映像ライブラリー

ホーム > ライブラリー > 映像ライブラリー

札幌市民の戦争体験 証言映像

札幌市民が語る、戦争の体験談をインタビュー映像で紹介しています。

体験談.23

「馬と生き抜いた戦中戦後」

昭和8年(1933年)生まれ。昭和20年(1945年)に父親を亡くし、母親と二人で働いて家計を支えた。
(令和5年度撮影)

川東 實さん

体験談.22

「我慢があたり前だった小学校時代」

昭和9年(1934年)生まれ。昭和16年に国民学校に入学し、昭和20年(1945年)の5年生の時に終戦を迎えた。
(令和5年度撮影)

硎光 直さん

体験談.21

「14歳で横浜の軍需工場へ」

昭和5年(1930年)生まれ。昭和19年(1944年)4月、横浜市の造船会社の工場へ学徒勤労動員。昭和20年(1945年)5月、横浜大空襲を目の当たりにする。同年8月に終戦を迎え、北海道 へ帰着。
(令和5年度撮影)

住吉 シズさん

体験談.20

「広島で被爆 原因不明の病 拭えぬ不安」

昭和15年(1940年)生まれ。爆心地から1.7㎞の地点にあった自宅で被爆。その後は父親の転勤で仙台市、富山市を経て札幌へ。平成29年(2017年)から、北海道各地を中心に、自身の被爆体験の語り部を始める。
(令和4年度撮影)

大村 一夫さん

体験談.19

「14歳で満州へ 何度も助けられた命」

昭和3年(1928年)生まれ。昭和17年(1942年)に「満州」に渡り満蒙開拓青少年義勇軍の訓練所に入所。終戦後は長春(当時の「満州国」首都・新京)で航空隊の兵舎に難民として収容されていた。
(令和4年度撮影)

瀧澤 祗董さん

体験談.18

「死を覚悟して兵役へ 塩水で空腹を紛らわす日々」

大正11年(1922年)生まれ。昭和18年(1943年)に千葉陸軍高射学校入隊。B29偵察飛行に備えて防空任務に就く。昭和20年(1945年)の東京大空襲以降は、皇居の防空を担当していた。
(令和4年度撮影)

登坂 正夫さん

体験談.17

「たった一つの爆弾で当たり前が無くなる」

昭和15年(1940年)生まれ。5歳の時に広島で被爆し、半分崩れた家の下敷きになったが救出される。学校などで被爆体験を語る活動を行う。
(令和3年度撮影)

金子 廣子さん

体験談.16

「被爆地がもたらした波乱の人生」

昭和8年(1933年)生まれ。12歳の時に、爆心から2キロ離れた場所で被爆。学校などで被爆体験を語る活動を行う。
(令和2年度撮影)

松本 郁子さん

体験談.15

「教員として繋ぎ続けた大事な教材」

昭和10年(1935年)生まれ。当時の留辺蘂町で終戦を迎える。教員として長年戦争を教材として採り上げてきた。
(令和2年度撮影)

林 恒子さん

体験談.14

「被爆地、長崎を思い出す」宮本 須美子さん

昭和12年(1937年)生まれ。昭和20年(1945年)1月に名古屋で空襲に遭い、母方の実家の長崎へ避難。同年8月9日に長崎で原爆を体験。
(令和元年度撮影)

宮本 須美子さん

体験談.13

「敵の飛行機、屋根すれすれに!」吉田 益子さん

昭和6年(1931年)札幌市生まれ。昭和20年(1945年)7月、自宅で空襲(手稲空襲)を体験。
(令和元年度撮影)

吉田 益子さん

体験談.12

「私の被爆体験 鬼火の記憶」服部 十郎さん

昭和4年(1929年)福島県生まれ。官立無線電信講習所仙台支所を卒業。通信兵として広島市の暁部隊通信隊に入隊。広島市内の比治山で被爆。
(平成30年度撮影)

服部 十郎さん

体験談.11

「特攻隊として生き残って」横山 末雄さん

昭和2年(1927年)札幌市生まれ。北海道庁立札幌第一中学校(現・札幌南高等学校)在学時に海軍に志願。土浦海軍航空隊に所属。秋田県大野村(現・北秋田市)で終戦を迎えて復員。
(平成30年度撮影)

横山 末雄さん

体験談.10

「東京から静岡へ 楽しいふりをした疎開先からの手紙」野村 朋子さん

昭和10年(1935年)東京都生まれ。アジア太平洋戦争開戦時は小山国民学校1年生。昭和19年(1944年)8月 静岡県伊東市へ学童集団疎開。
(平成29年度撮影)

野村 朋子さん

体験談.09

「『必ず勝つ。』信じて耐えた厳しい勤労動員」細野 邦夫さん

昭和4年(1929年)小樽市生まれ。中学校に入学後、蘭越、幌延で勤労奉仕、芦別で援農を行う。
(平成28年度撮影)

細野 邦夫さん

体験談.08

「広島での被爆 助かった命で伝えること」越智 晴子さん

大正12年(1923年)インド・ポンペイ生まれ。昭和20年(1945年)、神戸市で阪神大空襲に遭う。同年8月、広島市で被爆。
(平成25年度撮影)

越智 晴子さん

体験談.07

「父のおかげで九死に一生」森川 利一さん

昭和4年(1929年)樺太で生まれる。12歳の時に太平洋戦争が始まる。
(平成24年度撮影)

森川 利一さん

体験談.06

「父が亡くなった丘珠の空襲」岩波 英子さん

大正14年(1925年)、丘珠町で生まれる。昭和19年(1944年)に丘珠飛行場の女子職員として採用される。
(平成24年度撮影)

岩波 英子さん

体験談.05

「たこつぼでしのいだアメリカ機の爆撃」谷川 伸さん

昭和16年(1941年)、旭川の部隊で訓練後、翌年に中国武漢に出征。山砲兵として中国を転戦する。
(平成23年度撮影)

谷川 伸さん

体験談.04

「収容所での過酷な体験」砂子田 寿美子さん

京都府舞鶴市生まれ。昭和14年(1939年)に朝鮮羅津府へ移住。昭和20年(1945年)、元山避難民収容所へ収容される。
(平成23年度撮影)

砂子田 寿美子さん

体験談.03

「生死を決めたできごと」柳森 茂夫さん

昭和17年(1942年)に中国武漢地区に出征。衛生兵として従軍。
敵機との戦闘など、3度の生死を決めた出来事に遭遇。
(平成22年度撮影)

柳森 茂夫さん

体験談.02

「東京が焼け野原になった日」辻野 キミさん

昭和18年(1943年)、札幌から東京医学歯学専門学校に入学するため東京都に移住。昭和20年(1945年)の東京大空襲を経験する。
(平成22年度撮影)

辻野 キミさん

体験談.01

「恐怖と飢え、寒さのシベリア抑留生活」森田 貞雄さん

昭和13年(1938年)、開拓青少年義勇隊に入隊して満州へ。昭和20年(1945年)の終戦後、過酷なシベリア抑留生活を体験。
(平成22年度撮影)

森田 貞雄さん

戦争体験談、更新予定。

ページの先頭へ戻る

PDF形式ファイルをご覧いただくには、Adobe社のAdobe Readerが必要となります。お持ちでない方はAdobe社サイトから最新のAdobeReader (無償) をダウンロードし、インストールしてください。

Adobe Readerダウンロードボタン

ページの先頭へ戻る