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「あなたの人生は、どのようなものですか。」こう質問をすると、多くの人が、「普通で、平凡だよ。」と答えると思います。ですが、「普通」とは何なのでしょうか。「なんてことのない、ありふれた」ということを指しているのでしょうか。私は、そうとは思いません。「普通」であることこそが、かけがえのない「幸せ」だと思っています。
しかし、「普通」が当たり前ではなく、「幸せ」なことなのだと気が付くまでには、長い年月がかかりました。なぜなら、「普通」が壊れることなど、考えたことがなかったからです。では、いつこのことに気付いたのか。それは、この夏のことです。
私は学校からの帰り道、車同士が衝突する事故を目撃してしまいました。その時、ふと考えたのです。「今、周りの人や自分の身に不幸がふりかかってしまったら、どうなるのだろう」と。そう考えた時に、私は気付きました。「普通」は当たり前ではないと。何か一つで簡単に壊れてしまうと。それを脳が理解すると、とても恐ろしく感じてきました。よく考えてみると、私が今日まで生きてこられたのは、運が良かったからに過ぎません。不幸とは予測不可能なもので、いつ誰の身に起きるのかわからない、とても恐ろしいものなのです。
私が目撃した事故を例に考えてみます。事故が起きると、被害者はもちろん、加害者の「普通」までも奪ってしまうことになります。さらに、加害者の周りにいる人々の「普通」も奪ってしまうかもしれません。私は、被害者・加害者・その周囲の人々など、どの立場であっても、このようなことは体験したくありません。
そこで、私は日本でどれくらいの交通事故が起きているかを調べてみました。2022年の「公益財団法人交通事故総合分析センター」の調査によると、その数は年間でなんと、30万839件。そのうち、死亡事故は2,550件です。この事実を知り、私は驚きました。「普通」が奪われる可能性が交通事故に限ってもこれだけあるのです。当然ですが、その可能性は、病気、事件、自然災害など、事故以外にも山ほどあります。
そう考えた時に、私は「どうしたら『普通』が奪われないか」を考えるより、「どうしたら『普通』を大切にできるか」を考えるべきだと気付きました。いつなくなってしまうかわからないからこそ、私たちは今あるこの「普通」をかけがえのない「幸せ」だと捉えるべきなのです。
では、そう捉えるためには、どのような意識をもつことが大切か。私が出した答えは、「日々の生活や人との関わりに感謝の気持ちをもちながら、いつも通りに過ごす」です。常にこれを意識して生活しようと思いすぎると、自分が思うように楽しめません。だから、普段の自分で過ごしつつ、時々この気持ちを思い出しながら人生を過ごしていきたいと思っています。
ここまで長々と話をしてきましたが、これだけは皆さんに覚えておいてもらいたいです。「普通」は当たり前ではないこと。しかし、「普通」であるこの状態こそが幸せだということです。
さて、今回のお話を通して、皆さんは「普通」に対して、どのような認識をもちましたか。私は、今あるこの幸せを逃さないよう、享受して生きていきたいです。この先、どんな困難が待ち受けていようと、その先にある「普通」をつかむために前を向いて精一杯生きていきたいと思います。
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