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「弾丸切手」とは、購入すると弾丸の資金となることから名付けられた郵便貯金切手です。昭和17年(1942年)6月から1枚2円で売り出され、売り出し終了後5日目に抽選が行われ当選すると、割増金が支払われました。当時の子どもは、おこづかいから献金しました。札幌市在住の林さんの日記には、「一月四日火曜日 兄ちゃんと弾丸切手を買って来ました。」とあります。
林さんが終戦の日のことを、昭和22年(1947年)、豊水小学校6年生のときに書いた作文(抜粋)です。林さんは終戦の日(昭和20年(1945年)8月15日)は道北の町に一時疎開していました。
「正午から天皇陛下の御放送がありますから、役所に集まって下さいと、近所の人が伝えに来た。どこの家でも放送局が遠いので、ラジオが聞えないからだ。皆ふしぎそうな顔で役所に集った。やがて正午になって、御放送が始まったが放送局から汽車でも一時間もかかる田舎だから満足に聞えるはずがない。けれど私は心の中で有りがたいことだ。とそっとつぶやいていた。たぶんもっと力を出して、あくまで戦えとおっしゃったのだろうと考えて家に帰った。『この日の感激を忘れるな』と書いて勉強部屋にはろうかなと考えたりもした。『母さん、恒子ねえ、長野さんのそばの池に落ちて泣くとこだったの。』『まあ今日はよく皆泣く日だね。』母は真面目な顔で言った。『なして?』『兄ちゃんも学校で泣いたのだとさ』『へえどして?』『あのね、戦争に負けたからって』私は泣きたくなった。毎朝神棚に『どうか日本が勝ちますように』と必ず祈っていたからだ。私は一人で星を眺めながら、口惜しい、悲しいといつまでもすすり泣いていた。もし戦争に敗けたら相手は米鬼だから、日本人は一人残らず奴れいにされるんだよ。学校でよく言われたので、本にあった黒人の姿がチラチラ目に浮かんだり消えたりした。(奴れいになるって、日本人が皆死んだらどうなるのだろうか。)ウツラウツラとしながら、こんなことも考えた。」
札幌市 林 恒子氏提供