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更新日:2022年12月15日

各地区の概要

 北野(きたの)

北野ふれあい夏まつり もとは「厚別北通(あしりべつきたどおり)」と呼ばれたあたりで、昭和19年、厚別の北に広々と広がる原野という意味で「北野」と名付けられました。

現光円寺(北野1条2丁目)に隣接する場所には、開拓が進められていた明治19年にすでに墓地がありましたが、昭和38年に「八望台団地」、昭和45年に「北野団地」の造成が始まったことにより急激に宅地化が進み、現在は、ゆとりある閑静な住宅地となっています。

毎年、7月下旬に行われる「北野ふれあい夏まつり」にはたくさんの人たちが集まり、夜には花火大会が盛大に行われます。

 清田(きよた

 清田中央地区南連絡協議会夏まつりもとは「厚別本通(あしりべつほんどおり)」と呼ばれたあたりで、昭和19年、美しい清らかな水田地帯という意味で「清田」と名付けられました。明治6年、札幌本道(現在の国道36号)の開通により、旧国道と厚別川との交差点付近に駅逓ができ、宿場の役目を果たしていました。明治10年、厚別地区で最初の米作りが今の清田小学校校庭あたりで始まりました。その後、次第に農業が営まれるようになり、厚別川のほとりには水田が広がりました。明治32年には、月寒尋常小学校厚別分教場(現在の清田小学校)が開校。昭和30年代後半からの清田団地の開発に伴い宅地化が進みました。

 

 真栄(しんえい)

第5回札幌市都市景観賞受賞「四季の街」にある「真栄春通り公園」もとは「厚別南通(あしりべつみなみどおり)」と呼ばれたあたりで、昭和19年、この土地が神様のお恵みでますます栄えるようにとの願いを込めて「真恵(しんえ)」にしようとしましたが、改めて繁栄の意味を込めて「真栄」と名付けられました。

厚別川の周辺で稲作が営まれていましたが、昭和45年に「真栄団地」の造成が始まり、のどかな農村地帯から住宅地へと姿を変えていきました。

平成2年、札幌ハイテクヒル真栄の分譲が始まり、南側の真栄(番地)には、白旗山競技場なども整備されましたが、多くの緑が残されています。

 

 有明(ありあけ)

有明神社もとは「篠路屯田の公有地」だったので、そのまま「公有地」と呼ばれていましたが、公有地の「有」の字を生かし、「明るい」の意味を添えて、昭和19年「有明」と名付けられました。有明では、先史文化時代の縄文中期の土器が発見されており、四・五千年前に古代人が川に沿ってこの地にまで生活圏を広げていたことを物語っています。

明治23年、篠路屯田兵給与地として開拓が始まり、同33年には、有明神社(公有地神社)が創設され、同44年には、豊平町厚別尋常小学校付属特別教授場(現在の有明小学校)が設置されました。市最大の市有林である白旗山や有明の滝があり、緑豊かな地区です。

 平岡(ひらおか)

平岡公園の梅林もとは「厚別本通(あしりべつほんどおり)」の一部で「坂の上」と呼ばれたあたりで、昭和19年、平らな丘(岡)という意味で、「平岡」と名付けられました。明治34年ごろ、この地で畑作が定着するようになってから、集落として成り立つようになり、大正10年ごろからリンゴ栽培が盛んになりました。

昭和49年に東部地域開発が始まったことを契機に、高層マンションも立ち並ぶ住宅地となりました。

また、区内最大の総合公園である平岡公園は、約1,200本の梅の木が植林され、梅の名所として親しまれています。

 里塚(さとづか)

オンコの老木もとは、札幌の中心から3里(約12km)であることを示す印(塚)があったことから、「三里塚(さんりづか)」と呼ばれていたあたりで、昭和19年、「三」の字をとって、「里塚」と名付けられました。

開拓の始まりは明治8年ごろで、最初は木炭製造が盛んに行われたほど大木がうっそうとしていました。明治34年ごろ、この地で畑作が定着するようになり、大正10年ごろからリンゴ栽培が盛んになりました。

また、昭和8年に三里塚尋常小学校(現在の三里塚小学校)が設置されました。三里塚小学校の校庭には、小学校創立前からこの地に育つ樹齢130年の「イチイ(オンコ)の老木」があり、未来を生きる子どもたちに無言の教訓を与え続けています。

 美しが丘(うつくしがおか)

美しが丘西公園昭和40年に里塚霊園の造成が始まるまで、森林に覆われた土地で、わずかの人しか住んでいませんでした。

里塚霊園の造成を契機に徐々に人が住み始めましたが、昭和57年ごろに策定された「里塚・真栄地区土地利用転換計画」により開発が進み、計画的で美しい街づくりが行われています。

平成4年と5年に、それまで「里塚(番地)」だった住居表示を「美しが丘条丁目」に変更し、現在に至っています。

 里塚緑ヶ丘(さとづかみどりがおか)

里塚緑ケ丘の街並み平成9年11月4日の清田区誕生に併せて、新たに名付けられた地名で、それまでは、「里塚(番地)」でした。

地区の南側は、里塚地区の宅地化と併せて、昭和40年代から徐々に宅地化が進んでいます。

地区の北側は、東部地域開発の一環として民間宅地開発が進められ、計画的な美しい街並みが形作られています。

 平岡公園東(ひらおかこうえんひがし)

ライブヒルズわんぱく公園平成9年11月4日の清田区誕生に併せて、新たに名付けられた地名で、それまでは、ほとんどが「里塚(番地)」で、一部が「平岡(番地)」でした。

酪農が営まれる緑豊かな地域でしたが、昭和49年から始まった東部地域開発により開発が進みました。

現在は、平岡公園と東部緑地に近接し、緑豊かで計画的な美しい街並みが続きます。