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更新日:2011年1月13日

厚別区の現況・歴史

豊かな自然が誇り

地形・気象

厚別区は、札幌市の東部に位置し、面積24.38平方キロメートル、周囲約28キロメートルで、札幌市では、面積が一番小さな区です。
とはいっても、東京都の多摩市や千葉県の習志野市など、厚別区より小さい面積の市町村は、全国にたくさんあります。
区域は、おおむねJR函館本線を境に、標高7メートルほどの平野部と、標高40メートル前後の丘陵部に分かれています。この丘陵部は、地質学的には大きな違いがあって、野津幌川を境に、北側を「野幌丘陵」、南側を「厚別台地」と呼んでいます。
また、白石区との境界を流れる厚別川をはじめ、三里川、野津幌川、小野津幌川の4本の川が流れ、丘陵部分に緩やかな起伏を刻んでいます。
厚別区の気象は、札幌管区気象台などの正確な記録はありませんが、古くから厚別地区に住んでいる人たちは、経験の中から、札幌の都心部と比べて、季節風が強く、降雨・降雪量ともに多いといいます。
確かに、除雪車の出動回数を見ても、白石区より、年間2、3回多いそうです。

動物・植物

札幌周辺は、動植物の種類が豊富です。厚別区も緑に恵まれ、野幌森林公園を中心に、多くの動植物を目にすることができます。
野幌森林公園内で、現在までに確認されている哺乳動物は、ウサギ、タヌキ、キタキツネなど18種。鳥は、アオサギ、クマゲラなど140種。昆虫は、クワガタムシの仲間の甲虫類が580種、ガの仲間500種、チョウの仲間62種など1,200種以上が生息しています。
また、植物では、トドマツ、エゾマツのほか、札幌周辺が北限のクリやコナラなどの樹木108種、ミズバショウ、フクジュソウ、地名が学名となっているノッポロガンクビソウなどの草花400種が、季節を彩っています。

ふれあいが築いた歴史

開拓者入植

厚別地区の本格的な開拓は、明治15年(1882年)に、この地を経由して、札幌と幌内炭鉱(三笠市)の間に鉄道が開通したことから始まりました。
現在の厚別中央から厚別西にかけての、JR厚別駅周辺には、明治16年に河西由造たち8戸が入植しました。
この人たちは、長野県出身で、当時長野県のあたりを「信州信濃」と呼んでいたことから、この入植地も、通称「信州開墾地」とか「信濃開拓地」と呼ばれるようになりました。現在も、小・中学校や神社・公園などに、この名が残っています。
明治18年になって、現在の青葉町ともみじ台を含めた下野幌地区に、石松弥七と小ケ口石太郎が、上野幌地区には小ケ口石松、石井市郎兵衛、大崎三平、太田鉄五郎らがそれぞれ入植しました。
また、大谷地にも阿住勘五郎、駒林鉄五郎が入り、開拓のクワが入れられました。
現在の厚別北と厚別東を含む小野幌地区は、これより少し遅れて、明治22年に秋本槌五郎が入り、炭焼きを始めました。
山本地区は、さらに遅れ、小樽の山本久右衛門が、北海道からこの地の払い下げを受け、明治42年から開墾に着手しました。
この後も、多くの開拓者が厚別地区に入りましたが、白石区のように、本州からの集団で、直接移住したのではありません.小樽や札幌の中心にいったん定住した後、移り住んだ人がほとんどでした。
最初は原生林や湿地帯、川の氾濫などに悩まされ、再び厚別の地を離れて行く人も多く、人々が定着し始めたのは、明治35年ころのことでした。

地形や四季を映す地名

厚別区内には、たくさんの町名や通称名があります。ここでは、その主なものを紹介しましょう。

アイヌ語地名

まず厚別区の「厚別」です。この語源はアイヌ語の「ハシ・ペッ(カンボクの中を流れる川)」とも、「アッ・ペッ(オヒョウダモのある川、または魚のとれる豊かな川)」ともいわれています。この「厚別」という字が正式に使われたのは、明治27年に開設された、現在のJR厚別駅の駅名でした。上野幌や下野幌の「野幌」はアイヌ語の「ヌプ・オル・オ・ペッ(野の中の川)」に由来するといわれ、この野津幌川の上手を上野幌、下手を下野幌と命名したといわれています。また、野津幌川に比べて小さいことから「小野津幌川」と呼ばれるようになった川の流域を小野幌としたようです。

地形や人名が語源

ここまでは、いずれもアイヌ語の川の名前が語源となっていましたが、川に関係する地名で、おもしろいものに「釣橋」というのがあります。もともと通称名で、現在もバス停留所の名として残っています。
これは、厚別川に架かるJR函館本線の鉄橋の上手に、釣橋があったからだといわれています。
「大谷地」は、その昔湿地帯が広がっていたため、こうした大地を「谷地」と呼ぶところから、地名となったものです。
また「山本」は、開拓の創始者である山本久右衛門の子山本厚三が、道路や排水路を整備し、広大な田畑の開墾を成し遂げたので、昭和9年この姓を取って命名したものです。

四季のかおり

厚別区の代表的な団地のひとつに「ひばりが丘」があります。この団地は昭和34年から41年にかけて造成されたもので、名称は一般市民からの公募で決まりました。
この後、43年には青葉町に、55年にはもみじ台に大規模な団地が完成し、それぞれ、春の「ひばり」に対して、夏の「青葉」、秋の「もみじ」しいう、季節にちなんだ名称が付けられたのです。
厚別区は、札幌市の副都心として開発が進み、中心部は「新札幌」と呼ばれています。この名称は、札幌の新しい玄関口として、現在のJR新札幌駅に付けられたことに始まります。

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札幌市厚別区市民部総務企画課

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