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更新日:2010年12月27日

明治から21世紀へ 

明治から大正へ…清田の誕生

清田の歴史を今に伝える「あしりべつ郷土館」

厚別川左岸(厚別橋下流方向)にある「吉田用水記念碑」。 この用水の完成により稲作が盛んになり、地域の発展に大きく貢献しました。

 清田区の中心部はかつて「あしりべつ」と呼ばれていました。明治6年(1873年)に月寒開拓団の一員であった長岡重治(ながおか じゅうじ)が「あしりべつ」へ居住したのが最初の入植と言われています。その後個別に一戸、一戸と増え、明治34年(1901年)頃、清田、真栄、北野の厚別川周辺の稲作と平岡、里塚、有明の畑作が定着してから集落として成り立つようになり、旧集落は厚別(アシリベツ:現在の清田、北野、平岡、真栄を総称)、三里塚(現在の里塚)、公有地(現在の有明)と呼ばれていました。

 安政4年(1857年)に開通した札幌越新道(銭函~星置~島松~千歳)は、明治5年(1872年)開拓使顧問ケプロンの建言によって、札幌~千歳間を整備し札幌本道(室蘭街道)と呼ばれるようになり、現在の国道36号のもととなりました。苫小牧・室蘭からの主要道路で、旅人の便宜を図るため、明治2年(1869年)頃木村某が通行屋を営みました。その後長岡徳太郎(ながおか とくたろう)が通行屋を経営し、札幌市東南部の玄関口として利用されてきました。

 明治24年(1891年)に吉田善太郎(よしだ ぜんたろう)らが厚別川に用水路を建設し 、また大正10年(1921年)頃から平岡、里塚ではリンゴ栽培が始まり、稲作技術の改良も進み、厚別川の周辺には水田が広がり、酪農も畑作地帯で始まっていきました。

昭和から平成そして21世紀へ…きよたの発展

分区後初めて行われた「第1回清田ふれあい区民まつり」(平成10年8月22・23日:清田区総合庁舎前)

第1回清田ふれあい区民まつり(平成10年8月22・23日)

 清田という地名は、昭和19年(1944年)字名改称の際、美しい清らかな水田地帯という意味で名付けられました。昭和30年代までは厚別川の低地帯には水田が広がり、小高い丘は一面がリンゴの実る農村地帯でした。

 昭和36年(1961年)に豊平町と札幌市が合併しましたが、次第にこの地も都市化が進み、同年「清田団地」、昭和38年(1963年)「八望台団地」(北野3-5)が造成され、昭和45年(1970年)「北野団地」(北野6~7-5)・「真栄団地」と、大型団地が次々と造られ、国道36号に沿った地域では工場や商業用施設が建てられ、かつてののどかな農村地帯から主に住宅地へと姿を変えていきました。

 政令指定都市施行に伴い、昭和47年(1972年)清田出張所が開設され、消防、郵便局、病院、工場、大型店舗、教育施設などが整備された市街地となり、札幌市の東部地域開発が始まったことを契機に、加速度的に、高層マンションも立ち並ぶ住宅地へと発展しています。

 人口の急増に伴い、よりきめの細かい市民サービスの充実を図るため、平成9年(1997年)11月4日豊平区から分区して「清田区」が誕生しました。同年、区開設後、札幌市と北広島市とを結ぶ都市計画道路の大曲通が「大曲橋」の完成によって開通しました。平成10年(1998年)に文化的ホールを備えた区民センターがリニューアルオープンし、初めての「ふれあい区民まつり」も開催されました。平成11年(1999 年)には老人福祉センターも開設され、新区としての基盤整備が進められました。

 また、同年に総合的・計画的な街づくりの指針となる「清田区まちづくりビジョン2020」を策定。このビジョンに基づき、街づくりを進めています。

その他