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澄川4条11丁目8の小高い丘の上にある、次の開拓記念碑の3碑を開拓記念の碑と称することとした。昭和62年(1987年)5月に、碑の由来を記した石板を設置。他に、大典紀念松の碑がある。
開拓記念之碑の由来説明板
大典紀念松(碑)
山之神は立木を伐るときに祀る神で、精進川官林伐採(明治五年)の頃より残っていたものと考えられ澄川最古の遺物である。熊之神は、開拓当時熊の出没が多く畑を荒らしたので、その鎮めとして明治18年(1885年)山之神と合わせて祭った。明治43年(1910年)建立。石工野口岩松。
戦後の混乱期に、人心の安定のために、山の神に縁があり、五穀豊饒の神である豊受姫神を祭るため、昭和21年(1946年)11月に建立。
揮ごうは、元豊平町長の松崎亀二。
造林記念碑ともいい、大正5年(1916年)9月、近郊近在に誇る阿部造林山の落葉松植栽20周年を記念して建立。発起人は高橋善之助ほか。
碑文は、後の北大総長佐藤昌介の揮ごうによるもの。
※「碑を訪ねて」は南区の郷土史の資料の充実を通じてふるさと意識の向上を図ることを目的に掲載しているものであるため、寺社等、札幌市が管理していないものも掲載しています。
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