

鉄道が国有化された明治39(1906)年当時、札幌駅では
比護与三吉……弁当、すし、パン、お茶の立ち売り
岩城為蔵……待合室出店による雑貨販売
芝正章……和洋酒、飲料、雑貨の立ち売り
洲崎庄治郎……柳もち、鶏卵、まんじゅう、五色もちの立ち売り
井上直之…イチゴもち、果実、羊かんの立ち売り
といったところが主なメニュー。
その値段は弁当15銭、すし、もちが各10銭であった。今もその味を守り伝えているものに駅弁と柳もちがある。戦争や物資の乏しい時代などその味と品質を守るため幾多の試練を乗り越えてきたのである。

二重折り箱を考案

比護与三吉は、大正12(1923)年に弁当の腐敗を防ぐためご飯とおかずを分離させた「二重折り箱」を考案、これは全国に先駆けた札幌方式の誕生であった。寒い北国の気候風土から、温かいご飯を冷まさずそのまま食べてもらおうと生み出されたアイデアである。おかずもその時代のし好に合わせ変遷をたどっているが、サケの切り身だけは必需品であり、今も変わってない。
また、駅弁の掛紙(レッテル)にも時の流れを見ることができる。『汽車辨文化史』(雪廼家閑人著)には木版刷りのレッテル(明治39(1906)年ころ)、その年の干支(えと)をあしらったもの、函館本線の電化記念(昭和44(1969)年)、北海道鉄道開通90周年記念(昭和45(1970)年、写真)、第11回冬季オリンピック札幌大会記念(昭和47(1972)年)、鉄道100年・C62引退記念(昭和47(1972)年)などが紹介されている。

姿は印ばんてん、売り声は浪曲語り

「昭和初期までの駅弁売りの服装は、印(しるし)ばんてんに鳥打ち帽子、足元はぞうりでしたね」と2代目の比護政与さん(80)は語る。また、弁当売り24年の土門次郎さんは「お弁当にーすしー、お茶にお弁当ー」2回目は「おすしに弁当、お茶ー」と浪曲語りのような独特な売り声で片手にやかん、箱には50個近くの弁当を載せホームを歩いたという。「冷たくならないように毛布で温めたり、短い時間に弁当やお釣りを渡すため、手袋の指先を切るなど工夫をしました」と語る。
お客さんの旅行目的に合わせて弁当を勧めるなど、思いやりとお客さんとのふれあいを大切にしていたのである。慣れてくると、先に弁当を渡して歩き、後から集金に回る"熟芸"を行った。「よく汽車と競争させられました」と土門さんは語る。昔のホームには、売り声と発車ベル、そして蒸気のにおいと人びとのざわめき―これがいつもの光景であった。
現在では停車時間がより短くなり、窓の開かない列車も増えてきた。旅情と味を楽しむ"駅弁"も箱を下げて売る姿が消え、"置き売り"へと変わってきている。旅先でふと出合う"駅弁の味"今後も大切にしたいものである。

(「続・北区エピソード史」(昭和62年3月発行)掲載)

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