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これは、札幌市在住の中村 一枝(旧姓 堀 一枝)さんが昭和16年(1941年)、釧路市立日進国民学校初等科4年生のときに書いた習字です。この年、太平洋戦争がはじまり、中村さんは「十二月八日の感激」と題した作文を書いています。
「今、日本国中が一つの火の玉になっているのだ、私も今日から日本の少国民の一人として米英を撃つまで闘いぬくぞと、ラジオの軍歌を唱えました。学校では校長先生が、『米英は戦車でも飛行機でもどしどし造ることのできる国です。私達は体を丈夫にし、どんな不自由にも屈せずどこまでも戦い抜かなければなりません』とおっしゃいまいした。私は心のなかで、そうだしっかりするのだ、と思いました。」
札幌市 中村 一枝氏提供