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ホーム > 北区の紹介 > 歴史と文化 > エピソード・北区 > 第8章:記念碑 > 59.道内馬産史に異彩を放つ-篠路ペルシュロン

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更新日:2023年1月5日

59.道内馬産史に異彩を放つ-篠路ペルシュロン

エピソード・北区

第8章:記念碑

58.篠路の野に点在59.道内馬産史に異彩を放つ60.篠路の野に脈打つ山岳信仰61.いまに息づく大師講62.北区に集中する五角柱63.世界初の人工雪

59.道内馬産史に異彩を放つ

篠路ペルシュロン

アニー号の偉容に我を忘れて見ほれたものだ=久米翁談

 

村人の話題をさらった「アニー号」

名馬5頭をまつる馬魂碑

競走馬の王者がサラブレッドなら、輓馬(ばんば)の王者はペルシュロンといわれる。前者はイギリス、後者はフランスが原産地である。
ペルシュロン種の一級馬産地として、旧篠路村(現・篠路町)が全道に異彩を放っていた時代があった。生産馬は、俗に「石狩ペル」とも「篠路ペル」とも呼ばれ、十勝地方とともに篠路の名は忘れられない。

フランスからの種馬導入

「篠路経済のいしずえとなったのはペルなんですね。いわば開拓功労者ですよ。あの馬たちは…」
篠路連合町内会長の宮西頼母さんが話すように、ペル生産の最盛期には、村の財政の基盤となっていた。
篠路に馬産がかくも大規模に起こった理由は、どこにあったのだろうか。道内ほとんどの開拓村がそうであったように、篠路も開村以来、先人の血涙の歴史が秘められている。村史をひもとくと、明治期には石狩川の大はんらん、ときには冷害と農業経営はたびたび大打撃を受けている。
こうしたことから、農作物1本の単純生産型から安定した収入源を確保するために、複数生産型に移行している。
「水難に"強い"馬産がそれだったんですねえ」と、篠路の郷土史に明るい柳沢正幸さん(60)は分析する。
当初(明治後期)は、真駒内種畜場から種牡馬を導入していたが、やがて「原産地フランスから本場物を」の声が馬産家の間に高まった。藤井勝之助らの努力でフランスから念願の種馬が届いたのは、大正15(1926)年のことである。
「アニー号といって、みんな我を忘れその偉容に見とれたものです」
かつては、サラブ、アラブ種の生産も試みた久米一男さん(70)は、アニーの思い出話となると目を輝かせる。名馬アニーの購入価格は当時で5,000円の超高値だったが、この馬の輸入で篠路ペルの品種が一層改良され名声が高まったのだ、と久米さんは付け加える。

今も語り草の名馬5頭

「アニー」のほか「ブイリュー」「第3啓春」「第2コーガル」「バンク」の5頭の種馬は、今でも古老の語り草になるほどの名馬だった。篠路神社にはこの名馬5頭を合祀(ごうし)する「馬魂碑」が立っている。馬産は昭和30年代に幕を閉じたが、馬の無病息災などを祈願した「馬頭観音」名馬医・吉川雄松を讃えた「愛馬翁之碑」等々のいしぶみだけが、牧歌的な篠路のたたずまいの中に今も生きている。

(「広報さっぽろ北区版昭和51年3月号」掲載)

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