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空襲に備え、日頃から町内の要所には防火用水としてコンクリート製の舛(ます)が設置されたほか、自宅用としてこのような手押しポンプに水を入れて防備していました。これは、昭和18年(1943年)12月製造、ナリタ洋服店が使っていたもので、ブリキ製、高さは約50センチです。
つきさっぷ郷土資料館蔵
これは火災や空襲時に、木造家屋の屋根や壁を壊す時に使い、延焼を防止する消防具です。長さは1メートル78センチ、棒の先に鳥の鳶(とび)の口に似た金属製の鉤(かぎ)が付いています。
北海道博物館蔵
空襲に備えて、昭和12年(1937年)に防空法が成立し、陸軍が行う防空を補う役割として、官民が灯火管制、消防、防毒、避難、救護を実施するよう定められました。この鉄かぶとは、公区や町内会役員に配布された防空用のもので、現豊平区旭町の戸津高知(北海中学校校長)さんが防空演習に使用したものです。札幌市では昭和12年(1937年)11月に初めて防空演習が行われました。
空襲などのときに落ちてくる物や火の粉から頭部を保護するためにかぶった綿入りの頭巾。子どもや大人にかかわらず、学校や外出時にはひもで首の後ろに下げて持ち歩きました。空襲警報で避難の時は必ずこれをかぶり防空壕へ避難しました。
このガスマスクは顔に密着するようゴム製になっており、メガネをはずして装着します。マスクと吸収缶(きゅうしゅうかん)をホースでつなぐ隔離式で、活性炭が詰めてある四角い吸収缶から、毒ガスを濾過(ろか)したきれいな空気を吸う仕組みで、札幌市は昭和16年(1941年)に、防毒面100個、ガス検知器、試臭機を購入しました。
夜間、敵の空襲の目標にならないように、通りや家庭の明かりは制限され、街角は真っ暗闇になりました。家庭では明かりが外に漏れないように減光、遮光、消灯をしました。右の黒い提灯(ちょうちん)型の笠は上下に伸縮します。中央の電球は東部防衛総司令部の認定済の三~四畳半用の新製品で、電球の周囲に漏止め剤を塗り、明かりが真下に差す作りです。左上は大型で電球をすっぽり覆う形に工夫されています。
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